健康創造塾 精神トレーニング 健康創造塾 精神トレーニング 健康創造塾 精神トレーニング 健康創造塾

∥刺激を与える∥

 

●あくびで頭の働きに活を入れる

 さて、仕事に飽きた場合に、力をこめると効果を発揮する下腹について説明してきたわけだが、気力や元気を取り戻したいと思ったら、あくびをすることもぜひ勧めてみたいことの一つである。

 あくびは、体内の疲れを「気」に変えて、体外に放出する自然作用だから、大いに奨励すべきものである。

 あくびの原因が前夜の睡眠不足では怠け者の象徴となるが、気分転換、心機一転の機会ごとに、着想が新しく、新しくと進んでゆくのがよい。そうすれば、意識は前向きで気力も、元気も、やる気も出る。

 事務仕事の多いビジネスマンやOLは人工的に、時々、あくびや伸びをする癖をつけておくと、習慣的に、条件反射運動的に、疲れがたまると、すぐに出るようになる。努めて、このような自然機能が発動するような体勢、体調にしておくことだ。

 俳誌『ホトトギス』の主宰者であった俳人の高浜虚子は、「五十ばかりあくびをすると一句浮かぶ」という特技を持っていた、と伝えられているところ。

 誰もが「頭の働きに活を入れよう」と思ったなら、体の筋肉を引き伸ばすことが一番なのであり、人間が無意識に実行している典型的な例が、あくびや伸びなのである。

 筋肉が引き伸ばされた時、その中にある感覚器の筋紡錘からは、しきりに信号が出て大脳へ伝えられる。大脳は感覚器から網様体経由でくる信号が多いほどよく働き、意識は高まって、頭ははっきりするようにできている。

 あくびも、上あごと下あごの間に張っていて、物を噛(か)むのに必要な咬筋という筋肉を強く引き伸ばすものであることを思えば、俳人の特技ももっともな話だ。

 あくびは「血液の中の炭酸ガスを追い出すための深呼吸」だと説いている書物が圧倒的だが、あくびは「頭をはっきりさせるための運動の一つ」でもあるのである。

 今まで眠っていた猫が目を覚まして、行動を起こそうという間際には、決まってあくびをし、ついでに背伸びをしている。我々人間も、これから起き出そうという際には、伸びをしたり、あくびをする。

 ともに筋肉を伸ばすことによって、頭をはっきりさせる効果があることは、説明した通りである。

 長い会議に出席したり、退屈な講演や授業を聞かされると、あくびが出そうになるもの。このあくびが、頭をはっきりさせて、何とか目を覚ましていようという、無意識の努力の現れだとしたら、周囲も腹を立てたりはできなくなる。

 あくびは自然の覚醒剤。やりたい時には、いつでも堂々とやりたいものである。エチケットに反することになるのは、いかにも残念だ。その点、咬筋の収縮を繰り返しても、同じような効果があるので、ガムを噛むのもいいだろう。

●自分の体を刺激して元気を出す

 また、座りっ放しで仕事をしている人にとっては、体の伸びを取り入れた簡単な運動が気分の転換、気力の鼓舞に大いに役立つだろう。

 椅子に腰掛けるたびに、腕を精いっぱい伸ばし、深呼吸をする。十分か十五分おきに、きちんと椅子に座り直して、肩を回し、体をリラックスさせる。三十分おきに、椅子の背にもたれて、十分に体を反らせる。電話を手元におかず、少し離しておく。当然ながら、電話のたびに手を思い切り伸ばさなければならないので、腕の運動になる。立ち上がるたびに、前かがみになって、足先をつかむようにするなどだ。

 それぞれ本当に簡単な運動ながら、これらを習慣的に実行すれば、緊張を解きほぐし、気力を奮い起こす上できわめて効果的である。

 とりわけ、仕事に飽きた時、気力や元気を呼び起こすために自分の体を刺激する方法で、最も手っ取り早いのは、自分の体をたたいてみることだ。

 芸者がお座敷に出る時、しばしば帯を締め直してポンポンとたたくのは、自分の体を刺激して「気」を引き締めているのであるし、大相撲の力士が自分の出番がくる前に、直接、ほおや太ももをたたいている姿もよく見掛けるところだろう。

 この体をたたいて自分の気力や元気を出したり、人から出してもらったりするのは、一般の人もよく経験していることである。失意のどん底にいるような人間には、先輩や友人などが背中や肩をたたいて「しっかりしろよ」と励まし、元気づけする光景はよく目にするはずだ。

 背中や肩をドンとたたかれた場合、それだけで気合が入り、人間は意外に気力を奮い起こすものである。

 このように、私たち人間は無意識のうちにも、体をたたいたり、たたかれたりして気力を奮い起こしているわけだが、ここ一番の気力、精神力が欲しい時には、これを応用して意識的にたたいてみるといい。仕事や勉強の能率が落ちてきたら、肩や腕をたたくなどしてみることで、能率を持続できるはずである。

 冷たい水をかぶるという行為も、肉体に強い刺激を与えて気力を鼓舞する方法の一つである。体をたたくのは肩などどこか一部に限定されるが、冷たい水ならば、体全身が刺激されることになる。特に冬などは刺激がいっそう強烈なものになるから、体をたたくよりも効果は大きいだろう。

 しかし、当然のことながら、冷たい水をかぶったり、シャワーを浴びるというのは、風呂(ふろ)場や井戸などのあるところに限られてくるから、会社で仕事をしなければならないビジネスマンには、職場の洗面所にゆき、冷たい水で顔や手を洗うことを勧めてみたい。

 仕事にダレてきた時などは、この方法で考え方が積極的なものとなり、思考の行き詰まりを破ったり、なえかけた気分を発奮し直したりできるというものだ。

 この冷たい水とは反対に、熱いお湯で顔や手を洗ったり、熱い風呂につかって体を興奮させ、気力を呼び戻す方法も考えられる。

 以上、成し遂げようとする気力を練り、鼓舞し、持続させるためのさまざまなやり方、手段について、述べてみた。

 要は、自分に刺激を与えることで、精神の緊張状態を瞬間的に高めることが大事なのである。例えていえば、ジャンプをして低いところから高いところへ跳び移るように、気力の水準を素早く上げるわけだ。

 ただし、いくら気力を出そうと試みても、嫌気のほうが圧倒的に強い場合は、大して効果がない。

 こうした時には、やらなければという気持ちの水準を引き上げて、きっかけ刺激が効果のある状態にまで、持ち込むことが必要となってくる。

 やろうという気持ちとやりたくない気持ちが四対六、あるいは五分五分の状態になれば、後はきっかけ刺激一つで、一挙に六対四、七対三の状態に持っていくことが可能で、今までとは見違えるほどの気力や集中力が出てくるのである。

 きっかけ刺激によって、精神の緊張を瞬間的に高めてやると、その勢いで気力や集中力も急上昇していくわけだ。

 ところが、残念なことに、人間の気力や集中力というものは、いつまでも続くものではない。疲労などによって、水準が次第に落ち、やがてまた、気力と嫌気が五分五分に近くなってきて、仕事や勉強の能率も、当然のことながら落ちてくる。そうなったら再び、「やらなければいけない」という気持ちに刺激を与えることが、必要になってくる。

 人間が行動を起こす前だけでなく、行動中、作業中にも自分にうまく刺激を与え、気力や集中力、元気を復活させてやることも大切なわけだ。この途中のきっかけ刺激がうまくいけば、長時間の仕事、勉強にも精力的に取り組むことができる。

 また、気力というものは、自分で出すばかりでなく、人から出してもらうという方法もある。昔の軍隊で精神を鍛えるためと称した体罰や、スポーツのしごき、特訓を思い浮かべると、自分が失敗した時の他人の罰が怖くて精神が緊張し、「やらなければいけない」という気持ちが高まることも、一概に否定はできない。

 一般的な例を挙げれば、職場の雰囲気がたるんできた時、上司が大声で一喝すると、全員ピリッとして、仕事に身を入れるようになったりする。部下たちからすれば、上司からやろうとする気力を出してもらったわけだ。

 このように人から気力を鼓舞してもらうのも、決して悪いことではないにしろ、あまりに他人にばかり頼っているのも問題である。常に他人に依存していると、一喝してくれたり、叱ってくれる人間がいなければ、肝心な時に、気力や意欲、元気や集中力を出せないということになりかねない。

 よく指摘されているように、日本人は集団で行動しないと不安になる傾向が強いが、気力を鼓舞することばかりは、他人に頼っていたり、他人と同じことをしているだけでは、なかなかうまくいかないのである。

 なぜなら、どんな気力の出し方が効果が高いかということは、人によって個人差があるのだ。太郎にとっては、効果の高い気力鼓舞法でも、次郎にとってはそうでないということも、決して珍しくはないのである。

 人間が重要な仕事に取り組む時、好敵手打倒の闘志を弾みに気力が出るという人もいれば、成功した時の充実感を想像することで気力の出る人もいるだろう。

 どんな方法がいい悪いの問題ではなく、それぞれの人に適した方法があるということである。

 つまり、自分が気力を出すには、人のまねをしているだけでは駄目だということで、やはり、最初は試行錯誤しながらも、自分にとって一番効果の高い方法を探していくしかないだろう。

ホームへ戻ります コンテンツのトップへ戻ります ページのトップへ戻ります

ホームへ戻ります コンテンツのトップへ戻ります ページのトップへ戻ります

●気力を鼓舞するタイミングがある

 事に当たっての、自分に適した気力の出し方があるとともに、その気力を鼓舞する適当な好機、タイミングというものもある。

 スポーツの監督などは、試合中、それまでの練習で選手たちが得た力を十二分に発揮させる気力の出させ方に習熟しており、とりわけ活を入れたり、気合を入れる間合いをはかるのがうまいものであるが、この気力の鼓舞のタイミングが早すぎると、かえって自軍の選手たちの気力や集中力、闘争心が中断され、意欲に水を差すようなことになったり、監督自らに反発を感じさせるようなことになりかねない。

 逆に、タイミングが遅すぎれば、選手たちもすっかり無気力になり、試合の流れも、もう取り返しがつかない不利な展開にまでいってしまったりする。

 この点、名監督というものは、選手たちの動きや表情を見て、その心理をはかり、いつ、どんなタイミングで発奮させればいいのか、よく心得ているものである。

 ともかく、せっかく気力を鼓舞しても、その呼び起こし方によっては、効果が全く生きてこないことがある。気力は、ただめくらめっぽう鼓舞すればいいというものではない。

 タイミングについて考えてみると、気力の鼓舞というのは、瞬間的な起爆剤である。気力の鼓舞、きっかけ刺激によって起こる気力や興奮、集中力は、そうそう長く続くものではない。その効果が持続するのは、うまくいって二、三時間といったところであろう。

 そこで、気力の鼓舞は普通、今から事を始める直前や、ここからが正念場だという直前に行うのが、最も効果的ということになる。

 一例を挙げれば、午後から重要な仕事が待ち構えているという日に、朝から「さあ、やるしかない」と、いくら入れ込んでも、その気力や集中力が、そのまま午後まで持続することはなかなかないはず。

 むしろ、あまりに早くから意気込んでしまうと、肝心な時になって疲れてしまい、力を発揮できなくなってしまうのが世の常だ。

 これから何か大きな商談をしたり、人前で話したりするという時は、もちろん直前に気力を奮い起こせばいいわけだが、気力の鼓舞が必要になってくるのは、こうした直前ばかりとは限らない。

 すでに述べた通り、ある程度継続して行う仕事などの場合は、途中で鼓舞し直す必要が出てくる。この途中で気力を鼓舞するタイミングは、一般に「気力がなくなってきたな」、「何となくダレてきたな」と自分で感じられる時だが、事務仕事をしている場合など、能率が落ちてきたことになかなか気付かず、そのまま惰性で続けてしまうことが、往々にしてあるもの。

 自分ではわかりにくい、気力を入れ直すタイミングを知る一つのコツは、仕事のちょっとした区切り目を活用することである。仕事中に電話がかかってきて、作業が一時中断したような時や、書類を作成していて、一枚目を終わって二枚目に取り掛かるような時が、この区切り目に当たる。

 このような、今まで集中してきたことから一瞬、意識が離れるような際、再び作業に戻る前に軽く気力を鼓舞すると、次の仕事が順調に運ぶものである。

 その方法は、自分の体を手で軽くたたいたり、洗面所へいって冷たい水で顔や手を洗うなどの物理的刺激でもいい。仕事に集中している周囲の人を見回して、自分の心に活を入れるという心理的刺激でもかまわない。

 もちろん、この軽い気力の鼓舞は、何時間に一度というようなことを決めずに、一つの仕事を続ける間、思い立ったら、何度行ってもいい。

●肉体の充実が気力、元気の根源である

 ここまで、「成し遂げよう」、「やり遂げよう」とする気力を鼓舞するための、さまざまなアイデアを述べてきた。

 実際の仕事や勉強の場などで、それぞれ自分に合った方法を取り入れてもらいたいものであるが、人間はいくら気力を出そうとしても、肉体的条件が整っていなければ、意思だけではどうにもならなぬことも忘れないでもらいたい。

 「歯が痛い」、「目が悪い」、「頭痛がする」ような状態では、どうしても気力は半減してしまう。それほど、肉体と精神は密接に結びついているのである。

 体調の悪い人に「身を入れて仕事をしろ」などといっても、それはもう仕事というよりも、難行苦行のようなものだろう。何はともあれ、体の不調は治してしまう以外にないし、病気でなくても、日常から自分の体調のことはよく知って、肉体を十分に整えておく必要がある。

 どういう状態の時に心身がすっきりして、仕事や勉強に打ち込めるかをつかんでおくことも、気力を奮い起こす上で大切なのだ。

 悪い例を挙げれば、食事に関して「腹も身の内」という言葉があるように、「早飯も芸の内」とばかりに、状況も考えずにただ御飯を詰め込むという人は、自分の体調のことを何も考えていない。

 満腹状態というのは、生理的欲求が満たされて、精神の活動が鈍くなっている状態でもあり、とても仕事に向かう瞬発力など生まれてこない。では空腹がよいかというと、これまた本能的に食餌(しょくじ)行動の欲求が起こり、集中力は出てこない。

 生理学的には、満腹時から空腹時に移る程よいおなかのすき具合の時に、思考活動が高まることになっているから、食事は腹八分目くらいにとどめておかないと、大事な仕事をしくじることにもなりかねない。

 そこで、食事の際には、適量の食べ物をよく噛んで食べることが大切。よく噛めば、おのずと腹八分目の限度がわかってくる。

 多くの人は、百グラムの食べ物を食べる時に、十だけ咀嚼(そしゃく)し、十の唾液しか出さずに、ガツガツと食べてしまう。これが五十グラムの食べ物であっても、五十の咀嚼と唾液を加えて完全な食べ方をすれば、すべてが完全燃焼して、素晴らしいエネルギーに変化するのである。

 腹八分、バランスのとれた物を少しずつ食べることである。淡白に味をつけた小食をよく噛めば、まことにそのものの味が出る。人生の味も腹八分の心構えを、平素身に着けることだ。

 「食べ物がおいしいから」といって、たくさん胃の中に詰め込めば、胃はいっぱいになって胃液すら分泌できにくくなってしまう。相当長い時間をかけないと消化しないのに、次の食事時間がくれば、また食べてしまうから結局、胃が重いとか、もたれるということになるのは当たり前なわけである。

 胃というものは、食べ物を消化するだけではなくて、生きていく上の意識に非常に大きな働きを持たされているから、胃がもたれ、気分がすぐれないなどということは、みな心の受ける悪影響、自己意識となるのである。

 一方、よく噛んで食べれば、腹いっぱい食物を押し込まずとも、少なめの量で栄養分が必要なだけ吸収されるものであるし、そのほうが胃に負担にならず無駄もないし、力も出るものである。

 さらに、よく噛んで食べれば、あごの筋肉の伸縮で大脳を刺激する信号が送られ、ストレス解消にも有効なのである。

 

ホームへ戻ります コンテンツのトップへ戻ります ページのトップへ戻ります

ホームへ戻ります コンテンツのトップへ戻ります ページのトップへ戻ります


Copyright 2003〜 kenkosozojuku Japan, Inc. All rights reserved.