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∥下半身の出物が発する健康情報(6)∥

∥精液をチェックする∥

 

●男性の聖なる出物の扱いは慎重に

 下半身からの出物として、男性の性器から出る精液について簡単に触れ、男女の性生活の望ましいあり方を述べておこう。

 最近、医学分野で人間の精子の保存が注目を浴びているが、精子は西洋梨(なし)状の頭と、長い糸状の尾を持ち、長さは約六十ミクロン、すなわち千分の六十ミリである。この精子を多数含む精液について、男性一人の生涯の生産量は決まっているなどというのは、根拠のない俗説であり、単純にいえば、精液を多く使う人ほど生産され、あまり使わない人は生産量も少ないことになる。

 しかし、あまり酷使しては生産が追いつかない。私の考えは、性器を神聖に扱い、精液という出物の使用をほどほどに慎めということである。

 なぜなら、古来、臍下丹田という腹の底に、微妙、不思議な魂が潜んでいるようにいわれてきたが、その丹田の下にあって、生命の元になる力、悟りの力、力と知恵の原因になる「気」を絶えず発動している実体こそ、性器だからである。

 現代人はこの事実に気づかず、性生活を粗末にしている。性器は命の根源、精神の発動器官だから、性を軽率にする人は性格が乱れ、運命に恵まれることがない。

 性器は、生命を新しく産み出す生殖器官であるほかに、さらに大切なことは、人間の生命を一生涯維持する力を、宇宙から与えられている根本器官ということなのである。

 この性器の内部というものは、絶えず収縮運動を続けている。心臓などと違い、その運動を我々の意識で知ることはできないが、これは生命の自然活動であり、実は生殖作用というものも、本来はこの自然作用、自然運動からなってくるものなのである。

 性器は聖器であり、聖機、生機である。人間の一生涯にわたり、常に宇宙から生気を吸入し、生命の根源として働いていることは、意識によって捕らえることのできない厳然たる事実である。

 そういう生殖器官から作り出される言い知れぬ神秘な力は、目にも見えず、意識にも上らぬ本能的なものであるから、肉体の根本摂理や五官の力で調節しないと人間の心情に支配されては、ゆきすぎることが多いものである。

 その調節が正しく行われている時、人間は働けば働くほど、いくらでも働く力が出るもの。この生命の根本たる性器から作り出される力は、肉体の自然運動的鍛錬によって無限の力となるのである。

 それは生殖細胞というものが本来、実に強いものであるからである。生殖細胞は、宇宙の生命と全く変わらぬ性格を持ち、働きをし、絶えず宇宙の生命と同じように存在しているのである。

 今日のような化学的影響を受けぬ限り、突然変異などは起こりにくい。地球上に争いがなく、また人為的変化のない限りは、人間の生殖細胞はいつも正しく、きれいに存在し得るものである。

 ところが、現代人はさまざまな自然破壊を行ってきたし、今や、人間が作った突然変異誘起物質は六千種類以上にも上っているという。その結果、男性の生殖器官は最も代謝の活発な細胞を含んでいて有害物質の影響を受けやすいために、精子の数が減り、不妊症になるなど、子孫への影響は計り知れない。それが今、真剣に憂慮されるところである。

 性器を、「せがれ」だの「息子」だのというが、とんでもない。一生涯の親元である。毎日、毎時、宇宙からここを通して生命のくる大関門なのである。

●性器こそ人間生命の根源である

 男性に限らず、女性の生殖器も生命の制作所である。構造や機能は巧妙至極なもので、人の体は宇宙の神が何億年、何十億年もかかって創っただけに、実にうまくできているものである。

 巧妙、微妙な機械だけに、取り扱いが粗雑だと悪い子ができて親を悩まし、苦しめる。まじめな和合と仲のよい夫婦生活こそ肝要である。

 具体的にいうと、意識的に性欲を起こすと妄想の人となって煩悩という、悩みや煩いに捕らわれて性欲のとりこになってしまう。

 性の本義は、人間が宇宙生命の一分身として、しかも宇宙のすべての性能を与えられて、万物の最後に最高位をもって無限の発展を遂げてゆく使命をいうのであるから、この性を人間性の中心として、性の自重と、性器の尊重を心掛けねばならぬのである。

 元来、私たち人間も、宇宙によって創られた単純細胞の集団であった。それが分化に分化を重ね、今に見る素晴らしい肉体組織を形成してきた。人類の歴史は考古学的には約三、四百万年としても、その前に動物としての歴史が長く、生物としての源はさらに深い。

 その発展の経過の中で、くしくも人間となってきた万物と違う細胞の存在が偶然であるにもせよ、何億年の長い間、必然、偶然に宇宙の目的を目的として向上、発展をしてきた人間の歴史の上で、存在の中で、その繰り返しの中心をなしてきたものは、この生殖細胞の遺伝子の働きなのである。

 どうすれば、その遺伝子の形を整えることができるか。子供を宇宙の目的としての人間の理想像者とするには、完全な形を、その親が形の上で整えておかねばならない。

 悪ふざけをして、性の享楽などにうち興じている親があるとすれば、たくさんの生殖細胞の中から、つまらぬやからが飛び込む。

 一度に三~四億もの精子が、自分の育つことのできる神の宮に向かって飛び込んでいく時に、乱暴者が飛び込むか、ならず者が飛び込むか、反対に、賢明で落ち着いた、すでに神に選ばれたような素晴らしい種が選ばれて、そこに迎えられるかという境目である。落ち着いて神の導きを受けねば、そうしたよき種子を自然に選んでもらうことはできないということは想像できよう。

 性生活においては静かに、静かに形のごとく、儀式のごとく、人間の意識などを用いるものではない。ここでは、男女間の技巧などというようなばかばかしいことも行われるべきではない。

 この厳かな神わたりの儀式というものは、本当の神の子、仏の種を、三~四億という数の中から選び出す唯一の機会なのである。

 性とは生殖のためのみのものではない。快楽にふけるためのものでもない。性とは人間を鍛錬するために設けられた道場であり、教材であり、人間を改造し高めるためのものでなくてはならない。また、性は男女の真愛の上に立脚した、人間の厳かな営みでなければならない。

 改めて強調しておくが、生殖器は生殖もつかさどるが、生命の根本、中心に相当する器官。神聖にして犯すべからざるところ。生命根源の機能をつかさどる大切な器官なのである。

 

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