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∥二百七十三万分の一の刑法犯罪∥


第九章 境界型人格障害の果てに



     

 池永には、相変わらず三人の男を見守っているピンナップガールが、どうにも気に掛かる。

「この子は、誰だ」

「ああ、安西ひろこ、ですよ」

 二十代前半の田村が答えた名前は、五十歳間近の中年には耳新しい。

「タレントか?」

「グラビアアイドル」

「グ、グラビアアイドル? とにかく、アイドルということだな」

「そういうこと」

「さあ、ガサ入れを始めようか」

 号令を出した池永は、白い手袋を十指に通しながら、改めて狭苦しく、ほこりっぽいスペースを見回した。

 焦げ茶色のベニヤ板とガラス窓に囲まれた四畳間には、カーテンが見当たらない。いかにも、男が一人で暮らしていた部屋らしかった。そして、本人以外には何の価値のないガラクタで、埋め尽くされている。なるほど、賽銭箱から小銭を掠め取っていた小人物の部屋にふさわしかった。

 座卓と一脚の座椅子が、カーペット敷きの中央を占めている。小型テレビ、中古のビデオデッキとCDコンポ、安物の本箱、背の低いタンス、背丈ほどの高さのビニール製ファンシーケースが、壁周りを取り囲んでいる。

 池永はまず、本箱の前に膝を折った。並んでいる本を見れば、その人の人間性の一端がわかるというではないか。

「ど~うしようもないな! ふん」

 正体が見えた。呆れたものだった。鼻で笑うしかなかった。

 本箱の主役も脇役も、すべて若い女性だった。娘達の水着やヌードの写真集を始め、『男性専科』といった風俗案内などの雑誌が、ぎっしりと並べられている。そして、警察の摘発の対象となる品々も、堂々と並べられている。すっ裸の男女が絡み合ったビニ本が、六冊。扇情的なタイトルのラベルシールが張られたポルノビデオ が、十五、六本。

「こいつは、女にしか興味がなかったのか。いい、おじさんだったというのにな」

 池永は思わず知らず、清雲徹への悪口を連発していた。

 同じ男として、異性に対する憧れと、肉体への欲求を持つ気持ちはわかるが、程度というものがあるだろう。数が多すぎる。質が下品すぎる。

 脚の短いテーブルを検分すると、携帯電話、就職情報誌、ハサミ・ノリ・万年筆・切り抜きの束を上に載せた履歴書が、順に並べられていた。

 クリップで束ねられた小さな切り抜きを、めくってみた。集められていたのは、就職情報誌から切り取った志望の会社の求人募集 と、男性向け雑誌から切り取った風俗嬢の写真付きの店舗紹介だった。女性目当ての情報収集は部屋の主らしかったが、一つだけ案に相違して、ランジェリーパブの切り抜きは含まれていなかった。

 引き続いて、履歴書を手に取ってみた。女性的な、小さ文字が書き連ねられ、右上の写真欄に、見慣れた顔があった。眉間に皺を刻んだ五十代の顔だった。人生に疲れた気弱そうな顔でもあった。

 就職情報誌の下にも、何かが置かれている。分厚い雑誌をのけると、『贈呈』の朱印が押された定型外の封筒が出てきた。裏をひっくり返すと、東京都内の住所と『和武利朗』なる署名が認められた。

 本箱を見直すと、同じ名前が背表紙に印刷された三冊の単行本 が、隅のほうに交じっていた。

「何だ、こういう本もあったのか…。田村よ」

「何ですか」

 田村がしゃがみ込んでタンスを調べる手を止めて、テーブル越しに振り返った。

「かずたけ・としろうって知ってるか」

 池永が差し出した一冊のハードカバーを、両手で受け取った田村が、ちらりと伏せた目を輝かせながら上げた。

「わぶり・ろう、ですよ、推理小説の。僕も二、三冊読みましたよ」

「面白いのか」

「まあ、まあ。主任は、推理小説は読まないのですか」

「読まないね。読む気にもならない。第一に、現実にいるわけもない刑事ばっかり出てくる。第二に、次から次へと、簡単に人を殺しすぎる。無駄だよ、無駄。読むのは、時間の無駄ってもんだよ」

 その時、池永の冗句に、鑑識係の、うわずった声が被さった。

「ありましたよ、池永さん!」

 声の主に注目すると、ファンシーケースの底から取り出したボストンバッグを、折った両膝の前に置いている。

「鍵の複製道具が入ってますよ」

 鑑識係が、ファスナーを開いたバッグを広げて、説明を加えた。

「ほう、そんな物が出てきたか」

 三人が取り囲むテーブルの上に、窃盗の常習犯だった男の七つ道具が、次々に載せられていく。三種類のやすり、サンドぺーパーの山、プライヤ付きのペンチ、スパナ、三十個近い鍵、鍵の型を模写した二十枚ほどの紙。

 まさに、合い鍵を複製して住居に侵入した犯罪者を特定する、決定的な物的証拠である。

「これは、どこで手に入れたのですかね」

 田村が怪訝な面持ちを見せて、手書きの絵図面を指先で叩くと、池永を凝視した。

「たぶん、マンションの建築現場に入り込んで、写し取ってきたものだろう」

「マンションの建築現場?」

「ああいう所は、いろいろの人間が出入りしているじゃないか。現場監督やら鉄筋工、溶接工、お互いに顔も知らない職人が集まって、仕事をしている」

「ええ、とび職とか、防水工とかもね」

「だから、全く関係のない人間が出入りしても、誰も怪しまない。大きな建築現場になればなるほど、そうなるだろう。ヘルメットを被って、作業着でも着ていれば、ガードマンだって怪しまない」

「なるほど、わかってきましたよ。作業員のふりをすれば、昼間でも建築中のマンションに入り込める。夜なら、もっと簡単だ」

「いや、夜間は、かえって難しい」

「どうして?」

「大きな現場ならガードマンを置いているし、鍵の保管にも気を付けているはずだ」

「そういうものですか」

「とにかく、清雲は日中の建築現場に紛れ込んで、玄関付近をうろついていたんだ。そうして、置いてある鍵を探し出しては、鍵の型をこっそり写し取っていた。部屋の番号と一緒にな」

「これが、その現物ですか」

「たぶん、そうだろう。それらを基にして、同じタイプを鍵屋から買ってきては、やすりで微妙な所まで加工しておいた。何カ月か、マンションが完成するのを待った。目当ての部屋に人が入居するのを見計らうと、手作りの合い鍵を使って空き巣に入っていた。たぶん、この手口で間違いないだろうよ。数からすると、完全な常習犯だな」

 しきりに相槌を打っていた田村が、一転して、表情を曇らせる。

「悪知恵の働く奴だなあ。その知恵、よいほうに生かせばよかったのにな」

「全くな」

「狙われた人達にしたら、防ぎようがない災難だ。何の落ち度もないのに、通り魔事件の被害者みたいなものですね」

「全くな。せっかく入った新築のマンションが、ずっと前から狙われていたわけだからな」

「清雲が考え付いた手口ですかね。それとも、前例があるのです か」

「そちらは専門の盗犯係のほうが詳しいだろうが…。確か、そう確か五、六年前、同じような手口で空き巣を繰り返した男がいたはずだ。銀行で捕まって、実刑判決を受けたと思う。新聞にも出たはずだ。だから、清雲がまねた可能性もあるな。新しい犯罪手口が報道されると、類似の犯罪が増えるもんだからな」

「そうだ、主任、和武利朗に会えば、詳しい話が聞き出せるのじゃないですか。本を送ってきているぐらいだから、けっこう、親しいのじゃないですか」

「そうだな…、訪ねてみるか。作家の住所は、封筒に書いてある。電話番号もわかるといいのだが…」

「わかりますよ」

 快諾した田村が、取り出した携帯電話と端末を接続し、自宅のパソコンとメール交換を始めた。彼が独自に作成した住所リストか ら、電話番号を検索するのに、五分と要しなかった。

「えーと、03の5974―009…」

 携帯電話の液晶画面に表れた十桁の数字が、システム手帳にも転記された。

「こんなこともできるのか。さすが我が署のホープは優秀なんだ な」

「いや、それほどでも…。自分の時間を使って、仕事に役立つこともやっているって、少しはわかってもらえましたかね」

「うん、わかりましたよ。田村君の提案に従って、大家との話を済ましたら、俺達二人は作家の所へ回ってみよう」

 池永達は、直接的な証拠品を始めとして、手帳やメモなどの証拠資料を押収すると、石田ビル5号室を引き上げることにした。当然ながら、猥褻罪に抵触するビニ本、ポルノビデオも、段ボール箱に収めて没収した。

 田村が環七側に開いたガラス窓を閉めると、昼間の強い光が差し込む部屋は、たちまちにして、すえた臭気と淀んだ空気に満たされた。代わりに、大通りから伝わっていた騒音が、遠退いていた。

 相も変わらず、豊満な胸を持つピンナップガールが、朗らかな表情で愛嬌を振りまいている。最後に腰を上げた池永は、魅力的な娘に向かって、目顔で別れの挨拶を送った。

 去り際、板敷きの台所に置かれた小型冷蔵庫が、急に思い立ったように、モーターの唸りを発し始めた。

 持ち主が戻って来ることは、永遠にない。電気コードを引き抜こうと考えたが、すぐに決断が鈍った。電力の節約と引き換えに、庫内の食品を腐敗させてしまいかねない。

 迷いを封じ込めるべく、素早い動作で廊下へ出ると、白いドアを労るように、ゆっくり、静かに閉めた。

 池永は心の中で、手を合わせていた。数奇な一生涯を駆け抜けるしかなかった死者に、合掌していた。

 

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