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∥腹八分の勧め2∥

 

●食べることのプラスとマイナス

 修行僧の秘密を説明すれば、食べ物というのは一種の触媒みたいなもので、少し食べておけば、その何倍かの栄養が唾液との化合作用や胃液の消化作用によって、宇宙から供給されるという面があるということである。

 エネルギーというものは、食べ物からのみ得られるものではない。

 わずか一リットルのガソリンでも、あの大きな車が走ることができるが、あれだけのエネルギーは、ガソリンだけでは出せないのである。そこに空気が加わった時に、どれほどの爆発力が出るか。

 空気というのはタダであるから、人間はこの価値を忘れているけれども、食べ物をよく噛み、唾液、胃液とよく混和させてやれば、それに第二次的栄養、つまり肺臓から吸収した空気が燃焼して、「気」エネルギーが発生するわけである。

 同時に、人間にとって、体内の水分のお陰で細胞から出てくる力、これも大きなものである。肉体というものは、水分によって運営されているといってもよいだろう。

 食べ物は腹八分目にしておいて、後は水分から作られてくる力を養うがよい。粘りがある、辛抱ができるなどという力は、食べ物からくる力ではない。鍛錬によって「気」から作られる力である。

 その空気と水のエネルギーの根源は、いったいどこにあるのか。誰が補給しているのであろうか。

 源は宇宙である。エネルギーは宇宙にある。宇宙の「気」にある。そして、その「気」エネルギーを上手にエネルギー化して、あらゆるものに役立て、生き、生かしてゆくのが人間であり、人間の肉体の生命作用なのである。

 人間には、「気」から作られてくる力と、食べ物からできる力があるわけである。それらは、同じ力のようでも、違いがあるし、違いが出る。

 永平寺の修行僧の例などは、肉体を真理的に正常に働かせれば、精神が安定し、宇宙の「気」が肉体に十分に吸収され、肉体は豊かに維持されるという真理の実証である。

 ところが、一般の現代人は空気を吸う量や、水を飲む量が少なすぎる一方で、物がありすぎるため、誰でもみな食べる量が多すぎる傾向がある。また、味は濃厚すぎ、ことに菓子など、甘味を多く取りすぎている。

 現代人の生活態度を見ていると、いかにしてうまい物をたらふく食べるか、ということだけを考えているように思われる。一日三回食べるということでさえも、必要があって食べるというよりも、習慣だけで食べている。

 食べるということはプラスの面ばかりでなく、マイナスの面もあることを忘れてはならない。

 人間は、体にとって必要のある時だけ食べるのがよいし、必要のない時は食べないほうがよい。つまり、食べてはならない時には食べないほうが、より体のためになるという意味である。

 これは実に簡単、明白な道理であり、真理であるのに、こうした基本的な原理でさえ、実社会では無視されているようである。

例えば、腹が減らない時は食べる必要がないし、ある程度食べて空腹感が止まったら、そこで食べることをストップすべきであって、それ以上は体にとって無駄というよりも、むしろ有害でさえある。

●釈尊が説く横死する原因

 このように私が食事について、腹八分の心得を説いても、一般の人にとって節度を守るということは、なかなか実行の難しいことであろう。

 現代では、食事にしてもインスタント時代全盛とあってみれば、湯を加えたり、電子レンジに入れたりしてすぐ食べられるとなると、つい手が出る。街には食堂、料理店が軒を連ねているから、サンプルケースを見ていると、それも食べてみたくなる。

 結果として、食いすぎということになるのだが、この食うことは命を養う上にきわめて大切なだけに、方法を間違うと反対の結果を招くのも当然で、小食で病気をしたり、命を失った者はあまりないが、過食のためには例外なく、体を痛めつけている。食べすぎて病んだり、死んだりする人も多い。

 現代以後の日本人に、大きな忘れ物といえば、季節感であろう。夏冬ぶっ通して野菜が食える。温室ばかりではなくて、冷凍施設を利用すれば、世界中の食べ物はいつでも食える。その恵まれの結果は、飽食して肥満児を作り、恍惚(こうこつ)老人を増やし、病気の種類も多く、病人の数も激増している。何しろ、浮浪者も糖尿病になる時代なのだ。

 イギリスのシェークスピアは、「ベニスの商人」の中で、「食べすぎは空腹と同様、体によくない」というセリフをいわせている。アメリカには、「多くの人々はフォークで墓を掘っている」ということわざがあるほど、栄養過剰で早死にする人が多い。

 日本でも貝原益軒は、「飲食は人の大欲にして、口腹の好むところなり。この好みにまかせてほしいままにすれば、節に過ぎて、必ず脾腹をやぶり、諸病を生じ、命を失う」と、「養生訓」の中で戒めている。また、昔は食録などという言葉があって、「美食や飽食をする人は早死にする」といったものだ。

 かの釈尊も、この食事の取り方の大切なことを説かれているので、紹介してみよう。

 一、不饒益(ふじょうえき)の食をむさぼる――身のためにならぬ物をたくさんに食うこと。

 二、食を計らず――食べる分量がデタラメだということ。

 三、いまだ内に消せずして後食う――十分消化もしていないのに続けて食うこと。

 四、強いて嚥下す――無理やりに飲み込むこと。

 五、すでに消して出んとする物を強いて制す――排出すべき時に我慢して出す時を失うこと。

 六、食病に応ぜず――病弱の時、それに合わせず、胃腸のよくない時でも、消化のよくない物を食うこと。

 七、病に従って数量せず――病気の重い軽いに従って、食物を加減しないこと。

 八、副食を怠る――副食物を食わないで、主食に偏すると、栄養が不足すること。

 九、知恵なくして心を調うることあたはず。

 ということが挙げられている。この注意事項は、食事の注意と述べたが、実は、人間の横死の原因として書かれたもの。九項目中八項目までが、食生活の問題であることは注目に値する。命を守り養生する上に、いかに食事ということが大切であるかを教えている。

 第九項の心の問題は、どんなに食生活を正しくしても、心そのものが平静を保っていないと、例えば、「仕事だ、事件だ、野望だ」というものに追われ、イライラして落ち着かず、食べながら走り出すというようだと、せっかくの食事も身に着かないというわけだ。

 古くから、食後のひとときの落ち着く時間を持つために、「親が死んでも食休み」というようなことがいわれているところをみると、食事を身に着けるものは、平静な心そのものだといわなくてはならない。

 食事の時は、その食事に対して、心から感謝の心で取るということも、忘れてはならないだろう。

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●肉体は宇宙銀行の預金通帳

 それでは、暴飲暴食などの弊害によって、なぜ横死にまで至るのか探ってみよう。

 結論から先にいえば、人間の肉体くらい正直で、的確で、間違いのないものはないからである。例えていえば、人の体は宇宙銀行の預金通帳のようなもの。一生涯の貸借が細大漏らさず肉体のコンピューターで計算され、記入されて、当人は忘れていても、ことごとく運命上に表れる。

 この肉体の仕組み、性格によって、さまざまな人生模様となるのである。つまり、人の一生の貸借対照表も財産目録も、みな、人の体にあるということである。

 若い頃からの塩分の取りすぎからくる高血圧や脳卒中、肉の脂肪やバター、糖分の取りすぎ、肥満の人などに多い糖尿病と、ストレス過多や運動不足などが引き起こす心筋梗塞や狭心症などの諸病は、一口でいうと、長い間の食生活、生活習慣などの偏りが積もり積もって症状となるもの。

 知らず知らずのうちに、肉体の預金通帳が赤字になっているのである。

 ネズミでの試験で、腹いっぱい食わせたグループ、六十パーセント食わせたグループに分けて、どのくらい生きるか比べると、やはり小食グループのほうがずっと長生きする。 人間においても、食べ物をたくさん食べることによって、体の器官というものが災いされるものである。

 人は欲が深く、むやみにたくさん食べて体を疲れさせ、妄想の種を多くして頭脳を悪くする。この妄想心が胃に固まり、感情が胸いっぱいにはびこると、常に意識界から、無形の圧力が上半身にみなぎり、胸を圧し、心臓を苦しめ、小心翼々、小心〃欲々〃の不安、不平人とする。

 そして、人は食べすぎるわりに、吸収力が少なく、大部分排出する。しかも、その消化に要するエネルギーの消耗が激しいために、燃焼が悪く、悪ガスが全身にくすぶり、血液は濁り、血管は硬直するから、スモッグ体質はスモッグ人生となり、これが高血圧や心臓病やガンや中風など、成人病の原因となる。

 たくさん食べて、たくさん便を排出することは、有害無益である。肉体は太るかもしれないが、細胞の本質は弱ってしまう。これがさまざまな病気の原因となる。その一番恐ろしいものが、ガンなのである。

 また、甘い物を食べると、便秘がちとなるもの。先に入っていた物が、みな胃の中、胃から腸をずうっと固くする影響がある。

 消化器官に対する面から見ても、現代人は働かないわりに食事の分量が多すぎ、消化し切れないうちに次の飲食が嚥下されるので、胃腸の休む暇がない。腹八分に病なし。そうすればガンの心配などしないですむのである。

●満腹は不健康の元である

 人間は腹八分、バランスのとれた物を少しずつ食べることである。淡白に味をつけた小食をよく噛めば、まことにそのものの味が出る。人生の味も腹八分の心構えを、平素身に着けることだ。

 食べ物がおいしいからといって、たくさん胃の中に詰め込めば、胃はいっぱいになって胃液すら分泌できにくくなってしまう。相当長い時間をかけないと消化しないのに、次の食事時間がくれば、続いて食べてしまうから結局、胃が重いとか、もたれるということになるのは当たり前なわけである。

 一方、断食をした後、復食後の食事を三拝九拝して押し頂いて食べても、なお感謝し切れず、平素食物に対してあまりにも横着であったことを猛省する。砂漠広しといえども、米粒一つは落ちていないだろう。まさに「一粒の米これすなわち菩薩なり」と拝むわけである。

 現代人は安易な物量に慣れ切って、汗水流して生産しないでもお金で買えるから、過食暴食の悪習に染まる。肉体は自然機械、容積一リットルの胃に二リットル詰め込めばどうなるか。元来肉体は素直にできているから、心の暴君の思いのまま。体は何もいわないけれど、こなす容量の何倍もほうり込まれれば、胃や体を壊してでも消化しようとするのである。

 胃というものは、食べ物を消化するだけではなくて、生きていく上の意識に非常に大きな働きを持たされているから、胃がもたれ、気分がすぐれないなどということは、みな心の受ける悪影響、自己意識となるのである。

 また、胃というものは、食べ物を食べない時でも適当に胃液を出して、生きる上の上半身の細胞に力を与えている。消化ばかりが胃の働きではない。唾液でも、胃液と同じことがいえる。消化や吸収といった作用ばかりでなく、生きるための適当な分泌が続けられているのである。

 だから、若い時ならばいくら食べても無理はきくものなのだが、ストレスの多いこういう時代では、四十歳をすぎたら胃の中の消化液の力も弱くなってくるから、量をたくさん食べたり、刺激の強い物を食べたりすることはいけない。それは、日常無理をしすぎているということと、だんだん体を動かさないようになって、運動不足になっているということからなのである。

 肝心なことは、胃の中にある固形物の量と胃の分泌液とのバランスが、うまくとれればいいことを覚えておくことだ。

 一時にたくさん食べられなければ、少し食べてやめ、何時間かおいてまた食べるようにすると、けっこう消化も進み、胃にもたれないし、胃液の分泌も活発で、非常に快適であるというわけである。

 食べる以上はよくこなしてくれるほどに、胃腸の機能を育てなければならない。

 この胃腸の機能をよくするには、夕食は満腹にしてはいけない。よく、人間は「夜こそ楽しみである」といい、夜は平均して七、八時間も寝るから、満腹してもいいように思っているが、胃の中にいっぱい入れたならば、胃腸の働きは困るものなのである。

 胃腸というものは、体の全機能を調整するのであるから、夕食など極端にいえば、うんと少なくてもいいのである。

 そのほうが体の機能的な面は充実してくる。こんなことをいうと、今の時代には笑われてしまうけれども、内容的な面からいうならば、それはいえるのである。

 年齢的にいえば、年寄りは腹七分目より少なくてよい。若い者はなかなかそうはいかないだろうが、七、八分目くらいで十分であり、それでも体は充実されるのである。

●栄養過剰が人類を滅ぼす

 食べるほど精がつくなどとは、決して思わぬこと。朝食は軽く、昼食を主にすることだ。夕食を食べすぎると、消化器に障りが起きるばかりでなく、睡眠不足に陥る恐れがある。

 夕食を適度にすまし、夜は余計なことはやらない。体も心もゆったり解放することが大切だ。

 ところが、今時の若い者たちは、朝食を抜くと仕事や勉強の集中力不足を招くのに、朝食べずに出掛ける。昼は適当に食べる。昼が軽すぎるために、夜は帰ってきて、くつろぎながらたくさん食べる。

 これでは、体の疲れとか機能的の面の調整はできない。だから、血液の循環も悪くなる。心臓の働きにしても、そのほかの何もかにも全部、この夜ということにおいて大事なわけなのである。

 結局、現代の日本人は栄養的な説からいろいろいわれ、うまい物をたくさん食べているが、皆、病気になっているのである。物資に恵まれて、食べることには心配はなく、たくさんあるだけに、体の調整が鈍っている、できないといえるのである。

 こういう日本人への警鐘の意味で、平成四年の日本経済新聞から、メキシコ・インディオの食生活を研究した共立女子大、泉谷教授の話を紹介する。

 貧しくて食べ物の八十パーセントがトウモロコシで、残りはウズラ豆とジャガイモで、肉はほとんど口にしない彼らの社会に、不妊症は全く見られなかった。

 逆に、飽食を謳歌(おうか)している日本では、不妊症で悩む夫婦は全体の一割もあり、妊娠しても三分の二の女性が、帝王切開や人工分娩に頼らざるを得ない状況である。

 高カロリー、高蛋白の栄養は、子孫を増やすには望ましくない。牛でも、高蛋白のえさを与えると子を産まない。花でも、蛋白質を含む窒素をやりすぎると、生殖器官である花が咲きにくくなる。

 栄養がよい状態で繁殖する生物は、栄養分を短期間で食べ尽くし、栄養事情が厳しくなった時には、種の絶滅の危機にさらされる。ところが、栄養の悪い時により多く繁殖する生物は、よい栄養事情を長く楽しみ、絶滅の可能性は低い。

 「こうして何十億年という生命の進化の歴史の中で、環境が悪い時に子孫を残すタイプの種が生き残ったのではないか」と同教授はいう。とすれば、人類にも同じプログラムが埋め込まれている、と考えるのが自然ではないか。

 この約五十年間で、全世界の男性の精子の濃さが半分になっていると発表した学者がいるが、この間の食糧大増産、食事の高蛋白化が影響している可能性が大きいわけだ。

 「衣食足って」というが、足れば足るほどに貧富の差が広がり、社会に不満が蓄積して犯罪が増える傾向が強いのは、困ったことだ。「礼節を知る」を素通りしてしまっているのが、現代社会の構図である。

 「暖衣飽食、逸居して教うることなければ即ち禽獣(きんじゅう)に近し」と「孟子」にある。暖衣飽食が己の破滅、ひいては民族の破滅を招く元凶であることを、とくと銘記すべきだ。

 

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