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∥よく噛む効用2∥

 

●知られていない唾液の働き

 詳細に説明すれば、唾液というものには、食物を消化、気化するための酵素のほかに、パロチンというホルモンが含まれている。唾液腺ホルモンが耳下腺から唾液とともに導管内に分泌され、再び導管中から吸収されて自由に移行することが発見され、後にその有効成分がパロチンと命名されたのである。

 このパロチンは、骨や歯の石灰化を促進させ、血中カルシウム量を低下させるなどの作用で知られている。これが欠乏すると、変形性関節症などを促すことにもなるのである。また、パロチンには老化を防ぐだけでなく、若返りにも大きな効果があることが、カルシウム代謝による実験データからも証明されている。

 次に、おなじみのウナギをはじめ、強精食品には特有のネバネバがあるが、そのムチンという蛋白質は、唾液にも含まれている。

 驚くのは、口の中に入ってくる物の種類に応じて、唾液はたちどころに、その有機成分の組成が変わってしまうということ。例えば、酸性食品の場合、唾液の分泌量は四倍になり、アルカリ性の有機成分がうんと増えて、うまく中和作用が働くといった具合である。

 私の知り合いで化学が専門の教授によると、唾液のぺーハーという酸性度を計ると、日本人は六・四と六・九に二つのピークを持っているという話であるが、唾液は人の心のように、絶えず変化しているものである。

 腹を立てると胃に悪いといわれるのも、唾液の有機成分がアチドージスに傾き、食べ物の消化が悪くなるからである。自己意識や心の状態によって唾液を変化させることは、好ましくない。五官の自然作用によって、自然のうちに変化に対応させれば、その機能を十分に生かすことができる。

 そして、日本人の成人は牛乳不耐症、乳糖不耐症といって、ヨーロッパ人などに比べると、腸内の乳糖を分解するラクターゼという酵素が非常に少ないといわれるが、牛乳を飲む時には、あわてて飲み込んだりせず、じっくり噛むようなつもりで唾液の分泌を促せば、下痢をしないですむものである。でんぷん質を消化するのも、唾液の働きなのだ。

 夜の眠りの中では、口の中の唾液も乾きがちのものだが、それは分泌作用を止めているからではなく、内分泌腺ホルモンとして肉体組織に働きかけているからである。

●生命保存の巧妙な摂理

 ここで忘れてならぬのは、虫歯を防ぐ唾液の効果である。砂糖の取りすぎなどから、小学校の低学年で虫歯罹患(りかん)率が九十とも九十五パーセントともいわれる通りで、現代人は不幸なことに、肉体の門戸で行われる歯と唾液との絶妙な交響楽が耳に入らない。それをすっかり忘れてしまっている。

 虫歯の原因となる砂糖は甘くても酸性食品であるから、体液を酸性にするといわれているが、もう一つ、大切な唾液の根を枯らしてしまうことに、気づいている人は少ない。

 砂糖を取りすぎると、早く老化してしまうのも、そのためである。扁桃腺(へんとうせん)が乾くと唾液の分泌が鈍るし、砂糖の摂取量に比例して、唾液の量は低下するのだ。 食べ物をよく噛むということは、唾液の効果で虫歯を防ぐばかりか、肉体の五官作用を旺盛にし、生理のみならず、精神衛生に資するところきわめて大である。

 かくいう私も子供の頃、甘い物が好きで虫歯が多く、五十歳頃には、どの歯もほとんど役に立たないようになった。従って、咀嚼力は常人の半分以下となり、胃腸の具合もすぐれず、体調は悪くなる一方であった。

 ちょうどその頃、感ずるところあって、人生の立て直しをはかった。そして、常人の三倍も五倍も噛むことを心掛け、体力も精神も誰にも劣らぬと自負できるほどに確立され、健全になったのである。

 ところで、食物を味わうために、唾液が重要であることは誰もが知っているだろうが、この唾液は食べ物を味わう時ばかりに出るものではない。

 においを嗅ぐ時も、唾液の作用によって、においの味を味わうことができる。犬や牛を見ても、唾液は消化作用として機能しているばかりでなく、においを嗅ぐ、何かを探す、ということにも役立っていることがわかる。

 つまり、唾液は生命をよりよく維持していくためにも、重大な役割を果たしているわけだ。人間も唾液が出なくなったり、少なくなったりした場合は、「生命力が乏しくなった、注意せよ」、と危険信号が出されている時なのだ。口中に随時分泌されている適量の唾液に負うところは、実に大きいのである。

 こうした何人も知らなかった摂理、私の説に、ようやく最近になって科学の裏づけが得られつつある。

 平成二年、農水省の食品総合研究所が、人間の唾液に、動脈硬化や老人性痴ほう症の原因物質として注目されている過酸化脂質や、細胞や遺伝子を傷つける活性酸素の発生を防ぐ効果があることを突き止めたのである。

 唾液は、消化や殺菌の働きのほかに、生命保存の著しい効果を持っていることが、生理学的にも証明されたわけだ。

 ネズミの唾液には、酸化を防ぐ主役の尿酸がない。ネズミが二~三年、人間が八十年という寿命の差には、唾液の成分が関係しているかもしれないという。

 人間の場合も、唾液の分泌量は老人になると低下する。だから、老化防止には過食を避け、よく噛んで唾液を多く出し、唾液ホルモンという若返りの妙薬を活用すべきなのである。唾液の中にも、長命の秘密が潜んでいるからこそ、よく噛むことを勧めるのである。

 その他、唾液の成分として、各種のビタミンや制ガン作用のあるペルオキシダーゼもかなり含まれているから、よく噛むことにより、ガンの予防にもなる。

 加えて、年を取るに従い血圧が高くなりがちなものだが、唾液の中には血圧を下げる物質が、自然に増えてくるようになる。無論、低血圧の場合には、その逆の作用が働く。

 このように、よく噛むことは、一般に考えられている以外に、多くの効用が明らかになっている。これも自然の巧妙な摂理といえよう。

●口を通して宇宙の「気」を受ける

 肉体のホルモンの中で、唾液ほど重要なものはない。実際に、唾液は万病薬、老衰の予防薬なのである。

 食事の時に百回ずつ噛んで食べたら、神経痛やリウマチまで治ってしまったという、アメリカの臨床例もある。これなども、唾液の働きが単なる消化作用だけにとどまらぬことを、生化学的に証明している話であるといえよう。

 次に、「寝る子は育つ」といわれるように、眠っている間は唾液が成長ホルモンとして働くことも、生化学的に証明されている。

 新生児というものは、唾液がありあまっているから、ヨダレを流している。生命力にあふれる幼児の時代も、唾液の分泌は盛んである。生命の核ともいうべき細胞を、日々新たに製造しなければならない時期には、唾液はおのずから濃厚に、豊富になってくるのである。これも、肉体自然の摂理なのである。

 成人するにつれて、次第に唾液の出方が少なくなるのは、肉体的な成長が止まったためというよりも、むしろ、自然作用の発生を自己意識が邪魔をして、唾液腺を枯らすなどしている場合が多いものである。

 もう一つ、唾液には重要な働きがある。それは空の世界からくる「気」の働きを助けるものだが、そのことを知る人は少ない。

 口を働かせること。五官の一つである口を十分に働かせて、口を通して宇宙の「気」を受けることである。「気」の中から作られるエネルギーによって、唾液から唾液ホルモンが作られる。それが肉体細胞の収縮運動を助けるのである。

 肉体というものは、自覚のいかんを問わず、無限宇宙とつながることのできる唯一無上の存在なのであるから、口の働かせ方をおろそかにしてはならない。

 人生は、エネルギーの消耗と補給の連係プレーである。補給のために、すぐ食べ物を問題にするが、食べ物からエネルギーを取るだけでは、それほど効率はよくない。夜の眠りの中で、口など五官を通して宇宙エネルギーを吸収し、大呼吸、自然運動で宇宙の「気」を吸収する。これが最も効果的な補給法である。食べ物を味わい、消化、吸収するためにも、肉体が健全、賢明な宇宙性を備えていなければならない。

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●唾液と胃液の相関関係

 今まで述べてきた唾液と胃液との関係に話を転ずると、唾液と胃液は相関関係にあって、同時に連動している。唾液が十分に出ていれば、胃液も適当に分泌され、食物は無駄なく、消化、吸収されている。唾液、胃液が十分に出ていれば、肉体エネルギーは無尽蔵に豊富に湧き出るものだ。

 胃というのは消化器官であるばかりではなく、感覚を持っており、よい意識を作り出す機能もある。胃と意との語呂(ごろ)合わせではなく、古人の説にも「胃の気は元気の別名なり」とある。

 胃の働きには、中枢神経とか感覚神経、脳神経というような、脳細胞で行われるということが存在している。

 しかし、人間は意識が強すぎるために、胃というものは、ただ、物を消化するだけの器官だというくらいにしか考えていないものである。これ以外には何もしていないと思っているが、実は、そうではない。

 肩が凝るというが、その肩の凝りというものは、胃の動き、働きに通じているものだ。肩が凝っている時は、胃の働きも衰えているもの。だから、胃を押すことによって、肩が楽になってくるということもある。胃の機能が回復すると、肩の凝りはなくなってくる。

 そして、唾液、胃液が十分であれば、腰がしっかりする。腰がしっかりしていれば、自然に足もシャンとする。老化現象は足、腰から始まるものだから、常日頃から、唾液の出方には注意を払っておくべきである。

 この点で、今の人間は、唾液の分泌も、胃液の分泌も少ない。そのためガスの排出ができず、また、体内に多くのガスを作ってしまうことになる。

 もしも、胃が完全に働き始めると、煩わしいことは、気にならなくなってくるものである。胃は精神面の煩わしさとか、自分に関係ないものは感覚して受け入れないというような、機能的な面の働きもするからである。それが、人間の味、能力ともなる。

 人間は食べ物を口で味わうから、胃に入れば味はないかといえば、胃の中でも味わうことができる。

 胃というものは、食べ物を食べない時でも適当に胃液を出して、生きる上の上半身の細胞に力を与えている。消化ばかりが胃の働きではない。唾液でも胃液でも同じことがいえる。消化や吸収といった作用ばかりでなく、生きるための適当な分泌が続けられているわけである。

 こういう胃の中に固形物がたくさん入ると、唾液の分泌は逆に少なくなる。唾液が働かないから、ますます消化が悪くなって胃腸を壊したり、体全体の機能をダウンさせてしまったりするものだ。

 食べすぎ、あるいは寝冷えといった自然的な面に対する胃の感覚は、非常に鋭いのである。

 このことから考えても、育ち盛りなのだからといって、子供たちにやたらと腹いっぱい食べさせる習慣は、意識や知識が作り出した先入観念的行為にすぎないことがよくわかるにちがいない。

 大人でも、胃に食べ物のある時は、自由な発声も、表現も、できるものではない。これは一般芸術家にもいえること。日常の仕事をする時にも、胃がもたれていては、体いっぱいの働きはできない。

●もう一つの胃の働き

 さて、人間の自我性という自己意識は五官から入ってくるが、これは胸や胃のあたりで止まって感情になったり、自己意識すなわち心になったりする。自己性の強くたくましい人は、逆上したり食べた物を吐き出したり、まことに頼りないものである。

 自己意識から妄想が生じると、それは胃に作用して胃病の原因になる。胃病の七十パーセントはストレスからといわれるのは、そのためである。

 胃がやられると、感情が胸いっぱいにたまるようになる。圧力が胸を圧迫し、心臓を苦しめるから、不安が絶えずに小心翼々と生きねばならない。

 すでに説明した通り、胃というものも食べ物を消化するだけではなくて、生きていく上の意識、生きるという問題に非常に大きな働きを持たされているから、胃がもたれ、気分がすぐれないなどということは、みな心の受ける悪影響、自己意識となるのである。

 一方、腹の中心、中核は胃と腸であるから、胃と腸がよく働く時には、他の内臓器官がことごとくそれに調和し、呼応して働く。病気になるなどということはない。

 内臓器官のそれぞれの分業的役割が統一されて、健全に働くようになれば、何を食べても完全に消化、吸収される。あえて栄養を考える必要もなく、ぜいたくな食事を選ぶ必要もないということになる。

 高い物など食べなくてもよい。豪華な物にとらわれる必要がない。キャベツが安ければキャベツを食べる。肉が高くて食べられなければ、安い魚を買ってきて、よく噛んで食べさえすれば、すべて、胃がうまく働いてくれる。

 素晴らしい機能を持っているものである。もし胃が働かなければ、その後、腸にいっても腸の働きがうまくできない。胃で消化し切れない物は、腸にいっても吸収できないわけだ。

 そういう人間の生理的現象は、人間の意識で働かせてやろうと思って動かしているのではない。

 例えば、胃の消化作用にしてそうである。空腹になるという現象にしても、人間の意識が空腹になろうと考えて空腹になるのではなく、肉体がそう命ずるから、そうだと気がつくのである。

 これは満腹になる場合でも同じで、満腹になるのは肉体のほうで、もうこれ以上は入らないという信号を出すので、腹いっぱいになった感じがわかるのである。

 また、仮に、よくない食事を意識は知らないで食べた場合などでも、肉体はちゃんとそれを知っていて受けつけない。下痢になって出すか、上に吐くかして悪い物を体外に出してしまうのだが、これは意識でやっているのではなくて、肉体がそれを知って活動しているのである。

 人間の肉体は、食べ物を口に含めば、ただちに唾液が流れ出し、それが胃袋に入ると、胃は間髪を入れず収縮作用を起こし、胃液を分泌して食物を消化してゆくという、消化器系統一つを取り出してみても、そこには、神秘としかいいようのない微妙な生理作用が働いているのだ。

●腸の選択力の妙について

 肉体の生理作用について話を続ければ、呼吸ははからわずして血液に酸素を補給し、腸の蠕動(ぜんどう)は食物を栄養たらしめているのである。

 最近の生理学の教えるところによると、消化された食物から栄養を摂取する長さ三メートルの小腸の内側は、無数の絨毛(じゅうもう)で埋め尽くされており、その表面積はテニスコート二面分に相当するという。さらに、一本の絨毛は約五千個の栄養吸収細胞からできており、小腸全体で千五百億個と推定される。

 目や耳など五官だけが感覚器官ではなくて、腸の感覚の強さ、選択力の妙は驚くべきものがある。こういう微妙な、不思議な働きは、胃にはできない。驚くべきは、人間の機能、働きの素晴らしさである。

 腸は生理的な器官であるが、感覚意識、精神的能力もあるから、その本来の働きは二つの使命、機能を持っているといえるのである。

 この腸は非常に吸収力の強いところであって、本来は食べ物を吸収することが専門であるが、空意識から入ってくる「気」を蓄えて肉体の力とする中心であり、その場合には、非常に大きな働きをするものである。

 そういう人間の腸の働きは、驚くべき力を持っている。機能をなしている。内臓器官の胃や腸は本来有能、有効のものである上、胃を取ってしまっても腸を食道につないでおけば、やがて腸は胃の働きをするほど大変な力を持っている。

 胃は胃液を分泌して消化を果たし、腸は消化と吸収を同時にするといってよいほど、最終的である。胃は食べ物を消化してもまだ形を残しているが、腸はその形の中から吸収する。後は残滓(ざんし)ばかりだが、吸収という力において、腸は素晴らしい働きを持っている。便に元の姿で出てきても、内容物は腸で吸収されているから、その力は強いものである。

 まずい物を食べて吐くというのは、腸の力によって、胃が吐き出すのである。こうした微妙な、不思議な感覚と働きは、空意識から入ってくる「気」の働きである。

 そして、腸の感覚の強さ、選択力の強さにも驚くべきものがある。五官だけが感覚器官ではない。この腸の微妙な、不思議な働きは、胃にはできない。

 私が以前に見たテレビの画像の中に、腸の感覚の強さ、選択力の強さを示すものがあった。金魚を飲んでそのまま吐き出したり、ガソリンを飲んでそのまま吐き出したりした男がいたが、それがそうである。

 飲み込まれた金魚やガソリンは、胃の中だけにとどめておくわけではなく、腸まで下げたのである。すると、腸は蓄えられてあった「気」でその内容がわかり、これは吐き出さなくてはならないものだと察知する。この吐き出すという腹全体の仕組み、仕掛けが、素晴らしい腸の感覚力、対応力なのである。

 腸の感覚というものは、非常に微妙なものであり、機能もまた優れた力を持っている。それが魂の場であるに至っては、人間の魂はどれほどの働きをするか想像にあまりある。 また、生理作用、精神作用、意識作用といったものの選択力、識別力などに至る場合は、驚くべきほどの素晴らしい人間の機能、働きとなるのである。

 例えば、気力はいったいどこから出るものかといえば、胃に食べ物のあるうちは、気力は出ない。胃が空になって腸に力が蓄えられる時に、腸から気力が出るのである。

 この肉体の下半身から、自然にエネルギーが湧き上がってくるような気合の人は、疲れるなどということはない。倦怠を覚えるとか、飽きるとかいうようなこともない。何らの障害を外部から受けることもなく、スムーズに人生を送ることができる。

 こういう人間になれば、腸が活発に働くだけでなく胃も丈夫だから、頭脳も明晰になり、体全体がバランスよく、すべてが当たり前に働くような人になる。

 

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