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∥二百七十三万分の一の刑法犯罪∥


第七章 ランジェリーパブにて



     

 中央部に尖塔を突き出す、五階建ての白いビル。巣鴨警察署は、JR山手線・大塚駅近くの、オフィスビルが立ち並ぶ一角に、線路を背にして構えている。

 古びてはいるが、どっしりと横に長く、通り過ぎる人々に、えも言われぬ威圧感を与えることもある。車寄せの真上の壁面には、旭光をかたどった金属板の紋章が備え付けられ、警察署らしさを演出している。

 

 坂本律子への二回目の事情聴取を終えた、池永と田村の両刑事 は、南青山から地下鉄とJR線を乗り継いで、大塚駅の北口改札を通り抜け、『巣鴨警察署→410m』の案内板が出ている駅頭に出た。

 高架軌道沿いのジグザグコースを進み、二つ目の信号機を渡っ て、警察署のある通りに入ると、大勢の若者が行き交っていた。

 身長百六十八センチが、小刻みに足を運びながら、肩を並べる青年を見上げる。

「おい、田村。女学生をジロジロ見るなよ。高校生なんかにデレデレしやがって、横にいる、こっちが恥ずかしくなる」

 身長百七十四センチが、大きなストライドで歩きながら、隣の中年を見下ろす。

「違いますよ」

「何が?」

「彼女達は、高校生ではなく予備校生ですよ」

「ああ、そうか、そうだった…。それはそれとして、女にはガツガツしないほうがいい。田村は若くて、坊ちゃん風なんだから、俺の枯れた境地を見習っていれば、女のほうから寄ってくるさ」

「本当に、そんな境地になってるんですか」

「何で?」

「あの坂本律子さんを見詰める、主任の瞳孔、開きっ放しでしたよ。それにですよ、普通、あんな丁寧に説明しないでしょうが…」

「あれはだな、署内でも一、二を争う理論派と言われる、俺の実力を見せたまでだ。警察も変わらなければいかん、刑事も紳士的でなければいかん、とも思うしな。とにかく、作戦の練り直しだ」

 池永は歩度を速めて、『巣鴨警察署』と掲げられた緑色の電飾看板を過ぎ、右に折れる。

 真ん中の白いビルを取り囲む格好で、吹き抜きの駐車場や敷地 いっぱいに、パトカーやセダン、大型車が、粛然と居並んでいる。

 池永、少し遅れて田村は、立番の制服巡査の挙手の礼に迎えられ、警察署の正面玄関を潜った。

 二人の刑事が所属するのは、刑事課強行犯係。刑事課内には、盗犯や知能犯を担当する係、暴力団を受け持つ暴力犯係なども置かれている。

 その刑事課が置かれた三階に上がり、書類に埋もれた大部屋の、一隅に埋もれた自席に着くと、池永は机上の伝言メモを取り上げ た。鑑識からの走り書きだ。

 すぐ腰を上げ、同じフロアの刑事課鑑識係のドアを開ける。手狭な部屋には、目当ての相手しか居合わせていない。

「よう、池さん。最近、ピストル、使っているかい」

 書類から、ごま塩頭を上げ、含み笑いを浮かべながら迎えてくれたのは、佐藤武志主任だった。

「使ってないよ、下のピストルも。白い毛が増えて、もう使い物にもなりゃしないしな」

「両方とも、一生、使わないで終わるのじゃないかい」

 同年配の気安さから、佐藤が軽口を連発する。

「うるさいよ、いつも、いつも。武さんの、その冗談は聞き飽きた、と言ってるだろうが」

「ヘッ、ヘ、ヘ。それはそうと、今朝、お宅に頼まれたポケットティッシュだけど、例の男と同じ指紋が検出されたよ」

「それは、ありがたい。これで、男が外階段から九階に上がった忍び込みだと、証明されたようなもんだ」

 広告ビラが差し込まれた販売促進用のポケットティッシュ。裸に近い格好をした若い女達のカラー写真と、『ランジェリーパブ』という片仮名が目を引いたポケットティッシュ。異常死体発見の通報を受け、東池袋二丁目のマンションに赴いた池永刑事が、建物の裏手に設けられた外階段を回って最上階に上がる途中、五階から六階に至る踊り場で拾ったポケットティッシュ。

 拾得物は、彼のひらめきどおり、家宅不法侵入犯に関係する遺留品であった。

「お役に立てて、俺もうれしいよ」

「うん。コンピューターでの指紋照合も、早く頼むよ」

「わかってるけど、こっちもいろいろあって、忙しいんだ。それはそうと、今夜あたり、どうだい、池さん? たまには一緒に、酒を飲みにゆこうじゃないか」

「暇ができたらな」

 佐藤が表情を曇らせ、あからさまに溜め息を吐きながら、ぼやく。

「ちぇっ、誰も相手にしてくれないや」

「舌打ちは、駄目人間のバロメーターなんだぞ。どうした? ストレスが溜まっているのか」

 池永は、額の生え際が後退した、逆三角形の顔を覗き込んだ。疲れた顔が、不機嫌そうに、神経質そうに目をしばたたく。

「公私共々、溜まるばかりで、嫌になるよ。内の奴とは喧嘩して、もう一カ月も口を利いていないしな。所詮、子供なんて母親の味方をするもんだしな」

「それが人生ってもんよ。たまには気晴らしに、好きな山でも登ってきたらどうだい」

「おう、山…か。今頃は紅葉がきれいだろうな~。どう、池さんも一緒に、奥多摩の三頭山あたりにさ」

「俺は飛鳥山で我慢しとくよ。指紋、頼んだぜ」

 言い捨てて、池永は踵 を返した。ドアを抜ける背中に、力ない 声が浴びせられる。

「飛鳥山? ちぇっ、ただの公園じゃないかよ」

 他人への気遣いが決定的に下手、というのだろう。池永にとっての佐藤は、たまに会うには差し支えないとして、繁く顔を合わせるには疲れる男なのである。

 

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