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∥二百七十三万分の一の刑法犯罪∥


第六章 第二応接室に忍び込むもの



     

 翌日、十月二十四日、水曜日。坂本律子は一日欠勤しただけで、南青山にある東都データサプライ本社に出社することにした。

 悲劇に見舞われた自宅に一人で引っ込んでいても、あれこれ取り越し苦労をして、気がめいるばかりだろう。同僚に囲まれて仕事に没頭しているほうが、余計なことを考えずに時を送れるはずであ る。

 月曜日に打撲した右膝は、指で圧しない限り少しも痛まぬが、青黒い痣はまだ残っていた。ベージュ系のパンツに隠して、共色で丸い襟元のジャケットを組み合わせ、自宅マンションから朝の街筋に出た。

 午前七時四十分。五風十雨の狂いなく、今日も秋の好天が続いている。曇天気味で蒸し暑かった八月、残暑厳しく豪雨や相次ぐ台風に襲われた九月とは様変わりして、十月の気候は順調そのもの。

 後にしてきた無人の住居が、案じられないわけではない。しかし、たとえ身近に不心得者が潜んでいたとしても、侵入を阻む防犯対策は昨日、整えてある。取り換えた磁石式のピン・タンブラー錠に玄関の守りを託して、大丈夫なのではないか。

 春日通りを歩きながら、改めて気を落ち着かせる。ビルの谷間の抜け道を縫って、池袋駅方面へ向かう。明治通りに出ると、往復四車線道路にはエンジン音が満ち、ガードレール沿いにモミジバスズカケの街路樹と、ツツジの植え込みが続く左右の歩道には、足早に行き来する人々が列を作っている。

 

 男性で、時速五キロから六キロ超。女性でも、時速五キロ超の猛スピード。一説によると、朝の通勤タイムに気忙しく歩く列に仲間入りした都会人は、そんな異常な速足になってしまうらしい。

 都会人の足を過小評価してはならない。スピード勝負の短距離歩行に強いだけではなく、スタミナをも求められる中・長距離を行くのも、決して不得手ではない。日頃から、けっこう歩いているからだ。いや、歩かざるを得ないからだ。

 東京での移動の際には、車道の渋滞、駐車場の不足を考えると、四通八達した鉄道網を利用するのが得策で、朝夕の深刻な通勤ラッシュが続いている。混雑緩和のために、常に新設・延伸が図られている地下鉄の場合は、深さ四十メートル超の大深度地下を求めて造られるようになり、プラットホームから地上に至る長い階段や、迷路のように曲がりくねった連絡通路が増えている。いよいよ、歩かざるを得ない。

 地方に住む人々は、あまり歩かなくなっている。通勤ばかりか買い物、レジャーに際しても、自家用車や二輪車を運転して、自宅と目的地の駐車場間を行き来するだけ。過疎地になるほど年々少なくなる鉄道やバスの運行本数が、ますます車や単車に頼らせる。

 

 午前七時五十分前後。大都会に暮らし、マイカーを持たず、持つ意思もないオフィスレディは、意識せずに鍛え上げられた健脚を一歩、一歩運び、明治通りに面したターミナル駅に到着した。

 その池袋駅の構内は、初めて踏み込んだ人間を途方に暮れさせるほど、広大で、込み入っている。そして、めまいを起こさせるほど、ごった返している。

 駅構内へと、切れ間もなく吸い込まれる人の波。構内で、絶えず交錯する人の流れ。構外へと、絶え間なく吐き出される人の波。何しろ、一日の乗降客が二百六十万人を超え、直結する二つのターミナルデパートへの買物客なども往来する、巨大な駅なのである。

 『キヨスク』と命名された鉄道弘済会の売店だけでも、二十店舗近くを数えている。最多五百種にも及ぶ商品を天こ盛りに並べた、どのスタンドにも、老若男女が引きも切らずに立ち寄り、新聞、雑誌、煙草、菓子、飲料と、小物を求めて立ち去っていく。

 律子は幅広い階段を下りて、人いきれがしている地下通路に入 り、山手線・埼京線・高崎線などのJR線を始め、私鉄二線、地下鉄二線の利用客が集まって、せかせかした群衆となった中を進ん だ。

 三分強を要して、地下鉄の自動改札口を通り抜ける。さらに階段を下り、ホームに溢れる行列に埋もれて、満員電車が滑り込んでくるのを待った。

 七駅先の永田町駅で、無表情な顔の群れを詰め込んだ満員電車 を、いったん降りる。三つの地下鉄路線をつなぐ連絡通路を行き、長短のエスカレーターを昇降し、次なる満員電車に乗り換える。

 一駅先の青山一丁目駅に着くと、密着し合う乗客の間を擦り抜 け、わずかに開いたスペースからホームに降車する。そのスペースは、混雑に慣れた乗客同士が暗黙の内に譲り合ってできる、目に見えない空間だ。

 午前八時十七分。コンクリートに天地左右を囲まれた地下から、空にマシュマロのような綿雲を頂く地上に、ようやく出ることができた。

 交通量の多い十字路からは、東都データサプライの本社ビルが間近に見える。周辺には、青山通りや外苑東通り沿いに赤坂御所、神宮外苑、青山墓地、乃木神社などがあり、案外、緑には恵まれている。

 ブロンズの裸体像が据え付けられた前庭を抜け、社屋に入る。玄関ロビーでは、背広の一群がエレベーターを待っている。階段に回ると、制服や私服のOLと擦れ違う。

「お早ようございます」

「お早ようございます」

 社員同士で交わす、きびきびした挨拶に、我知らず、仕事に臨む気概が刺激されてゆく。

 律子が三階に上がり、資料課の自席に着いたのは、午前八時二十分。フロアの壁際には、調査資料を整理したラックやロッカーが、厳かに立ち並んでいる。始業十分前。

 幸い、日本全国に支店を配置して、興信業を営む東都データサプライの業績は、順調に推移している。土地を投機の波に放り込んだバブル崩壊後、経済の失速状態が長引き、設備投資の減少傾向、雇用の停滞、個人消費の低迷で国中が喘いでいる中では、異例に属するだろう。社員の給与も、高い水準を保ち続けている。

 業務は企業の信用調査を軸に、法人興信録の発行、企業倒産集計の提供、マーケティングリサーチ、コンサルテーションへと及ぶ。倒産情報の提供に関しては、戦後最悪と形容されるほど、経営に行き詰まる企業が多い不況時には、かえって売り上げが増える。新社長に就任したばかりの創業家四代目は、まだ四十代後半の若さで、新規事業への意欲を表明している。社員全体の士気も、衰えていない。

 八時三十分過ぎ。坂本律子が所属する資料課では、全員が起立して、塚田課長の短い訓示と、課員が一人ずつ日替わりで担う挨拶を聞いた。思わず背筋が伸び、漫然とした気分も引き締められる時間だ。

 午前八時四十分。朝礼が終わると、課長以下三、四人を残して、私服に身を包んだ三十数人は、資料収集のために社外へ出向く用意に掛かる。それぞれに割り振られた東京都内の登記所に散って、商業登記簿・不動産登記簿などの閲覧を申請し、転記してくるのである。単身で、あるいはペアやグループを組んで、課員達が次々と席を離れてゆく。

 律子は若手男性社員の佐久間と二人で、千代田区内は神田にある法務局出張所を訪ね、転記作業に午前中いっぱいを費やした。

 登記簿の記載事項を単純に書き写す作業にも、それなりの速さが要求され、疎漏は許されない。私事にかまけて、思い悩んでいる余裕はなかった。

 専用の机と椅子が設けられた閲覧者席には、入れ替わり立ち替わり、常時五、六人が詰めている。間近で、私語を発する者はいない。少し離れた所から、執務中の法務局職員や来訪者の話し声が、聞こえてくる。時折、高く鳴り響く、電話の着信音が混じる。

 すべて、資料課のベテランにとっては、意識に上らないバックグラウンドミュージックのようなもの。殺風景な席で、目と筆記具を交互に走らせ、文字と数字で自社の記録用紙を埋めていく職務に集中した。

 

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