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∥体に適した食べ物1∥
●正しい食物とは何か
腹八分の勧め、続いて、よく噛む食事法を説いてきた。ここでは、腹八分に、よく噛んで食べるのに合った、正しい食物とは何かを中心に話を進めていきたい。
適した食べ物を知るには、まず、人間の歯と腸と両方の関係を見ればよい。それが裏書きしている。人間の歯は上下合わせて三十二本あり、門歯(切歯)八本、犬歯四本、前臼歯八本、後臼歯十二本が内訳である。
門歯は野菜や果物を食べるためのもの、犬歯は肉類を食べるため、臼歯は穀類を噛み砕き、すりつぶすために用意されたものと、それぞれの歯は特有の目的を持っており、数の割合を見ると、人間は全食物の八分の五を米、麦などの穀類、八分の二が野菜、果物、残りの八分の一が動物性蛋白質を取ればよいということになる。殻菜類が主食で、後は副食物なのである。
このことは、唾液の中でのでんぷん分解酵素、アミラーゼ活性の度合いが高いという人間の食性から見てもわかるし、人間の腸の長さから考えても、栄養学以前の自然の理とわかる。人間の腸は、大腸、小腸を合わせると八メートルくらいもあり、肉食動物と比べると大変長い。
主食の殻菜類が長い腸を通過する間に、その栄養を十分に吸収するという肉体の仕組みである。
だから、最近の日本人の食生活において、あまり多く動物性蛋白質を進めるようなやり方には、私は賛成できない。長生きした人は、やはり殻菜食で生きてきた人が多い。ビフテキばかり食うようになったら、動脈硬化になるとか、血圧が上がるとかで早く死ぬ。だいたい、胴長の日本人は腸がヨーロッパ人と違って長いなど、もともと体の構造が適応できていないのである。
体格のよくなった若者の間で、立ちくらみをするとか、骨がもろいとか、健康が問題になっているが、西欧型の肉を食べすぎる食事も原因の一つのようだ。
極端にいえば、それが体の調和を破綻させ、脳の働きにまで影響して、闘争的になり、犯罪の凶悪化、ひいては知性の低下をもたらす。美食が脳を破壊する。栄養のバランスをとくと研究しないといけない。
といっても、牛肉、豚肉、鶏肉、魚などから取る動物性蛋白質は体に必要な物であり、決して悪い物ではないが、摂取しすぎるとコレステロールを生じ、また、血液を酸性にする害があるため、野菜を多く食べるなどバランスを考える必要があるのである。
●血液の酸性化を防ぐ
我々の正常な血液は、平均PH(ペーハー)七・四の弱アルカリ性であるといわれており、そのことが生命体を健康に維持する最も基本的な条件になっている。もし血液が酸性化すれば、基本的な条件に異変を生ずることになる。すなわち、細胞個々の活動は低下し、ひいては内臓諸器官の活動にもおよんで活発な活動ができなくなるし、傷つきやすくなる。
だが、血液が弱アルカリ性で、内臓諸器官の作用が活発に行われている限り、ガンなどにかかる心配はないわけである。
血液がアルカリ性であるためには、大別して三つの条件がそろっていなければならない。
その第一は先の食物であり、第二は心の問題であり、第三は環境のことである。
第一の食物のことであるが、肉、米、砂糖、アルコールなどの酸性食に偏すれば、血液は酸性化に傾くことはいうまでもない。反対に、野菜、海草、果物などのアルカリ性のものを摂取していれば、血液は弱アルカリ性になる。自然の水をたくさん飲めば、血液もまた浄化される。
この点、野菜類、豆類などの植物性蛋白質ならコレステロールもなく、血液をアルカリ性にするので最上である。特に年を取ったら野菜を多くすることが大切で、動物性の物を食べたら、約三倍の野菜を食べること。六十くらいの年となっては、血液は絶対にアルカリ性でなければならない。
野菜の味の素晴らしさ、自然の味のわからぬ人に、味覚を談ずる資格はない。動物としての人間と、植物の関係も深い。若い人も、植物性の物を食べることだ。
ビタミンも必要だから、青野菜、特にニンジン、大根の葉、ホウレンソウを食べれば、カロチンという成分が腹に入ってからビタミンAに変わる。加えて、カルシウムを多く取ること。これには、野菜のほか小魚を多く取り、イワシなどは骨ごと食べる。ワカメ、コンブ、ヒジキなどの海草は、毎日食べること。バターや牛乳も必要。
第二の心の問題は、日常生活において、思うことが自分の意のままにならなかったり、嫌なこと、つらいこと、悲しいことのために、腹を立てたり、嫉妬をしたり、嘆き悲しんだりすると血液は酸性化に傾くのである。
結局、感情的に恐れ、おののき、嘆き、悲しむこと、希望を失ったり、失意、苦悩のため快々として楽しまなかったり、不眠や過労が続いたりすることは、すべて血液の酸性化につながることばかりである。
第三の環境の問題であるが、空気、飲料水、湿度、温度、それからくる公害の諸問題は、すべてが血液を酸性化する要因子である。
我々は環境に住み、食物に養われ、心の命ずるままの生活をしているのである。しかも、そのことは体内の血液に影響して、健康を左右する原因となっている。
だから、健康で長生きがしたいと思うならば、このことをよく頭に置いて、常に弱アルカリ性の健康血液を体内に回らせるように、合理的な生活をするよう努めねばならぬ。
だいたい、健康とは消極的な無病状態をいうのではなく、あくまでも積極的に進んで、自己を実現する根本態勢の整っている状態をいうのである。
それには快食、快眠、快通ということがいわれている。
文字通り、食べ物はうまく、よく熟睡ができ、毎日通じに滞りない状態こそ、健康体といって可なるものである。この状態が長く継続する限り、原則的には病気はないはずである。
誰もが、健康を軒昂(けんこう)に維持することは、その人自身の生活の幸福を意味するだけではなく、病気にすきを与えないことであって、両々相まって長寿につながる意味での大いなる人生意義がある。
●旬の食べ物の価値
食べ物の種類について述べてきたが、実は、私が本当に強調したいのは、食べ物は好き嫌いをせず、何でも喜んで食べることにある。
喜んで物を食べると、唾液作用が変わってくる。また、喜んで物を見る、喜んで物事を実践する、喜んで行動すると、能率が上がる。宇宙の森羅万象は、常に、喜びという形で存在するものである。その喜びというものは、生理的にいえばホルモンという形で体に作用し、影響してくる。
人間の食べ物は、地球上にいっぱい存在する。自然世界にこれほどの物が作られる。この自然の力を知るべきである。謳歌すべきである。感謝すべきである。
宇宙を知り、太陽を知り、真理、原則を知る時、生かされているという恩恵、大きな幸せを知ることができる。
神のお与えくださる物、それによって生かされているという恩恵を忘れ、不平をいうとか、不安な気持ちで食べる者は、恩を仇(あだ)で返しているようなもので、道理不明の罪が病を作る。
食べ物の種類によって、体の肥痩(ひそう)は起こるものではない。何程でも、この証言ができる材料がある。ただ、食事に対する正しい心遣いを忘れている者に下す、軽い神のご忠告であろう。
現代は物がありすぎ、食べ物の種類も多すぎるために、誰もが美食を好み味にうるさく、やたらにあれこれ暴飲暴食したがるものである。
本来、少し食べても楽しく、自然の味があるのに、若い時からたくさん食べる癖をつけて、それも油っこい物、味の強い物を食べて楽しかったような気がするから、淡い、自然の香りのある食べ物を食べても、その淡い味も、香りもわからないのである。
大相撲には、「チャンコの味が染み込んでいない」という言葉があると聞く。心も体もプロになっていない、という意をいい得て至妙。チャンコを口で味わっているうちはまだ素人相撲だ、体に染み込ませてはじめて一人前の相撲取りといえる。省みて、うわべの味に満足しているやからの多きことよ。
名コックの料理も、やたらに砂糖や調味料は使わないし、煮すぎることもない。程々のところ、素材の固有の味を殺さぬところである。
私にいわせれば、食べる物はどんな物でもよい。カロリーやビタミン計算にばかり心を奪われているのが、現代人だ。旬の物を、よく噛んで食べれば、何を食べても消化、吸収されて、立派な体ができてくるものである。
人間は金で物の寸法を測っているから、金のかかること、値段の高い物はみな尊いと思いがちであるが、大きな間違いである。こういう意識は、改めなければならない。
金のかかる物を食べるよりは、その時節、季節の時を得た物や、その所、所の「気」を得た物を食べるのがよい。
天候、気候、季節、時期というものに、それぞれの内容があり、折がある。その時節に一番たくさんとれる物、できる物を食べるのがよい。そうすると、生命力の弱い人であっても、夏でも冬でも耐えられるように、そういう食べ物、食べ方から、命が養われるということもある。
季節にできる安い物をよく噛んで食べる人には、ビニールハウスでできた高い物を食べる人よりも、よりコクがあり、利益があるものである。
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●人間にとっての新しい木の葉
昨今では、食べ物について、あれこれと論議する人が多くなっている。
神のお与えくださる自然食の中にはよい物があるが、人為的な物には反動や弊害、副作用があるから注意が肝心なことは確かである。人工着色料や防腐剤、人工香料、人工甘味料などは反自然の物質であるから、長い間には人間の自然の生理作用を狂わして、治療困難な成人病者を作り上げる。しかも、この本当の原因を、病者自身が知らないし、自覚しないのだから、一番始末に困る。全くの自業自得である。
現在、人為的な環境汚染は海にもおよび、魚介類にしても何PPM以下は食べても安全だといっても、魚によって、またその漁獲時期によっても違うと思われる。それをいちいち測定するわけにはいかないし、仮に安全基準に合格したとしても、その基準そのものが甘い場合もある。
公害物質には相乗作用、複合作用、蓄積作用があって、安全基準なるものも、各人の体質、体力などによって違ってくる。特に、公害物質の微量蓄積による慢性毒性は恐ろしく、一説には、生物濃縮による人体への影響は十一年目に最大に達するといわれている。異常体質、虚弱体質、乳児、老人などの場合は、その影響度も異なってくるであろう。
このように、今や世界中の関心を集めている公害は、誰にとっても無関係ではあり得ない。いくら山奥の清流のほとりに住んでいても、農産物や食品公害からは逃れられない。 この点、エンゲルスは「猿が人間になるに当たっての労働の役割」の中で書いている。「動物は新芽の果てまで食べ尽くすと、それまで食べたことのない新しい木の葉を食べ始める。そうすると動物たちの血液成分は変わり、その種は絶滅する」。
汚染された農産物や魚介類、あるいは科学の力で作り出された医薬品や食品添加物の入った食べ物は、我々にとっては「それまで食べたことのない新しい木の葉」ではないのだろうか。
近代科学は、例えばガン細胞を作るためにマウスを実験台にしてデータを取り、その結果を人間に当てはめようとする。しかし、人間の肉体組織は他の動物と形質的には似ていても、生命の本質で違っているから、データそのままを適用しようとしても駄目なものである。
だから、化学的に合成された薬品や、食品添加物などの安全性が動物実験で確かめられたからといって、必ずしも安心できるものではない。要するに、自然の食品以外はすべて生体にとっては異物であるから、一切使わないことが健康にとっての大原則である。
日赤の医者に、私の知人が食品添加物の影響について聞いたところによると、どの食品にも添加物はあるが、一番いけないのは防腐剤だそうである。
また、豆腐屋の元締めに聞いたところによると、パック詰めの豆腐をデパートやスーパーなどほうぼうで売っているが、四日も五日も持つように、防腐剤を入れてあるので体にはよくないから、買う時には豆腐屋へいって、水の中に浮かしてあるのを買うべきだという。
集団発生する奇病という名の気味の悪い病気などは、「安全性が高い」というあやふやな表現で使われている食品添加物や、未知の薬害による現象ではないのかと疑ってみる必要がありそうだ。
●心で食べず、体で食べる
化学的合成品の恐怖は、我々の身近なところに潜んでいることをさらに指摘したい。例えばビタミン剤である。
ビタミンというと健康の根源のようなイメージがあるから、多くの人々はあたかも護符のようなつもりで愛用している。だが、ビタミン剤といえども、やたらに飲んでは副作用の害のあることは当然で、そういう意味では、おまじないが物質化された護符より始末が悪い。科学の仮面をかぶった悪魔になる場合も、少なくないからである。
ビタミンAの過剰症にかかったらどうなるか。まず、食欲がなくなる。毛髪が抜け落ちたり、手足の節々の骨が痛み出す。時によっては、肝臓をやられてしまうことも珍しくない。
ビタミンAといえば、おなじみのニンジンやカボチャなど、赤い色をした野菜に含まれていて、これが不足すると俗にいう鳥目になったりする。野菜などに自然に含まれている物なら、少々食べすぎても害はないところに、巧妙な大自然の摂理があるが、人工の肝油などで補おうとして量をすごすと、往々にして中毒症状を起こすことになる。
改めて、化学的に合成された薬、食品添加物などというものは、原則的に毒であることを肝に銘じなければならない。
ところで、このように、はっきりと有害と判断できる人工合成品の害を説くのは正しいが、自然の産物としての食物それ自体について、「あれは食べてはいかん。これを食べよ」と説法する人が増えているのは問題である。
その説がそれぞれの解説者によって違うから、一般消費者はどうしてよいかわからない。これは、心で食べ物を食べようとする態度であって、不自然である。
自然の食品で、その人が食べておいしく、かつ食べた後の体の調子がよいならば、あえて無理な理屈を並べて、食品を厳選するほどのことはいらない。
肉体が欲する物は、何を食べてもよい。しかし、心でえり好みする食品は、時に〃造病〃食につながることがある。
正食は体で食べるが、心は舌の先で食べるから、時には、体に害になる物でも平気で食べたり、飲んだりする。
このような誤りを犯さないためには、常日頃から意識を正しくしておくことが必要である。
意識が正しく働けば、意識は肉体の五官から発生するものであるから、食物の選択においても誤ることはない。
自然の物を食べる自然食の考え方は、すでにギリシャ時代の哲学者たちも唱えており、その後も多くの人によって提唱されてきた。
だが、近年の自然食の大クローズアップの原因は、農薬による食品の汚染、発ガン物質、食品添加物の乱用などが、人々に不安感を与えたことにある。また、現代の薬害(医原病)、公害(企業害)の多発も、人々に自衛を迫った。人間の体にとって、一番よい食べ物は自然の食品であるということに、ようやく人々は目覚め、ちまたには自然食ブームが続いている。
その目的は大変結構であるし、方法も自然的、真理的であって、何もいうことはないが、実際面においては、人間心が介在、介入してくるために、手放しで喜んでばかりもいられない。
一つには、現代人の食事は、季節感を忘れて夏冬ぶっ通して野菜が食える、温室ばかりではなくて、冷凍施設を利用すれば、世界中の食べ物はいつでも食える。その恵まれの結果は、自然食ブームの陰で、飽食して肥満児を作り、恍惚老人を増やし、病気の種類も多く、病人の数も激増している。
●自然食愛用のための注意
飽食の現代人への警鐘として、少し前の昭和五十三年、奥多摩の入川谷にある東京都の水産試験場で、面白い話を聞いたことがあった。
ここでは主にヤマメとイワナを飼っていた。山間の渓流で生息しているものは五年かかって成長し、そして死ぬのだが、水槽で養育されたものは半分の二年半で成長し、そしてやはり死んでしまう。それ以上は生きられない。
魚に限らず、自然から離れ、常に保護され、労せずして食を得られる人間の命運も、かくのごとしではなかろうか。
そこで、正しい自然食愛用のために注意すべきことを二、三述べてみよう。
第一は、人間の体に合った自然食とは何かということであるが、これには必ずしも明確な定義はない。一般的には、自然にとれたままで加工しない物、さらに食品添加物や防腐剤などを含まない物という答えが返ってくるが、具体的な食品選択ともなると、人によって異論がある。
例えば、牛乳や卵は、BHCなどの公害物質に汚染されていなければ自然食と見なされるが、自然医学会などは、これらは本来、人間の生理に合わないものであるからと、自然食品のリストから外している。
第二は、レッテルに自然食品と銘打ってあっても、それが果たして本物の自然食品であるのかどうか、消費者にはわからないという基本的な問題である。農薬を使用しない清浄野菜、清浄果物といってみても、見た目にはわかりにくいから、作り手、売り手を信用するしか手はない。もちろん、この場合は、虫食いの跡があれば無農薬栽培である証明になるが、やがてそのうちに、狡猾な商人らは、人工的に虫食いの跡を作る技術を発明するかもしれない。
第三に、市販の自然食品には多種多様の物があるから、そのうちのどれが自分にとって最も好ましいのかを判断するのが困難であるということである。自然食であれば何でもよい、というわけにはいかない。朝鮮人参は強壮食として流行しているが、高血圧の人にはかえってよくないし、ニンニクも強精食であるが、多食すると、貧血を招くという医学のデータのあることを知っておく必要がある。
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