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∥二百七十三万分の一の刑法犯罪∥


第九章 境界型人格障害の果てに



     

 翌日、十月二十五日、木曜日の朝。巣鴨警察署に出勤した池永部長刑事は、前夜の駅頭で得た、ひらめきに従い、逮捕者データベースの検索を、急いでもらうことにした。

 過去に逮捕された経験のある人物ならば、警察庁がデータベース化している指紋自動識別システムに、指紋を始めとして、氏名や犯罪経歴がファイルされている。その指紋データベースと、身元不詳の死体から採取した指紋との照会作業が、刑事課鑑識係によって開始された。

 指紋というものには、一人一人特有で、変わらない特徴点がある。その特徴点は、指紋の一指で約百にも及ぶ。

 果たせるかな、コンピューターは登録された指紋を介し、犯罪の前科・前歴を持つ該当者の名前を出力した。池永は、鑑識係の作業を大いに労った。

 今、刑事課強行犯係のデスクに座る部長刑事の目に、横死した男の人物像が明らかになる。

 

氏  名:清雲 徹

生年月日:昭和二十二年九月二十四日

本 籍 地:〒949―6362 新潟県南魚沼郡塩沢町大字南田中 ○○○番地

犯罪経歴:前科三犯。受けた刑罰は窃盗罪、住居侵入罪、詐欺罪、 詐欺未遂罪、有印私文書偽造罪、器物損壊罪など。

 

 清雲徹の犯罪経歴には、すべて地元で起こした数々の罪名が並んでいた。犯罪の発生件数の少ない田舎の町にあっては、ある意味での有名人であったことだろう。

「性懲りもない人間だったんだなあ」

 図らずも死に顔に接した前科者の人生を哀れんで、池永は吐き捨てるように呟いた。

 清雲徹の経歴には、四つ目の前科が書き加えられるかもしれな い。被疑者死亡のまま検察へ書類送検されれば、新たな住居侵入罪を免れ得ないだろう。清雲を告訴するか、しないか。最終的に判断するのは、正当な理由なく侵入された居住者の女性である。

 その女性、意志的な目をした坂本律子の容姿を思い浮かべると、池永の心が和んだ。彼女の相関図の中に、前科者が収まっていなかったことが、何より喜ばしかった。

 現場検証に出向いた初対面。侵入した見知らぬ死者と隣り合わせの異様な状況下、大勢の警察官が詰める物々しい雰囲気の中での事情聴取。質問する池永の正視に、坂本律子は目を逸らさなかった。

 刑事は被害者の供述を全面的に信じ、人間性に疑いを挟むことなく、捜査を進めてきた。もちろん、相手も自分を頼ってくれていたはず。被疑者の速やかな身元判明へと結び付いた第一の要因は、互いの信頼関係にほかならない。

 池永は、人間を見抜く自分の眼力を褒めてやりたい気分だった。

 にんまりしながら、大部屋の奥の主任席から、通路近くの末席に座る若手を呼び寄せる。

「お~い、ホープ田村直樹」

 裏付け証拠を集め、容疑事実を固めるのが、次なる仕事。小走りにやってきた田村に出した指示は、清雲の本籍地を管轄する警察署への照会だった。

 田村の手際は、『ホープ』という期待を含めた呼び名に、寸分たがわなかった。すぐに新潟県の六日町警察署に電話連絡し、犯罪手口原紙の送信と、現住所の把握を依頼した。

 犯罪手口原紙とは、再犯性の高い強盗、窃盗、詐欺、性的犯罪などを行なった容疑者を検挙した際に作っているもので、個人の情報から犯行手口まで、ありとあらゆることが克明に記録されている。

 例えば、学歴、職歴、特技、習癖、人相、身体特徴、趣味、嗜好、なまり、親族、知人を始めとする個人の情報から、犯歴、犯行の時間や場所、犯行時の癖、さらに侵入口や侵入用具、物色方法、準備方法にまで及ぶ。

 午前の内に、新潟と東京の警察署の間で、清雲徹に関する犯罪手口原紙と、新たに判明した現住所が、パソコンを通じて送受信された。迅速な処理は、全国の警察組織を挙げてOA化に取り組んできた成果である。

 

犯罪手口原紙に書かれた主な記録:

 三十歳代後半。窃盗罪、住居侵入罪、詐欺罪、詐欺未遂罪、有印私文書偽造罪、有印私文書行使罪。

 具体的には、警察内部で侵入窃盗に分類する空き巣狙い等。勤めて一カ月に満たぬ地元の配置薬販売会社を無断欠勤、社用車を無断借用したまま、自宅から失踪。その長期間に及ぶ家出中に、近接する小千谷市において、家人が不在の神主宅に侵入し、預金通帳と印鑑を盗み出した。後日、同市内の地方銀行支店に出向き、預金の払い戻し請求書を偽造して、預金百万円を引き出した。

 潜かに地元に戻って社用車を返した後、ビジネスホテルや友人宅に宿泊、あるいは野宿にて、長岡市、岐阜市、名古屋市、東京都の各地を遊興しながら転々。家出を伝え聞いていた友人の説得で、東京都から新潟県に舞い戻ったが、自宅には帰らなかった。

 四十日を経て、同じ地方銀行支店を再度訪れ、五十万円の払い戻し請求を試みた。銀行側では預金通帳の盗難届けを受理していたため、窓口係が非常ボタンで警察署に通報。急行した警察官によって、窃盗や現金引き出しの詐欺未遂などの容疑で、現行犯逮捕された。

 送検、起訴され、被疑者勾留と被告人勾留を合わせた未決勾留三月の後、裁判所に言い渡された判決は、懲役一年六月、保護観察付きの執行猶予一年六月。

 

 四十歳代前半。窃盗罪、建造物侵入罪。

 具体的には、警察で非侵入窃盗の内の特殊物盗に分類している賽銭盗。当時は無職の身で、執行猶予の期間中だった。地元の町、及び近隣市町村を自家用車などで移動し、神社・寺院の賽銭を窃取。手口の特徴は、犯行を悟られないために、賽銭箱の中の現金を半分ほど盗み出すというもの。

 同じ手口の犯行が多発したため、地元警察署では、狙われやすい地点で迎え撃つ、よう撃捜査の方針を立て、犯行地域、被害対象、犯行日時などを分析。後日、次なる犯行が予測された寺院と、その周辺に捜査員を配置し、賽銭盗を行なおうとした現場で逮捕。

 送検、起訴され、未決勾留三月の後に、裁判所の出した判決は、懲役一年六月、保護観察付きの執行猶予三年。

 

 四十歳代半ば。器物損壊罪。

 具体的には、同じ町に在住し、パチンコ店に勤務する二十歳代前半の女性に対して、女性の父親と同年代、無職、執行猶予の期間中の身でありながら、ストーカー行為を執拗に繰り返し、直接的には女性所有の車を傷付けた被疑事実により逮捕された。当時は、ストーカー規制法が制定・施行されておらず、ストーカー容疑は適用されなかった。

 なお、逮捕される以前に、女性の家族からの苦情を受けた警察署では、ストーカー行為をやめるように指導・警告したが、バイクを運転して、女性の勤務するパチンコ店を訪れたり、女性の自宅周辺を徘徊して住居内を覗き込んだり、女性の自家用車に入り込んだ り、出先での行動を監視したりする行為を継続。要注意人物として、専従捜査員が覆面パトカーでの尾行、女性宅付近での張り込みを行ない、満月の夜、現行犯として身柄を警察署に引致、留置場に抑留。

 この時の現行犯人は、被害者の若い女性が離婚したばかりで、幼い一人息子の養育と仕事の両立に悩んでいた事情に全く同情を示しておらず、自家用車のボンネットに、『男と遊ぶ暇があったら、ちゃんと子育てをしろ』と、相手を中傷する悪戯書きを残していた。

 送検、起訴され、未決勾留三月の後に、裁判所が言い渡した判決は、懲役一年六月、保護観察付きの執行猶予五年。

 

 雪国で前科三犯の清雲徹は、関東平野に空っ風の吹き荒ぶ二月から、東京都民になっていた。つまり、池永の推測どおり、上越新幹線を利用して流入していた、と見るのが妥当だろう。

 地元の警察署からの知らせによると、年老いた母親と独身の一人息子の二人暮らしだった清雲家は、家屋敷を処分。母親は、一人娘が嫁いでいる宮城県塩釜市に移住した由。

 世帯主だった清雲は、実姉に母を預けて単身上京し、およそ九カ月たった十月二十二日に、豊島区東池袋のマンションで死亡したわけである。

 彼の移転先は、板橋区小茂根一丁目の民間アパートとなってい た。地下鉄有楽町線・小竹向原駅が最寄り駅で、付近には環七通りが通じている。

  

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