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∥目標を掲げる必要性∥

 

■先の先を読み取ること、壮大で、かつ綿密な先見性を身に着けることも、大切となる。■

 そもそも人間の体は、働きそのものである。仕事や勉強に忠実、勤勉の毎日を積めば、将来の生活の基礎となる自己というものが、自然に確立するのである。

 その点、一日一日を大切にすると同様に、自らの将来のことでも、自分の家庭のことでも、会社の仕事や経営のことでも、先の先を読み取ること、壮大で、かつ綿密な先見性を身に着けることも、大切となる。長い単位としては二十年後、中期では五年から十年後、短期でも一年から二年先までの状態を見詰める。

 二十年先には、どうなっているか、どうすべきかと考える。そのためには十年後には、どうなっていなければならないか。その十年後の自分や家庭や会社の理想の状態を可能にするには、一年後には、どう進展していなければならないか。さらに、そのためには明日、そして今日、やるべきことは何かを考える。

 二十年後という大きな展望から、今日やるべきことまでを考えるのである。二十年後の状態というのは、まだボンヤリとしか見渡せないだろう。

 しかし、それを十年後、五年後、一年後といったように細分化してゆくと、今日やるべきことにたどり着く。つまり、今日一日の実行すべきことというのは、一見見えないようであっても、実は二十年後にちゃんとつながっていくのである。

 こういう将来展望という大目標、今日一日やるべきことという小目標は、人間にとって非常に大切である。人間は目的に向かってこそ、努力をしたり、苦労をしたりできるもので、それこそ雲をつかむような漠然とした状態では、やる気の出しようもない。

■目標を明確にすることによって、やる気が確たるものになるし、目標があってはじめて、生きがいも生まれるのである。■

 目標は大切だが、あまりにも現実離れした高い目標を掲げてしまうと、人間はその能力を発揮できないものである。

 目標が適度だった場合には、人間は「よし、やってやろう」とやる気が出る。それが大きすぎたり、高すぎたり、漠然としたものでは、気持ちがついていかない。

 成功した人の話を聞いてみると、大目標と小目標の使い分けがうまい人が多いものである。「絶対社長になろう。会社を十倍にしてみせる」などと、十年後、二十年先の大目標はもちろん持ちつつ、「まず、この目の前にある仕事を成功させるのだ」、「今度の商談は絶対にまとめてみせる」と、ちゃんと目に見えやすい小目標も同時に持っている。

 つかみやすい単純な目標は、人間に力を与える。「頑張れば達成できそうだ」と思えれば、気持ちが前向きになるのである。

 誰もが「どうしても、これをしなければならない」と没頭し、成功した体験があるはずだが、それは目標が明確であったからである。

 成功したいという決心、それに向かっての情熱、やる気、想念が人生における成功のカギであるが、目標を明確にすることによって、やる気が確たるものになるし、目標があってはじめて、生きがいも生まれるのである。

 生きがいとなる大目標についていえば、例えば金持ちになりたいという気持ちは、人間誰にもあるはずだし、また努力もしているだろう。しかし、ここから先、アプローチの仕方が重要なのである。

■自分の能力以上と思われる大きなテーマを目標として、「やってみよう」と決断し、全力で取り組むことが、人生においては大切である。■

 企業内で出世することによって、大目標を達成するのか。事業を起こして、金持ちになるのか。あるいは、プロのスポーツ選手や音楽家などを目指して、実現しようとするのか。

 方法は多様であり、どれを選択するのかをまず決めることから、スタートしよう。その上で、私の若かりし頃のように実業家を目指すのであれば、何年先に自社所有のビルを持つのか、持つとすれば何階建てにするのか、場所はどこにするのかなどと、できるだけ具体的にしていくのである。

 学者になりたいということであれば、専門の分野は何か、どの大学で教えるのか、はたまた、世界最先端をいく学者としてノーベル賞を目指すのかといった点まで、明確にすべきである。

 また、目標は一つでなければならぬわけではない。それどころか、学校や仕事における目標、家庭生活における目標、さらにはトータルなライフスタイルでの目標と、異なる方面ごとに目標を掲げ、それぞれの達成へ向けて積極的に挑戦し、人生の春夏秋冬に渡って情熱を傾け続けることも、真に有意義である。

 人生における目標は、大きければ大きいほどいい。あまりにも現実離れした目標であってはならぬが、自分の能力以上と思われる大きなテーマを目標として、「やってみよう」と決断し、全力で取り組むことが、人生においては大切である。成功している人はすべて、その道を通ってきている。

 逆に、小さな目標を設定し、それすら達成できなければ、計り知れないほどのダメージを受け、立ち直るのに時間がかかる。

■人間は目標を突破するたびに、自信がついてくるものである。目標を一つ越えるごとに、積極的で、たくましい、やる気人間に変身していく。■

 大きな目標を掲げた場合は、当然のことながら、自分の能力との食い違いを埋める努力をしなくてはならないし、挫折感を味わうことにもなろう。だが、努力を繰り返してこそ、人間の能力、才能というものは磨かれていくのであり、運命は開かれるのである。

 その上、人間は目標を突破するたびに、自信がついてくるものである。目標を一つ越えるごとに、積極的で、たくましい、やる気人間に変身していくのだ。

 別の言葉でいえば、大きな目標に向かうということは、苦難の連続でもあるわけだが、挫折や苦難を突破するたびに信念がより強固になり、自分でも気付かなかった潜在能力が次々と開花したりもするのだ。胸に抱く夢の大きさが、その人の将来の大きさを決定する、といってもよい。

 つまり、有名大学への入学、一流会社への入社といった近い将来の目標を設定するとともに、十年後、二十年後を見据えた大きな目標、人生においてかくありたいという目標を掲げることが、大切になってくるのだ。

 同じ高さの山を見ても、一方は「大きな山だ」と感じて引き返し、他方は「とにかく登ってみよう」と挑戦する。いうまでもなく、大きな成果、成功を手中にすることができるのは、後者のような積極的思考の持ち主である。

■目の前に立ちふさがる山や障害の多くは、自分の考え方一つで高くもなるし、低くもなる。■

 おそらく現実には、自分の置かれている状況や実力からして、目の前に立ちふさがる障害を突破することは困難であるし、どう考えても目標を達成するのは至難と思っている人も、多いことだろう。

 なぜ消極的思考に捕らわれ、やる気を失ってしまうのか。なぜ悲観的に考え、前に進もうとしないのか。

 目の前に立ちふさがる山や障害の多くは、自分の考え方一つで高くもなるし、低くもなるということについての、認識が浅いからである。積極的思考がいかに大きな力を与えるかということについての、理解が足りないからである。大きな目標を達成することは不可能なのではないかと恐れていては、いい結果は決して生まれない。

 楽観的、かつ積極的に、「山は登れる。必ず成功する」と確信して取り組むところに、宇宙の真善美楽・健幸愛和の法則が働き、創造的で無限の供給を得て、事をなし得るのである。

 この点、成功者と呼ばれる人物は、並外れた努力家であり、やる気、忍耐力、あるいは信念が強かった人たちである。一方、何をやっても成功しないという人は、あまりにあきらめが早く、不可能という言葉に慣れすぎているだけだといえる。

 ここで認識すべきは、目標を明確にしたら、次は目標達成に一歩でも近付こうと真剣な姿勢をとること、我慢強く努力すること、信念を持って行動すること、それが成功へのステップであるということだ。

 しかし、注意しなければならないことがある。成功するためには努力や忍耐力が確かに必要であるが、それらのみで成功することはできないのである。成功する条件は、単なる努力、忍耐力、意欲といったものだけでは満たされないわけだ。

■■自分の描いている目標や夢を達成させるには、背水の陣を敷いて当たるとともに、強く念願し、祈る方法も有効。■■

 反面、たとえ意志が弱い人でも、自信を喪失している人でも、目標をかなえることは可能なのである。

 その成功の条件、原動力となるのは、「どうしても目標を達成させたい」という切羽詰まった気持ちである。「もう後には一歩も引けない」と、ぎりぎりまで追い込まれたことによって、引き出される気持ちである。

 これはまさに、絶体絶命の立場にあえて身を置くという、背水の陣における決意であるし、必死の覚悟で事に当たる時、私たち人間は素晴らしいエネルギーを発揮できるのである。

 人間が自分の描いている目標や夢を達成させるには、背水の陣を敷いて当たるとともに、強く念願し、祈る方法も有効である。

 「どんな困難があろうとも、必ずやってやる」と、自分の潜在性の無意識、空意識に何かと祈り込み、刻み込んでおくと、時を得て実現して現れるということが、実際に起こるのである。

 そもそも、人間の肉体に刻み込まれた記憶というものくらい、しぶとく、根の深いものはない。いい年をした、屈強の男性の中にも、思い掛けず高所恐怖症だったり、水を怖がったり、稲妻に出合うと全身の血の気が引いて真っ青になったりする人がいる。対面恐怖症の人や赤面恐怖症の人も、潜在性の無意識、空意識に刻み付けられた根深い記憶が、時と場合によって、よみがえってしまうのである。

 その種のマイナスの記憶が、肉体内の無意識層、空意識層に刻み込まれるならば、人間の願望を込めた積極的な祈りもまた、刻み込むことが可能なわけだ。

■思いを固く観念として維持していれば、自然にその人の表情を操作し、その人の人相を形作り、その人の発する言葉の端々にまで反映されるものである。■

 「そうありたい」と潜在性の意識に刻み込み、心に念じたことが実現する、かなうという願望の実現もある。

 念願、あるいは観念という意識は、それだけでは抽象的で、無力で、実体のない自己満足のようなものであるが、持ち方いかんでは、人間の一生を左右するほどの力を有することもあるのだ。

 毎日毎日、同じ思いを心の中に持ち続けていると、文字通り身も心も、その思い通りになる。さらに、思いを固く観念として維持していれば、自然にその人の表情を操作し、その人の人相を形作り、その人の発する言葉の端々にまで反映されるものである。

 かくして、やがて観念の力が強まり、意思の力を上回るようになってくると、徐々にその人の願望が宇宙天地大自然の心に強く刻み込まれていき、いったん宇宙の心に刻み込まれたものは、いかなる障害があろうとも、ついには現実のものとなるのである。

 つまり、人間が念じ、祈ることによって、人間を成功に導く力が流れ込み、驚くべき力が備わるのである。

 宇宙天地大自然の心には、人間の念願、選択など心の中に描かれたものを受け取り、それを現象の世界に造形する原理がある。宇宙の心には、無限の力が潜んでいるのである。

 無限の力を引き出すのも、引き出さないのも自分次第であり、「必ず実現させる」、「きっと夢をかなえる」と念願し、祈り、宇宙の心に強く刻み付ければ、いつしか現実のものとなるのである。

 もちろん、小さな願望や夢であればすぐにでもかなえられるが、大きな願望や夢が実現するには、かなりの時間が必要。夢の大小によって、実現する時間の違いはある。

■■自分に切実で他人に打ち明けにくいような願望も、朝の寝床での半意識状態、夜の眠りに入ろうとする直前を中心に、どんどん言葉に出して念じ、よいことばかりを願って暮らせばよい。■■

 いずれにせよ、もし宇宙の心のエネルギーが自分の元にやってこないというのなら、念願が足りないか、念願の仕方が間違っているかのどちらかだ。

 正しい念願の仕方、祈りの仕方について述べれば、一回一分間、少なくとも朝と夜の二回、できれば四、五回、心と体をリラックスさせて、宇宙の心に届くように願望や夢の実現を想念することである。「ぜひともやってみせる」、「必ず実現させる」と念ずるのである。

 その際、目標達成を図形化してイメージしたり、睡眠の直前直後に実行すれば、より効果は大きくなり、実現の時期も早まる。また、想念を送ったり、瞑想(めいそう)するだけでなく、言葉に出して確認することも大切。

 例えば、「人前でもっと上手にしゃべりたい」とか、「記憶力や創造力をもっと伸ばしたい」、「美しくなりたい」、「健康な肉体を作り出したい」といったことなど、自分に切実で他人に打ち明けにくいような願望も、朝の寝床での半意識状態、夜の眠りに入ろうとする直前を中心に、どんどん言葉に出して念じ、よいことばかりを願って暮らせばよい。不思議と願いがかなうのである。

 重要なのは、積極的な心構えを培い、想念するということである。「できないのではないか」、「私には到底無理だ」というような消極的、否定的な考えを一切、排除することである。

■素晴らしい前途を切り開く道を妨げているのは、ほかならぬ自分自身の心の中に原因がある。■

 消極的な考えを捨て、「できる」、「やってやる」と積極的に想念し、宇宙の心によい情報だけを送る。それが願望を達成し、成功を実現する近道なのである。

 「どうせできやしない」、「やっても無駄だ」と失敗を恐れたり、やる気を失ったり、前途を悲観ばかりしていれば、それらマイナスの情報も潜在性意識に刻み込まれ、やがて現実の世界に具現化されてしまいかねない。

 極端なことをいうなら、「私は貧乏だ」、「不幸だ」と常々口に出している人は、貧乏から抜け出せないし、不幸にもなる。ホラ吹きといわれても、「私は金持ちになる」、「幸せになる」と公言し、心の中で思いを強くして、潜在性意識に刻み続ける人は、金持ちになり、幸福にもなる。

 つまり、宇宙の見えざる真善美楽・健幸愛和の法則からすれば、誰にでも洋々たる未来があり、限りない能力が備わっているにもかかわらず、素晴らしい前途を切り開く道を妨げているのは、ほかならぬ自分自身の心の中に原因があるということになる。

 消極性や恐怖心、弱点やコンプレックスなどを克服し、自己に対する自信を身に着けなければ、成功はあり得ないということである。

■積極的、肯定的な一種の自己暗示法による想像は、そのまま創造につながるのだ。ここに人間の偉大性があることを、知らなくてはならない。■

 念願、祈り、想念というのは、どうしても願いをかなえたいという真剣な気持ちと、絶対にかなえられるという信念、すなわち、積極的な心構えとやる気に満ち、実行するところに、最大の効果が発揮される。

 一般に、「運がよくない」とこぼしている人は、潜在性意識の底に焼き付くほどの強力な、統一された願望や希望がないのである。

 一方、「これが第一の人生目標である」と断言できるほどの人は、その目標は半ば成就された、といっても過言ではない。現象世界ではまだ成就されていなくても、目に見えない空の世界においては、実現のための作業が着々と、進められているからである。その作業は、宇宙の力がやっているのである。

 人間というものは真なる力を活用して、生命を奮い立たせるような願望を持ち続ければ、自分を思うような人間に改造することができる。「人間の理想は、こうあるべきである」と心の中で考えた時、すでにその人は神性を発揮したといえる。

 積極的、肯定的な一種の自己暗示法による想像は、そのまま創造につながるのだ。ここに人間の偉大性があることを、知らなくてはならない。

 

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