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∥肉体を慣らして頭を鍛える1∥

●歩くことが大脳を活性化する

 頭脳を鍛えて活性化し、あるいは頭脳の明晰さを維持するために、自らの体を使うというのはよい方法である。

 「気」の宇宙真理的に理解するならば、人間の体は宇宙の「気」の結晶身である。そして、人間の体を「気」の結晶身、「気」の放射体として理解して得られる結論は、その全身が判断機関であり、記憶機関であり、呼吸機関であるということであった。

 私たちは一般的に、脳だけが考えることを行う器官だと思っているが、実際は脳とすべての器官を使って考えているのである。頭脳明晰法を考える場合にも、やはり肉体の存在と機能を無視するわけにはいかない。

 頭脳も体の一部分、体全体が鍛錬されて立派になると、おのずから頭脳も整い、落ち着き、さえてくるものなのである。

 例えば、体を支える足を使って歩くのは、脳の働きも活性化する。歩くことによって、血液の循環はよくなり、血圧も調節され、その上、脳の働きもよくなるのである。

 近頃はあまり使われなくなったが、逍遙(しょうよう)という言葉がある。ブラブラ歩くことであり、そぞろ歩きのことである。ギリシャの哲学者、アリストテレスは、並木道を歩きながら弟子たちに講義したそうで、この学派には逍遙派という、またの名がつけられた。

 歩く時には足の筋肉が働いているので、その中にある感覚器の筋紡錘からは、しきりに信号が出て大脳へ伝えられる。大脳は感覚器から網様体経由でくる信号が多いほどよく働き、意識は高まって、頭ははっきりするようにできている。

 人間の若さは大脳に集約されて表れ、足が衰えると長生きできないといわれるのも、足の筋肉から大脳へゆく信号が減り、弱くなるためである。

 手の運動をつかさどる脳の分野があるように、足の運動をつかさどる働きも、位置と占める割合こそ違うが大脳にはある。この大脳にある足の運動を担当する領域と互いに連動し合って、歩くのに使われる筋肉は、特に歩行筋と呼ばれており、おしりの筋肉である大臀(だいでん)筋、大腿四頭(だいたいしとう)筋、下腿(かたい)の腓腹(ひふく)筋やヒラメ筋などである。

 これらの歩行筋だけで全身の筋肉の半分以上を占めているのだから、気づいていないかもしれないが、歩くという単純な運動を続けるだけで、大脳ばかりか、体の多くの筋肉を鍛えることができるのである。同時に、腹筋と背筋を強くするのに、歩くことは効果的だ。

 ともかく、さすが大哲学者のアリストテレスは、合理的な教授法をとっていたわけである。同じ哲学者のカントの規則正しい散歩も有名である。

 そこで、頭脳労働をしている人は、ことに歩かなければいけない。頭ばかりを酷使していては、うまい考えは出てこないからだ。正しい歩行により、大地に足を印することは、脳に微妙な刺激を与え、脳の疲労をとり、脳を健全にすることにも役立つことを忘れないでほしい。

●頭も足も使わないと委縮するもの

 歩くことが頭をはっきりさせると知ったからには、頭脳労働者ばかりでなく誰もが歩いて肉体を主として、意識をすっきりさせるようにしたいものである。

 歩くことの刺激によって、人体の横隔膜の下にある肝臓、胃、腸、脾(ひ)臓、すい臓、膀胱(ぼうこう)、それに女性ならば子宮などの臓器において、停滞している機能が適度にほどけて、働きが活発になる。

 すると、横隔膜の上位にある心臓も肺も、同時に機能的に血液の循環をよくし、血液への酸素の供給が盛んになるため、当然、意識はすっきり、気分はさわやかになってくるのである。血液の流れが速くなるので、管にたまった汚れを掃除する。血管が膨張して、若返る。しかも、刺激が強すぎることもない。

 歩くことは、基本的に無害なトレーニングであり、運動なのである。この点、運動生理学者も、トレーニングによって体を鍛えられるだけでなく、精神的なストレスも軽減できると保証している。

 紀元前四世紀の昔、医学の祖といわれるヒポクラテスが「人間の体は、使うことで開発され、使わないことで弱くなる」といっている通り、人間の肉体はよくできたもので、外界から刺激や緊張などのストレスがかかると、これをはね返そうと働き、体を鍛える。トレーニングの原点はここにある。

 運動によって、脳の中に天然の鎮痛剤であるエンドルフィンという物質が分泌される。モルヒネの数百倍とされる効き目があり、不安の痛みを鈍らせ、ストレスの影響を緩和するといわれている。

 ある程度走り込んだ長距離選手は、走って二十分ぐらいたつと、急に苦しさがなくなり、周囲の景色が美しく見える。ランナーズハイという一種の恍惚(こうこつ)感で、これも同じストレス緩和現象だ。

 走るより軽い歩行でもストレスを軽減できるし、さらに、歩くことによって下半身の筋肉の運動がなされて、腸の蠕動(ぜんどう)運動も順調になる。便秘というものは、腸の蠕動運動が鈍るために起きる現象である。

 このように、歩くという単純な運動でも、脳をも含めての内臓諸器官を調整し、強化することになるのである。このことは、とりもなおさず、一切の病苦に対する最良の防衛力を強化する手段となる。脳卒中のリハビリテーションの権威は、中高年時代に運動を続けていた人は、脳卒中で倒れた場合でも、その機能回復がスポーツゼロ族に比べ、はるかに早いと述べている。

 歩きが減量とか、体重維持に効果があることも実証されているところで、いろいろな機関の最近の医学的研究によると、一般社会人が健康状態を保つには、一日に三十分以上歩く必要があるという。一日の歩数の多い人ほど、心電図異常の発現が少ないとか、動脈硬化を助長する高脂血状態が改善されるという発表も見られる。

 やはり、私たちの体は頭と同様、上手に使うことが、その健康維持に大切なのである。頭でも足でも使わないと、だんだん委縮する。機械化、自動化、省力化が進むにつれて、人間の体力は当然落ちていく。「現代人の直立能力があやしくなってきた」、と指摘する医学関係者もいる。下半身に力のない人は、概して感情や圧力を起こしやすく、ヒステリー的である。

 なるべく下半身を鍛えるためにも、二本足で歩くという人間の自然な、根源的な行為を大切に心掛けたいものである。

 毎日の通勤、通学の際、一駅前で下車して歩く、買い物の時いつもより遠くの店へゆくなど、意識的に工夫をしたり、特別な運動プログラムを組むなどして、あなたも一日三十分以上、ないし一日一万歩を目指して努力してはいかがだろうか。

●ボケを防ぐ手のひらの鍛錬

 人間の足に続いては、手を鍛錬して頭の働きを維持する方法を述べよう。体の中で、生かされているという自然の中に深々と根差しているものは腹から腰、それから生殖器官、そして両脚、両足であるのに対して、人間の手は生きるという面に、生きるための働きをしている。

 手は自由自在に独立しているかのごとく、さまざまなことをなすことができる。生きるという自力を発揮する上で、手というものがどのくらい進歩してきたかを考えれば、人間はまだまだ、現在くらいの働きで満足していることはできないだろう。

 かの哲学者カントは人間の手を称して「脳の可視部分」といったが、大脳の半分以上が手を動かすための役割をつかさどっているともいう。足の運動をつかさどる脳の分野があるように、手の運動をつかさどる働きも、位置と占める割合こそ違うが大脳にはあるわけだ。この大脳にある手の指の運動を担当する領域は、足の運動野の十倍以上の広さを占めており、互いに連動し合って、人間の複雑な動作をも可能にしているのである。

 その手を使うあらゆる分野の名人、達人の手が、どのような、からくり、仕組みで巧妙至極に動くかは、実は心と神経に関係がある。心の充実したものが、直ちに手にくる。その間に五官も頭脳も働いているが、それらは、同時に間髪を入れずに働く。

 しかし、働いてはいるが、それほど頭も五官も使っていないように見える。腰や腹にも力を入れているようには見えないが、力が入っている。極端にいえば、肉体全身にすべての力が加わっているのである。

 そこで、頭のボケを防ぐために、誰もが自分でできることとして、手のひらを鍛錬するのも一つの効果的な方法である。

 お寺の和尚が念仏を唱える時に、数珠を手のひらでもむ。それはお経をありがたくするということだが、手のひらを鍛錬してボケを防ぐということが、その中にちゃんと入っているのだ。

 中国の気功術の手始めも、両手の手のひらをこすり合わす。そろりそろりと手のひらを離すと、両手のくぼみの間に「気」が通う。これが気功の第一課だといわれている。

 そして、両指先を動かす末端運動もボケの予防になる。なぜなら、血液の循環は心臓の鼓動による力ばかりでなく、血管、ことに毛細管の末端にある動脈系と静脈系を結びつけるグローミーというものの働きが、同時にその原動力となっているというが、末端の運動はその血液循環をよくするからである。

 よく、中国では長寿法の一つとして、クルミを両手に始終持って常に動かすという。これなども結局、手、指先を動かすのがいいということである。使えば使うほどよいのが手と頭である。手の五指ばかりではなく、末端運動の一つとして足の指も動かすのもよい。 また、手のコブシで、コメカミのあたりを軽く叩けば、頭に微震動を与えて、頭の血管やその毛細管を相当に刺激し動かすという作用もある。

●よく噛むこともボケ予防に役立つ

 さて、誰もが毎日の食事に際して、何気なくやっている噛(か)んで食べるという行為も、実は、ボケの予防に役立つものである。時間をかけて、ゆっくり、よく噛んで食べさえすればよい。

 このよく噛むということの大切さを、現代人はどれほど知っているか。三千年ほど前にできた中国の「黄帝内経」という東洋医学の古典にも、「呼吸と咀嚼(そしゃく)が完全になされるなら、人は百年生きることができる」と書いてある。

 最近では、噛むという行為に関して、歯は感覚情報器官であり、物を噛んで食べるという咀嚼は口だけの運動ではなく、システムとして捕らえるべきだという研究が発表されている。

 これは、歯の根からの神経が、頭を支える首の筋肉群につながっていることを突き止め、脳全体への情報伝達という意味から、幼児期からよく噛むことがボケの予防にも役立つし、唇や舌などの情報は各神経系を通じて脳幹に伝えられ、適切なリズムで噛み続けられるように、咬(こう)筋などの咀嚼筋を調節するというものである。

 生理的にいえば、毎日の噛んで食べるという当たり前の行いも、実は複雑な神経系のお陰ということである。

 よく噛むことは、体の生理や神経にとって最も大切なことだし、歯槽膿漏(しそうのうろう)の予防、健全な歯並びによいだけではなく、あごの筋肉の伸縮で大脳を刺激する信号が送られ、情緒的にも安定して、無意識のうちにストレスを解消、中和させるという、人間形成上に大きな役割を果たすこともわかっているのである。

 リズミカルなあごの運動によって、パッピネス・ホルモン(ベータ・エンドルフィン)という物質も分泌される。このホルモンが多量に分泌される状態の時、ストレス解消はもちろん、ウイルスやガン細胞の増殖を抑える力まで発揮する。

 もちろん、食物の味がわかるためにも、咬筋という一群の筋肉を十分に動かして、十二分に咀嚼しなければならない。

 現代人は高級な食生活をしながら、食べ方が早すぎし、量も多すぎる。食物の味を知る人間は、人間としての味が出る、知恵も出る。腹いっぱい食べる人間には、物事の真髄がわからない。

 そういう意味で、むやみと軟らかい食べ物を選ぶのもよくない。現代の食べ物やその傾向を見ていると、ハンバーグなどに代表される練り物と、めん類が全盛で、人類の歯という歯は、ほどなく、ちょっと硬めの食べ物にも「歯が立たない」ものになってしまうに違いない。

 ある実験によると、現代食の咀嚼回数は、戦前の約半分だともいう。現に、よく噛まないせいで、あごの発達が悪くなっている子供が増えている。

 食事三昧に徹して、よく噛んで食べれば、実においしい。食べ物がおいしいということは、大変に幸せなことである。

 同時に、よく噛んで体を鍛える。噛むことで唾液の分泌が盛んになれば、食べた物が口の中で十分に消化される。咀嚼によって、食物は小さく砕かれ、表面積が大きくなれば、消化酵素などが触れる部分が大きくなるから、それだけ消化しやすくなる道理である。

 また、必要以上に食べすぎると、意識がボンヤリして、仕事や勉強をするのが面倒になるから、腹八分の自然の食べ物を口の中で、気化するほどによく咀嚼している。

 人間の咀嚼は単なる口腔の運動ではない。全身の営みであり、精神の営みなのである。

 

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