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∥二百七十三万分の一の刑法犯罪∥


第八章 捜査線上に浮かんだ男



     

 若手を説教したり、警察の風潮を嘆いている場合ではなかった。池永部長刑事は歩き続けながら、担っている事件の経過を反芻していた。

 住居侵入者の変死事件は、巣鴨警察署が管轄する東池袋二丁目の分譲マンションで、二日前の十月二十二日、月曜日の午後六時過ぎに発覚。週末から家を空けていた独身女性が帰宅し、留守中に無断侵入していた男の変死体を発見したもの。

 一一○番通報を受け、刑事課強行犯係などが現場に急行。男は五十五歳見当で、逆上る同日午前六~七時頃、脳出血が原因で急病死した模様。身元不明。住居の合い鍵を不法所持。二部屋の電気が灯っていたことから推定して、合い鍵を使った侵入時刻は、前日の十月二十一日、日曜日の夕方から夜間。

 本日の十月二十四日、水曜日に至り、男の死に顔から起こした顔写真を元に、身元の特定につながる有力な証言を聴取。そして目下、さいたま市で不動産業を営む玉垣泰弘なる人物の自宅へと、身元確認のために向かっているのが、専従捜査員の自分達。

 経過を整理した池永は、楽観的な見通しを立てていた。

 およそ四十分前、池袋のホステス嬢が『瓜二つ』と言明してくれたように、東池袋のマンションで急病死した顔写真の男と、ランジェリーパブの馴染みである玉垣泰弘は、同一人物にほかならないのだろう。ゆえに、これから家を訪ねても、玉垣本人に会う可能性はないに等しい。武蔵浦和駅から、埼京線が直通する池袋駅近くの歓楽街へ足繁く通っていた彼は、東池袋へ足を向けた因果で、すでに事切れてしまっている。

 主の帰らぬ玉垣家の人達は、落ち着かぬ日々を過ごしていることだろう。一通り心当たりに連絡を入れても行方がつかめず、行き倒れか、交通事故か、あるいは自分の意思による雲隠れか、第三者の悪意による神隠しかと、主の身を心配しつつ、自分達の将来をも案じているはず。家出人捜索願の警察への提出を考慮している最中かもしれないし、すでに提出済みかもしれない。

 家人との面会で、東池袋の変死者と玉垣泰弘が同一人物と同定されたならば、管轄の埼玉県警とも協力して、関係者への聞き込みによる裏付け捜査に入らなくてはならぬ。どういう手段で合い鍵を入手したのか。どういう目的で住居侵入したのか。今後、解明しなければならぬ問題も多々、残されている。

 

 二人の刑事は、国道十七号線に程近い、やや大きな通りへと出ると、路肩に立ち止まった。周囲には、コンビニやラーメン屋の照明が光り、車両のライトがまばらに行き交っている。

 田村が、区分地図と玉垣家の所番地との照合を終えて、顔を上げた。

「すぐ近く。右沿いですね」

 車道とガードレールで区切られた歩道を北へ進みながら、街灯や軒灯を頼りにして、家々の表札を確かめていった。

 二人が再び立ち止まったのは、黒い門扉を備えた一軒家の前だった。

小作りな、築十五年見当の和風家屋。右脇に狭い植え込みがある。道路に面した二階の部屋から、カーテン越しの明かりが漏れ出ている。

 池永を先頭に門扉を抜け、玄関先のブザーを押した。試みに、装飾ガラスを嵌め込んだ引き戸の一方に指先を触れ、軽く力を入れてみると、滞りなく滑り始めた。

 この家では、眠りに就くまで施錠しない習わしなのかもしれな い。田舎に行けば、よく見受けられる習わしではある。

「お邪魔しますよ」

 二人の訪問者は、白熱灯に照らされた内玄関に入って、家人が応対に出て来るのを待った。

 手前から奥へと続く、黄色いニス塗りの廊下。その右側には、障子戸に二面を囲まれた部屋があり、左側には、二階へ通じる階段と水回りが並んでいる。障子の向こうで、テレビが音を立てている。

 応対に現れたのは、髪のほつれた、痩せぎすの中年女性だった。池永の黙礼に、女性も黙礼を返した。

「夜分遅く、申し訳ありませんが、東京は大塚の池永と申します。玉垣泰弘さんは、ご在宅でしょうか」

「少々、お待ちを」

 玉垣夫人とおぼしい女性が、一重瞼をまばたかせ、実に、あっさりと引き下がろうとする。

 後ろ姿を見送る池永は、まだ楽観していた。玉垣泰弘が在宅しているわけはない。玉垣本人が出て来るはずはない。

 非社交的で、内気そうな印象を受けた夫人であるから、初対面の人間と話すのが苦手なのではないか。自分に代わって、家族か親族の誰かに応対させるつもりなのではないか。主の失踪という非常時に、親族が駆け付けているのは自然なことである。

 池永は、関係者をあまり傷付けずに、主の死を告げる手立てを考えてみる。表情に乏しく、青白い顔色をした夫人を、これ以上、乾かすのは忍びないではないか。生前の夫が、若くて美しいホステスに安らぎを求めて、風俗店に通い詰めていた行状は、伏せておくべきだろう。

 

「ドッスン、ドスン、ドスン」

 板張りの廊下に重い足音を響かせながら、眉間に縦の皺を刻んだ中年男が、玄関に進んで来た。上がり口に突っ立つと、池永と後ろに控える田村を険しい目付きで見下ろす。

 好人物には程遠い。癖が強すぎる。相手の人柄を直観した池永は、絡み付く視線を避けて、質問を切り出す。

「玉垣泰弘さんの親族の方ですか」

「何?」

 パジャマの上に縞柄のカーディガンを着た男が、眉を上げて出方を窺う顔になった。

「こちらの家の親類の方か、と聞いているのですが」

「違うよ」

「違うと言うと?」

「あんた、何、言ってるんだよ。ここは、俺の家じゃないか」

 低い濁声に、怒気が含まれた。

「ひょっとして、ご主人で?」

「ひょっとしなくても、そうだよ」

「お兄さんでも、弟さんでもなく?」

「何のことだ。俺には兄弟はいない」

 池永は青ざめながら、目の前の男を見詰め直した。男自身が明言したとおり、彼は『浦和宅建不動産・代表』という肩書きを持つ玉垣泰弘に違いないのだろう。顔写真の男と雰囲気は似通っている が、接点を持たぬ別人だからこそ、生き長らえて夜のテレビ番組を楽しんでいられたわけだ。

「それは失礼。とんだ人違いをしてしまったようで」

「………」

 不自然な沈黙が、初対面同士の距離をさらに広げた。

 あまりに楽観的な見通しを立てていた池永には、死んだものと決め込んでいた男に対しての質問など、何一つ、念頭に浮かばなかった。前提が崩れた今、角を立てずに退去するのが最善。

「いったい、あんた達は誰なんだ。東京から来たと聞いたが…」

「いや、名乗るほどの者では。訪ねる家を間違ったようでしてね …」

 相手から逆に質問され、言葉を濁して腰を引きかけた池永を、新たに困惑させる事態が、待ち構えていた。

「私達は、巣鴨警察署から来た者ですよ」

 右隣に進み出た田村が、名乗りを上げたのである。

「警察? 警察が何の用なんだ」

 案の定、玉垣が声を尖らせた。穏便に辞去するタイミングを失った池永は、両者のやり取りを見守るしかなかった。

「管轄で住居侵入事件が起こった。その容疑者に、あなたが似ているという情報が入った。それで訪ねてきたわけですよ」

「濡れ衣も、いいとこだ。その、何だ、その侵入事件だ。東京で起こったんだろうが」

「ええ、豊島区の東池袋で」

「池袋で起こったことで、何で俺の所へ来るんだ。そんな所、遠い昔に行ったきりだぞ」

「本当に?」

「本当だ。とんでもない言い掛かりだ、全く」

「ともかく、せっかく訪ねて来たのだから、二、三、職務質問させてもらいますよ」

「勝手にしろ」

「玉垣さん、池袋駅近くのプリティーガールに行ったことはありませんか」

「……」

 玉垣がカーディガンの肩に力を入れ、気色ばんだ形相で身構え る。

「ランジェリー・ショックのプリティーガールですよ」

「知らん」

「あなたに似た客が来ているという情報は、何だったのかな?」

「………」

「では、質問を変えます。東池袋のマンション、オーベルジュ東池袋を、ご存知ではありませんか」

「知らん、知らん」

「そうですか? では、もう一つ、坂本律子、それから島田美佐江という名前に、聞き覚えはありませんか」

「おい、いったい、何の話をしているんだ。この野郎」

 額に青筋を立てて、激している玉垣は、家族の聞き耳を意識して、辛うじて大声を抑えているようだ。

 玄関に張り詰めた険悪な気配に、池永は限界を感じた。

<田村よ、先走るな。今はガツンとやる時ではないのだ>

 向きになって直球勝負を続ける田村には、相手への配慮が欠けている。経験が浅いせいなら、まだ救いようがある。性格的な欠陥に基づいているなら、刑事という仕事への適性が危ぶまれる。

 池永は田村の前に立ちふさがり、肩に両手を置いた。

「もう、よさんか」

「………」

 田村の体を押しやった池永は、鬼のような顔をした主に向き直 り、頭を下げた。

「夜分、あなたに関係ないことで迷惑を掛けました。これで失礼しますよ」

踵を返した背中に、罵声が浴びせられた。

「帰れ。帰れ。警察だからって、突然、やって来て、ああだ、こうだと、訳のわからないことを言いやがって。とっとと帰りやがれ」

 

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