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∥宇宙に生かされ生きる∥
●生きがいがはつらつとした気力を生む
日常生活において、人間生命の根源である「気」、宇宙天地大自然の他力である「気」で、精神と肉体を養いつつ、私たちが楽しく、健康的に生きるためには、仕事でも趣味でも勉強でも何でもいいから、積極的に生きがいを持つことも必要となる。
積極的に生きがいを持ち、積極的な物の考え方をすると、人間は必ずよい結果が得られる。それは、自然作用によって「気」が十分に吸収され、気力が充実するからである。気力の充実は、生き生きとした精神と肉体があってこそ可能になる。積極的な考え方をすることで、心身に張りが生まれ、はつらつとして事に臨む気力が生まれるのである。
「気」は、人間の生命力の源であり、精神と肉体のバロメーターでもある。人間の能力をフルに生かすためには、この気力を充実させなくてはならない。「運を含めて、人間のあらゆる可能性を開くのは「気」の強い、弱いにかかわる」といっても、決して過言ではない。
精神と肉体のバランスが悪ければ、「気」は働かないし、「気」が入らない。人が飛躍する時、「気」が働かなければ、物事は成就しないのである。自信を持てず、半信半疑で行ったことが成功しないのは、「気」が入らないからである。
自分で気力を出し、気合を入れるには、意識的にキビキビと動作を速くするよう試みてほしい。体にすぐに興奮が起こり、精神も興奮してくる。体のエネルギーが心のエネルギーに変換し、気力と気合が出るというものである。
反対に、生きがいという生活目標を見失って気力がなくなれば、精神的に不安定になって、うつ病にかかりやすく、高齢者などは急速に老化する。精神が緩んでは、若い人でも多病必至。精神にたるみがあり、心に妄想や思い惑う憂いがある場合、肉体は自然に酸性に傾いて、発病寸前の状態になり、自ら寿命を縮めることにもつながる。
一方、人間の生きがいの中でも、真の生きがいにつながる楽しさというものは、宇宙天地大自然の真善美楽・健幸愛和の原則に従い、人間自らの生命のうちにあるものだから、この真の楽しさを持っていれば、毎日の生活は特に意識的な努力をしなくても、自然の力でひとりでに推進される。これが、人間の生命を保持するための大きなエネルギーとなっている。
言い換えれば、人間世界の楽しさにもいろいろあるが、宇宙天地大自然による楽しさが何より最高のものなのだ、ということである。
宇宙から誰しもが、一人につき一つずつ生命をいただいている。「この素晴らしい生命をいただいた」という喜びを感じると、すべてが楽しくなり、それだけで幸福感が湧いてくる。
最高の楽しさは、宇宙天地大自然の原則に従った生活の中から生まれるものである。楽しさ、あるいは楽しみによって推進される生活、宇宙の原則通りに生かされる日常生活は、その気になりさえすれば誰にでもできる。
だが、楽しさというものは、一種の感覚である。感覚であるため、力としてはもともと強いほうではないが、人間には思い、考える前に、楽しさを感ずるごとく、肉体が感覚するという能力がある。
楽しさということも感覚である以上、それについて思ったり考えたりしても、実際はどうにもならない。楽というものは、思ったり考えたりすることによって生まれるものではないのである。つまり、肉体が感覚した通りに素直に受け入れ、その同じ肉体がまた忠実に、それに応(こた)えたものということである。
●宇宙天地大自然の中に存在する楽しさ
その本当の楽しさを体で感じるためには、人間、己がただの一度、たった一回限りの人生において、くしくもこの宇宙天地大自然間に生まれ出たという事実を忘れて、いい加減に毎日を過ごしてはならない。
一日一日、厚みのあるよき体験、経験を積み上げてゆく人の人生には、どれほど大きな楽しみや価値が与えられていくことであろうか。人生は時の計画である。時の上にしっかりと人生を積み上げ、自己を積み上げてゆくことである。
では、人間は何を基準に、自らの人生の生き方を考えればよいのか。普遍的な基準、時間や空間を超えて一貫する基準は、宇宙の原則、自然の法則にのっとって、一日一日を生きること。それ以外にはない。
宇宙天地大自然の原則、法則のままに生きれば、そこに人間の生き方を解決する道がある。すなわち、宇宙の真理にかなった生活をすれば、私たち人間はおのずから、人間としての理想像に達することもできる。
真理はこの宇宙にあり、天地にあり、大自然の中にある。人間はこの宇宙天地大自然に創られ、天地の間に生かされて生きているのであるから、大自然の心を己の本当の心として生きるならば、人は本来の面目たる自己を完成することも可能なのである。
人間にとって、真理に生きる以上の生き方はない。これ以上の生き方がほかにあるだろうか。この世には真理以上のものはないのである。スタートから百何十億年の歴史を刻む宇宙を貫く法則が、真理である。すべての現象は、この真理から生まれている。この世に真理のあるのは、ありがたい。
宇宙天地大自然は、真理に動き、刻々に流転しながらも、少しの狂いもない。朝がくると、太陽が輝く。夜がくると、月が出る。春になれば、桜が咲く。冬になれば、雪が舞う。
人間は、この真理の、ただ中から生誕し、真理そのものとして刻々を呼吸して、真理に生かされている。ありがたい極みである。
物を物たらしめ、現象を現象たらしめている理(ことわり)、これが真理である。人間はまさに、この真理の結晶体である。
宇宙の真理こそ、人類普遍の原理である。宇宙の真理は、宇宙精神であり宇宙エネルギーそのものである。また、真理は真、善、美、楽を内容とし、これに従えば、人間は理想的に生きることができる。人間の理想社会が実現する。
まず、宇宙天地大自然の真理の内容をなす真善美楽のうち、真は絶対である。この宇宙に充満し、森羅万象、万有を統一、運行している真秩序である。それは、恒久、無限の過去から未来に渡って、いささかも狂わない。万物はさまざまに生かされ、依存し合い、生きている。その存在は、絶えず変化をするが、それでいて一定、不変である。一定、不変であって、毎日変化してとどまることがない。そこに、間違いがないのである。
よって、宇宙の秩序、宇宙の真理に背くものは、一切のものと共存共栄することができない。宇宙には侵すことのできない、おきてが存在する。それが真なのである。
私たち人間が住む地球は、らせん状に回る。同じ平面を同じように回っているようだが、この平等の中に差別を作る。巧妙至極である。これを賛美することは、楽しく、しかも利益に通ずる。利益のあるところに原理があり、原理のあるところに必ず利益がある。理と利、利と理は常に一対一で、誤らない。その存在性の中に、みな働きをもって価値を生じている。
これが善である。しかし、善悪の善という相対的観念ではない。悪のない善一色の全である。それは全き姿であり、個々のものも個別的に全き姿である。
全という素晴らしい仕組み、恵み、喜び、楽しさ、幸せという情操的なものを感ずるのが、善である。これが高等生物になって、情愛、愛情を感ずるようになれば、善は愛という受け取り方、感じ方に変わる。そして、愛は美しさ、楽しさに変化する。
宇宙天地大自然に存在するものは、何を見ても美しく、その音は何を聞いても楽しい。美しいことは楽しいことに、美は楽に通ずる。
結局、真なり、善なり、美しさなり、楽しさなりという真善美楽こそが、宇宙天来の仕組みなのであり、宇宙天地大自然の原則に従った生活の中からは、おのずから真の生きがいや楽しさを体覚できるわけである。
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