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∥二百七十三万分の一の刑法犯罪∥


第九章 境界型人格障害の果てに



     

 人間性の核心に触れる話が、いよいよ始まりそうである。池永は聞き役に回り、合いの手を入れる。

「は~、自殺未遂を」

「ええ、睡眠薬を大量に飲みましてね。確か、一週間ほど入院して、回復しました。今はどうか詳しくは知りませんが、あの時代はですね、地方から都会の大学に出て来た青年が、孤独を感じて自殺を図ったり、挫折して故郷に戻ったりという話を、時たま、耳にしていたのですよ」

「今でも、五月病と呼ばれて、おかしくなる新入生とか新入社員はいますよ」

 田村が初めて発言し、和武利が今時の青年との対話に興味を移した。

「そうか、五月病があるか。友達の中にも、ドロップアウトした人がいますか」

「友達の友達の中には、いますね。ビール会社に入って研修を受けたばかりで…」

 池永にしてみれば、田村の友人・知人の話などに興味はなかった。即断即決、二人の会話に割り込み、本題を促すことにした。

「和武利さん」

「はい」

「清雲さんですが、職業人としては、どんなふうだったのですか」

「いや、職業人とは、とても呼べないですね。仕事はほとんどしていませんから。とにかく長続きせず、ボーナスをもらった経験がないのですからね」

 池永の意図を受けて、往昔の青年の話が再開された。

「は~あ」

「大学を終えた年に、コネで町役場に入りましたがね、自分の車で人身事故を起こしたために、一カ月か二カ月で依願退職。それが無職への皮切りでしたね。以後は、東京へ出て来たり、地元へ帰ったりで…。東京にいる時は、実家から仕送りを受けながら、仕事を探すのが仕事のような状態でしたね、本当のところ」

「仕事探しが仕事?」

「社会常識に欠けているし、人間関係の気配りができない面があって、すぐ首になってしまうのですよ。プライドは強いくせに根気はないから、自分からも短期間で辞めてましたしね。アパートに行くと、いつも就職情報誌を切り抜いて、履歴書を書いていた。そういうイメージが残っていますね、はい」

「そうか~、ある意味で、かわいそうな人だったのですね」

 時は三十年近く過ぎたはずなのに、あのテーブルの上には相も変わらず、仕事探しの三点セットが載せられていたっけな。見てきたばかりの石田ビル5号室の情景を思い浮かべながら、池永は今は亡き話題の主に同情を示していた。

「そうですね。まあ、かわいそうではありましたが、雇う側から見れば、わがまま勝手で、すぐ休むは、仕事の能力はないはで、全く使い物にならない人間だったのでしょうね」

「は~あ」

 記憶を手繰る顔になった和武利が、清雲徹を語り続ける。

「最も長くいたのが、トラック運転手として勤めていた静岡の畜産会社だったろうな…。そこも六カ月はいなかったはずですよ。辞めたのは、関西方面のトンネルで起こした玉突きの交通事故が原因でして。その会社は今、東証一部に上場していますがね」

「運もなかったのですかね」

「それはないでしょう」

「と言うと?」

「二度の交通事故は起こるべくして起こった、と思っています。注意力が散漫という、大きな欠陥を持っていたせいですよ。車の運転には、全然、向いていなかった。スキー場のリフトから落ちたこともあるくらい、散漫だったですからね」

「は~、そうだったのですか」

「それでも、何だかんだあったが、二十代までは、まだよかったほうですよ。誰にも若い時には、向上心や意欲というものがありますよね」

「ええ、体力だって十分ありますよ」

「そういう二十代と違って、故郷に居着いた三十代以後は、怠惰に流れ、堕落の一方ですよ。小人閑居して不善をなす、の典型のような男になりましたね」

 話し手が見せた渋い表情が、たちまち聞き手にも伝染する。

「親から小遣いをもらいながら、パチンコ屋に通い詰める生活で、昔からその気はあったが、少女に気味悪がられる存在に成り下がりました。思い立ったように仕事に就いても、疲れると言っては、数日で辞めることの繰り返しでした」

「我々が調べたところでは、地元で度重なる窃盗やら、ストーカー行為を起こしていますね」

「ご存知でしたか」

 和武利が軽く目を見開き、池永は二度、首を縦に振る。

「ええ、もちろん。事件の少ない田舎では、有名といっては変ですが、有名だったのでしょうね」

「そうですね。何度も新聞に名前が載るから、仕方ないですね。結局のところ、自分が悪いのですからね」

「本人は、肩身の狭い思いをしていたのでしょうね」

「人前に出ると、真冬でも汗をかいたりね。それほど人の目を苦にしながら、また犯罪を繰り返すものだから、親や親類のほうが参っていましたね」

「う~ん、親は一番、大変だ」

「最初に事件を起こした時は、一族に有力者が多くて、報道を抑えたのですがね。保護監察処分を受けている最中に起こした二回目の警察騒ぎでは、県紙や地域紙に実名で報道されました。三回目も、そうです」

「有力者と言うと?」

「町長、新聞社社長、医者、警察署長、それから労働組合の理事や校長といったところですかね」

「血筋は優秀なんですね」

「そう優秀ですね。彼のお姉さんも、すこぶる優秀な人ですよ」

「は~。ところで、犯罪は三十代から起こしていますね」

「ええ、一応、そうなるのでしょうね」

「二十代の時、つまり東京に住んでいた時には、窃盗癖はなかったのですか」

「いや、警察に捕まらなかっただけですよ。もう時効になっているでしょうし、本人も酔生夢死したので話しますが、大塚のアパートに住んでいた当時、駅に隣接した運送会社の倉庫に忍び込んでいました」

「大塚! 内の署の管轄だ」

「トランジスターラジオなどを夜中に盗み出しては、質屋に持っていったようですね。運送会社が警戒するようになって、男一人に追い掛けられるまで、懲りずに続けたようでして。私も、ずっと後になって聞かされた時は、驚きましたよ」

「荷抜きまで、やっていたのか。今、その倉庫のあった所には、大きなホテルが建っていますよ」

「ええ、知っています。私の散歩コースの一つですからね」

「とにかく、清雲さんは、東京の土地勘を持っていたわけですな」

「ええ、それは十分に。大学時代から三十代前半までは、ほぼ在京していましたからね。話に出た大塚から、中野新橋、小平、国分寺でしょう、それから荻窪、高円寺、埼玉県の朝霞と、いろいろな所に住んでいましたからね。現住所は、小竹向原のアパートですし ね」

「ええ、そのアパートは知っています。家宅捜索で訪ねた足で、こちらに回ってきたのですよ。部屋を見たところ、若い女性が随分、好きだったようですね」

「ハッ、ハッ、ハッ、好きでしたね。女性に関しては、熱しやすく覚めやすいタイプでしてね、口下手も災いして、高校時代から何十回、振られてきたことか。やっと付き合いに、こぎ着けても、すぐボロを出してしまいましてね」

「ほう、ほう」

「振られると、“あんな女、僕にふさわしくない”などと、自分を棚に上げて、腐してましたね。“僕の物はいいし、内はいいし、お母さんはきれいだし、君なんか僕にふさわしくない”。そういう手紙を送ったりする男に、まともに付き合ってくれる女性はいませんよね」

「本当に、かわいそうな人だ」

「そう、その面でも、かわいそうな人間だったですね。まあ、私も人のことを言える立場ではないですけどね。女性に大胆になれない小心者ですから」

「ハッ、ハ、ハ、同じく…」

  

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