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∥よく噛む効用1∥
●食事をよく噛む大切さ
食事は一日に朝と晩の二回で、昼は抜いているという人もいる。空腹であろうとなかろうと、一日に三度と決めて食事をするのはあまり意味がない。時間や回数にはこだわらず、おなかがすいた時に腹七、八分目に食べることが、最も自然で合理的な食事法と考えているからである。
その代わり、二食の食事は、旬(しゅん)の食べ物をよく噛んでいただく。食事三昧に徹して、よく噛んで、噛んで、一生懸命噛んで、少なくとも一時間はかけている。これが実においしい。食べ物がおいしいということは、大変に幸せなことである。
同時に、よく噛んで体を鍛える。噛むことで唾液が十分に出る。唾液の効というのは非常に大きい。素晴らしい働きをして、体を養ってくれている。
その効用を大きくこの生命活動に取り入れているから、胃腸を悪くするということがない。体の器官が常に健康、正常に働いている。体が健全であれば、心は完全。静かに、素直に肉体に従う。
この噛むということの大切さを、現代人はどれほど知っているか。三千年ほど前にできた中国の「黄帝内経」という東洋医学の古典にも、「呼吸と咀嚼が完全になされるなら、人は百年生きることができる」と書いてある。
よく噛んでいれば、唾液の分泌が盛んになって、食べた物が口の中で十分に消化される。咀嚼によって、食物は小さく砕かれ、表面積が大きくなれば、消化酵素などが触れる部分が大きくなるから、それだけ消化しやすくなる道理である。
軽く考えて、よく味わいもせずに流し込んでいては、唾液が十分に働かないために胃が迷惑をする。精神の働きも弱くなってくる。
食べ物に対する観念、態度を正さなければならない。食事というものは、呼吸と睡眠と合わせた生命の三大作用なのであるが、それをただ肉体を維持するだけだくらいに思ってはならないのである。
だから当然、私の食事は、第一章で述べた量の問題、腹八分目に食べるということについても、十分に注意を払っている。
何を食べるかよりも量に注意せよ。食べすぎ、太りすぎは、成人病の最大の原因だといわれている。なぜ食べすぎ、太りすぎがよくないかといえば、食べすぎは消化器官に負担をかけ、太りすぎは心臓や肺に負担をかけるからである。
もちろん、食事の適量というのは、個人個人の体質や生活により異なる。スポーツ選手や重労働者と、普通の仕事に携わる人とでは違ってきて当たり前であるが、グルメな現代の日本人は一般的に過食ぎみである。
「病は口から入る」ということわざもあるが、うまい物があればつい食べすぎるのも、口が卑しいからである。必要以上に食べすぎると、意識がボンヤリして、仕事や勉強をするのが面倒になる。
何より健康を考えるなら、カロリーの面より、栄養の吸収力と排泄機能を高める工夫をしたい。
例えば、繊維質を多く含んだ食べ物などをよく噛んで食べれば、三分の二、ないし半分の量で腹が膨れるし、夕食の量が多すぎたり、食べる時間が遅かった場合は、朝食を抜いて胃腸を休めることも有効だ。東洋には、一日二食主義という健康法もある。小食主義を勧めるのは、体の機能増進、新陳代謝に役立つからだ。
●咀嚼は精神の営みである
食べ物をたくさん食べても、やせている人がいる。いくら食べても元気のない人がいる。一方、小食かつ粗食でありながら、まことにエネルギッシュに活動する人も多い。食べ物の分量だけが人間の肉体を作るのではないことが、よく理解できる。
誰もが腹八分の心構えを平素から身に着け、バランスのとれた物を少しずつ、よく噛んで食べることである。
腹いっぱい食物を押し込まずに、腹八分の自然の食べ物を口の中で気化するほどに、よく咀嚼することが大切。これは、物の味の真髄を極めることに通じる。咀嚼は単なる口腔の運動ではない。全身の営みであり、精神の営みである。
また、人の二倍も三倍もよく噛んで、口の中である程度気化してしまった食べ物が、直接細胞に吸収されると、ハイ・オクタン価のガソリンのように、熱効率の高い物が生産されることになる。
さらに、よく噛んで食べて、唾液を十分に分泌してやれば、栄養分が無駄なく細胞に吸収されるばかりか、体は足りない栄養素を必要に応じて作り出すことさえもしてくれる。 粗食でもよく噛めば、唾液の神秘性が栄養に変化させる妙も、自然と肉体の秘密である。栄養価の少ない物でも、唾液によくまぶして嚥下したならば、胃の中で、カロリーに代わる物ができるものである。噛まなければそれはできない。口は最大の消化器官である。
つまり、極端にいうならば、食べる物はどんな物でもよい。カロリーやビタミン計算にばかり心を奪われているのが、現代人だ。旬の物を、よく噛んで食べれば、何を食べても消化、吸収されて、立派な体ができてくるものである。
唾液というものは、口から侵入してくる病原菌をすかさず捕らえて殺してもくれる。唾液の働きによって、健康が保障され、老化が防げるのである。唾液は、すべてに作用する万能ホルモンなのである。
このような唾液の働きを知ったからには、毎日の食事時に、もっとゆっくり時間をかけて、食べ物を十分に噛みしめて味わうことである。
噛むということは、唾液という神秘性の物質を生み出すことによって、人間の感覚を素晴らしいものにするのである。
禅者にガンなし、病気なし。みな長寿なのは、かゆや梅干し、野菜食などで、千二百カロリーの粗食でも、よく噛んで食べることに原因がある。このような食生活によって、かえって心気は清澄になり、不思議な体力が維持されるという秘密が生命にはある。
●一石三鳥の合理的食事法
食べ物をよく噛まない人の多いのに驚く。よく噛めば、口の中で七割も八割も消化される。完全消化は、口の段階では意識的にできる。そうして、食物が万病薬となり、万能力となる。
よく噛まなければ、どうしても食べすぎてしまう。食事というのも一つの習慣だから、大食の癖がつくと、ついついたくさん食べないと満腹感が味わえなくなってしまう。
その満腹感というのは、脳の視床下部の満腹中枢が決めるというが、そこを刺激するルートが二つあって、胃壁の迷走神経のほかに、血糖値の変化を中枢の神経細胞が監視している。
だから、あわてて飲み込んだりせず、時間をかけてよく噛めば、栄養の吸収率がよくなって血糖値の増加も早い。それだけ早く満腹感が得られることになる。
おまけに、パロチンを含んだ唾液が十分に出るから、若返りや老化防止にも役立つし、食べる量も半分ぐらいですむという、まさに、一石三鳥の合理的な満腹法、健康法なのである。
つまり、すべての人にとって相対的でしかない食べ物を、自己の絶対力で食べて、人の半分の分量が人の倍のエネルギーになるという食べ方で、それを己自身がすればよいのである。
多くの人は、百グラムの食べ物を食べる時に、十だけ咀嚼し、十の唾液しか出さずに、ガツガツと食べてしまう。これが五十グラムの食べ物であっても、五十の咀嚼と唾液を加えて完全な食べ方をすれば、すべてが完全燃焼して、素晴らしいエネルギーに変化するのである。
この点、私が天啓を受ける宇宙の神の言葉に、「食べ物が気化してエネルギーとなる」というのがある。
食べ物を十分に、液状になるまでよく噛むと、本当に水のような何も形のない物になって体に入ってゆく。食べ物が口の中で「気」になり、ただちにエネルギーになって吸収されるのであろう。
一部分は、もちろん下に下りてゆく。おそらく、唾液と食べ物が同化し、気化した後の物が、胃に下がっていくのであろうけれども、やがては肉体に吸収されて、みな「気」になる。細胞が物を「気」にし、エネルギーにして、人間の働きにする。九十六歳という私の老体で、毎日こんなに元気に働けるのは、この「気」ゆえである。
誰もが口を働かせること。五官の一つである口を十分に働かせて、口を通して宇宙の「気」を受けることである。肉体というものは、自覚のいかんを問わず、無限宇宙とつながることのできる唯一無上の存在なのだから、口の働かせ方をおろそかにしてはならない。口は最大の消化器官である。
まず夜は早く寝て、昼は働き、腹が減ったら何でもよく噛んで食べれば栄養にもなる。草を食べて馬は太り、ワラを食べて牛が大量の牛乳を作ってくれるではないか。
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●食事が人間形成に影響する
人間においても、エネルギーの元になる食べ物を気化するほどに咀嚼することは、物の味の真髄を極めることにもなる。
山の幸、海の幸には、それぞれ固有の味覚があるのに、ろくに噛みしめずに胃袋に送っては、いかにももったいない。また、その結果表れる健康か病身かという差異はもとより、賢愚、幸不幸に至るまで、驚くほどの開きが出てしまう。
咀嚼さえ十分に行われれば、天然の味が人工の味つけなど比較にならないほど美味になる。自然意識によって捕らえることができるなら、調味料を加えない大根おろしでも、絶妙な天恵の味覚として受け取ることができるようにもなる。落ち着いてよく噛んで食べれば、「大根どきの医者いらず」といわれる野菜の主役の栄養が身に着くし、味がわかる。味は精神である。自然意識である。
反対に、食べ方が早すぎる、よく噛まないというのは、食べ物の味を味わわないということで、過食の原因ともなる。
まず食べ物を粗食にし、よく噛むこと。今までの三倍噛むようにすれば、真の味もわかるし、量も少なくてすむ。物の価値と恩恵もわかり、肉体の持つ巧妙性、万能力を知ることもできるようになる。
すなわち、付け加えたいことは、人間の口は、食物を食べるためのみにあるのではないこと。そこでは、万事、万物の味がわかるように仕組まれている。
同じ毎日の食事をするにしても、よく噛む人と早飯食いの人とでは大変な差がある。よく噛んで食べる人は、単に栄養の吸収がよくなるということだけではなく、すべてについて感覚、感度のよい人間となる。
だから、口でよく味わう人は、肉体で物事一切の味も感じ、人間自身も味のある人間となることができるのである。物の味がよくわかり、味のある人間は、精神作用も立派になるから、頭がボケるということもない。
そして、たとえ粗末な食べ物でも、天の恵みだと思い、口でよく噛んで食べれば、消化され肉体力となり、気化して精神力となるから、心身ともに全知全能の人となるだろう。
こうして、食べ物は腹八分にして、よく噛んで一つひとつの味がわかるようになれば、「おいしいな」、「楽しいな」と、この積極的な幸福を食べ物からも得てゆくことができる。食べ物ゆえに程合いを知り、節度、調和が保たれる結果、楽しく幸福だということがわかるようになってくる。
●システムとしての咀嚼
さて、私が述べてきたよく噛むという行為に関して、最近では、歯は感覚情報器官であり、物を噛んで食べるという咀嚼は口だけの運動ではなく、システムとして捕らえるべきだという研究が発表されている。
これは、歯の根からの神経が、頭を支える首の筋肉群につながっていることを突き止め、脳全体への情報伝達という意味から、幼児期からよく噛むことがボケの予防にも役立つし、唇や舌などの情報は各神経系を通じて脳幹に伝えられ、適切なリズムで噛み続けられるように、咬(こう)筋などの咀嚼筋を調節するというものである。
生理的にいえば、何気なく毎日やっている噛んで食べるという行為も、実は複雑な神経系のお陰ということである。
よく噛むことは、体の生理や神経にとって最も大切なことだし、歯槽膿漏(しそうのうろう)の予防、健全な歯並びによいだけではなく、あごの筋肉の伸縮で大脳を刺激する信号が送られ、情緒的にも安定して、無意識のうちにストレスを解消、中和させるという、人間形成上に大きな役割を果たすこともわかっている。
リズミカルなあごの運動によって、パッピネス・ホルモン(ベータ・エンドルフィン)という物質も分泌される。このホルモンが多量に分泌される状態の時、ストレス解消はもちろん、ウイルスやガン細胞の増殖を抑える力まで発揮するのである。
もちろん、食物の味がわかるためにも、咬筋という一群の筋肉を十分に動かして、十二分に咀嚼しなければならない。
現代人は高級な食生活をしながら、食べ方が早すぎる。すでに述べたように、食物の味を知る人間は、人間としての味が出る、知恵も出る。腹いっぱい食べる人間には、物事の真髄がわからない。
そういう意味で、むやみと軟らかい食べ物を選ぶのもよくない。現代の食べ物やその傾向を見ていると、ハンバーグなどに代表される練り物と、めん類が全盛で、人類の歯という歯は、ほどなく、ちょっと硬めの食べ物にも「歯が立たない」ものになってしまうに違いない。ある実験によると、現代食の咀嚼回数は、戦前の約半分だともいう。
現に、よく噛まないせいで、あごの発達が悪くなっている子供が増えている。
また、現代の食生活は、あごや歯だけではなく、胃腸などの消化器官にも影響をおよぼしている。半加工された食物は、消化器官をも退化させているのである。現代人に便秘持ちが多いのは、肉食中心で繊維質不足の食生活が原因である。少々消化の悪い食べ物を取っても、すぐに胃腸障害を起こさない丈夫な胃腸を作る必要がある。
●唾液は万能ホルモンである
私が説く食養生法の中では、よく噛むことと、唾液の神秘的な効用を特に強調している。わけても唾液の効用を改めて挙げれば、その多彩さ、万能さに驚く人も多いだろう。
唾液について本当に知る人は少ないが、これが実は生命の源泉である。肉体の第一関門に存在して、万能力を発揮している。その働きによって、健康が保障され、老化も防げる。唾液こそは、すべてに作用する万能ホルモンなのである。
気化も、消化も、殺菌もすべて行う。味も、においも何もかも取捨選択する。犬の嗅覚の鋭さも、牛が粗食しながら、あれほど大量の乳を出すのも、みな唾液の効である。
消化作用というものも、胃や腸だけで行われるものではないわけである。口の中でよく噛んで食べ、固形物を液化すれば、その大半は霊妙な唾液の働きで気化され、気化熱というエネルギーになり、体の細胞が直接に栄養を吸収してしまうものである。
胃腸で消化された後のカスは宿便となって体内に残るが、気化されてしまうとわずかなガスが残るだけだし、そのガスも朝の目覚めの放屁一発で消え去り、肉体はいつでもすがすがしく新陳代謝されている。
だから、よく噛むということは、それだけ唾液が豊富に分泌され、神秘的な効用を引き出すということで、それは消化を助けるばかりでなく、唾液中に含まれるさまざまなホルモンが全身の健康維持に大いに役立つ。
そして、よく噛んで食べれば、唾液の作用で物の本当の味わいがわかるものである。
俗に「空腹という名のソースをかけて食べれば、世の中にまずい物はない」といわれるが、唾液という名の天然のソースは、もっと合理的で経済的で、健康的なものである。
その食べ物の味というものは、うまい、まずいという二つの面だけははっきりしている。そのうまさ、まずさというもの、何がよくて、何が欠けているかということは、唾液の働きによって教えられるものである。
うまいということは、どういうところがどううまいか、何がうまいか、永遠に残るうまさか、ほかの物に応用されるほどになるうまさか、これは唾液に残さなければならないものである。まずさというものも、同じように唾液に残らなければならない。
唾液は分泌してしまえば終わりのように、思うものである。今、物を食べて、唾液によってまぶすということになると、その唾液は死んで、もう分泌したから終わりであるかというと、実は残っているわけである。
料理で同じ物を作るということになると、味がさらに変わってくる場合と、同じ味をいつも変わらずに保つことができるということは、唾液の分泌から計算することができる。
そもそも唾液なるものは、もともとは肉体の発生する一つのホルモンであり、液体である。ない世界から働きを持って出てきて、ある世界の物とぶつかると、そこにある世界の物の中にあった味というような物を抜いて感じ取っていく。
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