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∥心構えから脳を活性化する1∥

●心のあり方が能力におよぼす影響

 実社会のビジネス界では、学校の教科書には決して書いてない全人格的な判断を必要とすることばかりで、心で考え、心で判断することが多い。頭を鍛えるというのも、人の感情をいつも深く考えながら、判断するという癖をつけることであり、学説やジャーナリズムの論調に惑わされないで、自由に考えることである。

 以上のように冒頭で述べた通り、私が述べる頭脳明晰法は、頭を心で鍛えていくということに主眼の一つを置くものである。

 本編では、青壮年層が心の面から頭脳を活性化したり、老年層が気構え、心構えから頭脳の明晰さを維持したりしていく方法を解説していく。

 実際、人間の心のあり方、心構え、気構えなどというものは、その人の頭脳の明晰度に大きな影響を与え、人生さえ左右するものである。

 例えば、世の中、同じことをしても、成功する人と失敗する人とがいる。たまたま運がよかったのか、それともたまたま運が悪かったのか。もしも身近に運のよい人と悪い人がいるなら、その人たちのいうことを比べてみるといい。心構えや考え方が、大きく違うはずである。片や気力が充実し、積極的で自信にあふれ、片や気枯れして、消極的で過去にこだわる人が多いということに気づくだろう。

 つまり、どういう心構えや考え方が頭を活性化させ、成功につながるのかを一言でいえば、積極的な心構え、前向きで広い思考ということになる。成功も失敗もすべてプラスにとる態度が大切なのである。反対に、自分に自信のない人は、せっかくのチャンスも逃してしまう。

 なぜ、積極的に構えると、いい結果が得られるのだろうか。それは、気力が充実して、能力が高められるからである。気力の充実は、生き生きとした精神と肉体があってこそ可能になる。積極的な心構え、前向きな考え方をすることで、心身に張りが生まれ、はつらつとして事に臨む気力や能力が生まれるのである。

 人間の内と外には、「気」という神秘なるエネルギーが存在する。人間が発散しているこの気体は、光背とかオーラとか呼ばれ、目で見ることができる人もいる。

 「気」は、人間の生命力の源であり、精神と肉体のバロメーターでもある。人間の能力をフルに生かすためには、この気力を充実させなくてはならない。人間のあらゆる可能性を開くのは、「気」の強い、弱いにかかわるといっても過言ではない。

 精神と肉体のバランスが悪ければ、「気」は働かない、「気」が入らない。人が飛躍する時、「気」が働かなければ、事は成就しないのである。自信がなく、半信半疑で行ったことが成功しないのは、「気」が入らないからである。

 積極的な心構え、前向きな思考とは、「気」を高め、生かすための気構えであり、考え方の一つなのだ。

 人間の気力というものは、宇宙の「気」から作られる。能力、知力、体力というものも、肉体が宇宙から「気」を受けて力とするのである。人間の体も、そこに「気」がこなければ、花を咲かすことも、実をつけることもできない。成長することも、発展することもできない。これが自然の約束なのである。

●気力から発揮される能力、知力、体力

 気力を作るには、深い眠りの中で深呼吸によって、あるいは体をほうり出して、生かされているという状態で、自然作用、自然機能で肉体が空の状態になると、この体に「気」が充実してくるのである。

 また、人が気力が出る場合は、必ず自分自身が喜びを感じた時である。不安や絶望、悩み事を抱えている人は、見るからにわかるものだ。生気がない、喜びがないから気力が出ないのである。自分で気力を出し、気合を入れるには、意識的に動作をキビキビと速くしてみるといい。体にすぐに興奮が起こり、精神も興奮してくる。体のエネルギーが心のエネルギーに変わり、気力が出るというものである。

 気力は体力、知力ともなり、その人の能力として発揮されるものだから、一番の働きの元である。

 だから、誰もが積極的な心構えで、前向きに考え、気力を充実させて事に臨めば、無限の能力は発揮できる。人生をよい方向へ向けることも可能になる。

 つまり、人間の人生は、自分の心の持ち方一つ、考え方一つ、気力の出し方一つでどのようにも変わるということである。人間には誰にも、能力があり、可能性があるのである。ただ、「自分にはとてもできない」と頭で思ってしまうから、自らその能力、可能性を殺してしまうわけだ。

 人生の一こま一こまの場面を考えてみても、仕事や勉強をする時、ダラダラとやった場合よりも、「よし、やるぞ」と積極的に考え、うまく気力を充実させた場合のほうが、能率がグンと上がるし、間違いが減ったり、要領もちゃんと覚えられるなど作業の質が違ってくることは、誰にでも体験があることだろう。

 格言にも、「一念天に通ず」、「志ある者は事ついになる」などという。前向きに志をしっかり持ち、心を集中して思いを込めて行えば、どのような事も最後には成し遂げることができるという意味である。

 まずやるべきことは、どんな障害に遭遇しても、いかにして突破するかを考えることであり、「私の手には余る」と判断する前に、腰を据えて事態を分析し、自分の能力を信じることが必要。

 この自分の能力を信じること、自分自身に対して自信を持つことも、人間なら誰でもできる。誰にでも、才能があるからだ。

 必ずしも、その才能が学問に向けられるとは限らないが、スポーツや芸術、経営能力や商才、人を楽しませる能力といったように、自分に適した方面に隠れた才能は確かにあるはずである。

 その才能というのは、否定的な考えのところには現れることはなく、常に自信に満ち、積極的に考える人、気力にあふれる人にのみ開花するといえる。

 今、いかに劣等生でも、あるいはコンプレックスを感じていたとしても、自分の好きな点を伸ばすことによって前途は開かれる。弱点、欠点には目をつぶり、自分の優れている点だけを見つめ、それを追求し続ければ、ハンデは障害にはならず、才能は開くのである。

●小さな成功体験が才能を開かせる

 あの発明王のエジソンをはじめ、成功した人の多くは劣等感をバネにして、人生を大きく発展させている。逆境こそ、人を成長させる糧である。悪条件こそ、人を大きく前進させる推進力である。

 誰もが劣等感によって苦しむのはやめにして、積極的な心構えで、気力を充実させて事に当たれば、やがて成就しない願いはないのである。

 世の中に、最初から自信満々な人間などいない。偉人と評される人であろうと、一つの小さな成功をステップに、一歩一歩、一段一段とより大きな成功を手にし、それがまた大きな自信となっていくのである。その都度、より大きな自信を獲得して、さらに成功を重ねるのである。

 大いなる錯覚でもよいだろう。単なる思い込みでもよいだろう。まず自分自身に対して自信を持とう。「信じる者は救われる」ではないが、自分には能力も才能もあると自己暗示し、「必ず成し遂げる。きっと成功させる」と、楽観的に考えられる人間になることから始めよう。

 人間の心というものは面白いもので、「必ず成功する」という確信は持てなくても、「頑張れば何とか芽がありそうだ」などと少しでも思うことができるならば、いかに苦しい仕事でも、それなりに能力を発揮して達成してしまうものである。

 その意味でいえば、常に失敗と挫折ばかりが心の中で大きな比重を占めている人は、事に当たって成功イメージを持つことができず、「やればできる」と楽観的になれない。特に、今まで失敗を繰り返し、自信を失っている人は、何をするにも「今度も、うまくいかないのではないか」と、否定的に考えてしまう心理状態になっていることが多い。

 反対に、成功を重ねてきた人ならば、自分に自信を持ち、何をするにも積極的、行動的に対処していこうとする。こういう肯定的な捕らえ方をする人は、物事を否定的に捕らえ、消極的な姿勢になっている人よりも、いろいろな面で成功する確率が高い。

 はじめて手掛けることであっても、「やればできるだろう」と肯定的に考えることで、積極的に取り組むようになれるし、気力もずっと高められるのである。

 事に当たって、ビジネスマンや学生が自信を持ち、肯定的になるためには、最初、ささやかでいいから、とにかく実際に小さな成功を体験することだ。その成功を重ねていくと、だんだん当人の意欲、積極性に火がついてくるのである。

 人間は仕事や勉強を手掛ける時、すべり出しでつまずくと、嫌気が差してしまいがちだが、最初の段階である程度の成功を収めると、後は調子に乗ってどんどん進んでいく。

 ほんのささいなことでも成功したり、うれしい気持ちにさせられた体験は、その人間の行動を大きく変えるもの。よく見聞するところで、絵や作文などで青少年時代に教師からほめられたためにその気になり、一生懸命励んでいるうちに一流の画家や作家になったなどというのも、好例といっていいだろう。

 大人でも、一つの仕事をうまくこなして勢いがつくと、全く別の仕事もうまくこなせるようになる傾向が強い。分野は何でもかまわない。ともかく、うまくいくことが第一歩。 そのためには、自分の得手とすること、やりやすいことから手掛けるのもよい手である。パソコンが得意な人なら、OAを使う仕事から入る。ここで、ある程度の仕事をこなしたという実績が、次の仕事へ向かう意欲、自信を湧かせ、気力が充実しやすい状態を作ってくれる。

●尊敬する人やライバルを作ろう

 尊敬できる人物、あこがれの人がいたら、その人の活躍している姿を見たり、思い出したりすることで、自分の能力を高めるようにするのもよいだろう。

 野球選手、プロレスラー、相撲取り、俳優など昔のスターというのは、一般のファンにとってはあこがれ、尊敬の対象という一面を持っていたものである。こうしたスターでなくとも、身近に尊敬できる先輩や上司を見つけられれば最善かもしれない。

 尊敬する人が働いている姿を見ることによって、「自分も、もっと頑張らなくては」と、意欲を新たにすることができる。

 そもそも、こうした尊敬される先輩や上司というものは、仕事ができる有能な人であることが多い。同時に、身近な存在なだけに、仕事ぶりをつぶさに観察することができる上、彼らのまねをすることで、手際のいい仕事の進め方まで、知らず知らずのうちに身につけられる。それがまた、自らの自信へとつながっていくのである。

 同じような意味で、自分の頭を心理面から鍛える方法として、積極的にライバルという刺激物を作るのもいい。

 スポーツでも芸事でも、楽しんでのんびり道楽としてやっている人は、時間を注ぎ込んでいる割には力が伸びない、といわれている。勝負にこだわる人が、結局のところ最も伸びるらしい。今度は負けまいとするから反省が生まれ、一度犯した誤りは二度と起こさないよう細心の注意を払う。

 ビジネスでも全く同じで、上司から注意された悔しさや、ライバルに論破された屈辱感から逃げない人や、プライドを捨てて自分を素直に反省する人が伸びるわけだ。

 人間はほうっておくと、とかく楽なほうへ楽なほうへと流れがちだ。その結果、カドがとれ、次第にボケてしまうことになる。だからこそ、悔しさが自然に発生する状態や勝負にこだわる状況に、自らの身を置く必要がある。

 その点、人間は誰でも、ライバルが出現すると嫌でも発破がかかり、闘志に火がつく。彼や彼女だけには負けたくないと思い、負けた時の自分のみじめな姿を想像すれば、自然と仕事や勉強に身が入るものである。

 好敵手は自然にできることもあるが、もしいなければ、自分で作り出すことである。会社の仲間の中に作ってもいいし、学生時代の友人で、今は別の会社に就職している相手を標的に絞ってもいい。あるいは、全く別の分野で活躍している自分と同年配の人間を、勝手にライバルにしてもいいのである。

 また、ライバルというと、同年配で実力伯仲の相手を対象にしがちであるが、必ずしもそうである必要はない。自分と同レベルの人間をライバルに選ぼうとすると、ついつい楽をしたい意識が勝ち、絶対に自分が勝てるやや安易な相手を想定しがち。

 自分の能力を高めるには、そういう相手はふさわしくない。勝って当たり前の相手だから、結局あまりやる気が出ないし、時に負けることがあったりすると、ひどいショックを受けかねないからだ。

 自分より、やや実力が上と思われる相手であれば、負けまいとして全力を尽くすから、仕事に身が入る。自分よりも上のレベル、なかなか勝てない相手だからこそ、何とかして勝とうという気持ちが強まるのである。

 「彼の勉強したことを全部勉強しなくてはいけない」と思えば、猛ハッスルするはず。そうすると当然、頭にドンドン知識が入ってくるので、頭は数段鍛えられるものだ。

 「無知の知」といわれる通り、ライバルに比べて自分が無知であることを知るのは、大事だ。そこから一歩進んで、知らないことを知るように努力したい。

 もし身近に競い合うほどのライバルがいなければ、将来、完全に抜き去るための一時的なライバルを想定してもいい。例えば、今の上司を自分が超える相手としてのライバルに選ぶのも一案である。

 ともかく、誰もが自分のお手本となる人を探し、じっくり研究し、まねてみるところから頭を鍛える作業を始めることだ。

 まねること、盗むことのまず第一歩は、自分の資質に比較的似ており、また目的を同じくしている人を選ぶことだろう。その人と同じレベルになるためには、それこそ何度も同じことを繰り返しやればいいわけだ。偉大なるライバルは、自分が五、六度繰り返してやっとできたものをたった一度でできたのかもしれないが、できるようになった結果としては同じことで、恥じることではない。人間の持ち前の才気は年とともに衰えていくから、かえって何度も繰り返して鍛えた頭のほうが行く行くは長持ちし、優れているということが多いものだ。

●前向きの言葉一つで自分が変わる

 自分自身と競争して頭を鍛えようとする人には、座右の銘を持つことを勧めたい。

 世の中で、「継続は力なり」といった座右の銘を持っている人は多いものだが、自分の好きな言葉、自分の信じる言葉が、へこたれそうになった時、まるでムチのように心に気合を入れてくれ、心と言葉が結びついた時、思いも掛けない起爆剤になってくれることもある。

 その言葉も、ただ心で念じているのではなく、机の前に張ったり、紙に書いて持ち歩くことで、より心理的効果を高めてくれるものだ。

 人間は弱いもので、いったん状況に流され始めると、自分が大切にしている言葉もめったに思い出さなくなってしまう。忘れてしまいたいとすら思うようにもなる。そのような時、目につきやすいところに書いてあれば、当然、繰り返し確認させられることになる。 例えば、「必ず、あの試験に合格してみせる」と、ただ心の中で決意していただけでは自分を甘やかしてしまいやすいが、紙に書いたりして視覚化しておけば、紙を見るたびに意欲が喚起され直すし、他の人の目にもつくわけだから簡単には引っ込められない。

 自分の決意が鈍っても、その言葉が目に入れば、「こんなことではいけない」と、自分を励ましてくれるのが、自分の好きな言葉を張る心理的効果なのである。

 座右の銘を壁に張っておく際、この言葉は語尾がはっきりとした、断定口調にするのがいい。

 言葉を見た瞬間に有無をいわさず飛び込んでくる、強いもののほうが効果がある。強い断定口調は、自分に確信めいたものを与える。それが説得力につながっていくわけだ。

 太平洋戦争中にあったスローガンを思い出してみると、「鬼畜米英」、「贅沢(ぜいたく)は敵だ」と、対象を明確に位置づけ、断定している。この種の標語は二度と唱えたくないものではあるが、スローガンには選択の余地を与えない、力強いものが必要だという見本である。

 この意味で、よく受験生の部屋の壁に、「必勝」、「目指せ東大」などと書いた紙が張ってあるのは、意欲を鼓舞するための簡潔な言葉として、なかなか効果的な役割を果たしているはずである。断定のもう一つの効用は、言葉が短くなり、一見して目に飛び込んでくるものになりやすいということだ。

 たくさんの目標や標語を張ることは、かえって効果が散漫になってしまいがちだから、座右の銘をいくつか持っていてもいいが、特別の一つを選んで集中したほうが効果は高い。

 ことほどさように、人間は言葉によって、心の持ちようまで変わってくるものである。明るく、積極的、肯定的な言葉は、自分だけでなく、周囲の人々をも、明るく、生き生きとさせるものである。

 逆に、暗く、消極的、否定的な言葉は、自分を暗く、じめじめさせ、周りも暗く、不幸な気分にさせてしまう。

話も、「……します」、「……です」、「……やります」で締め、「……と思います」、「……するつもりです」を避けるのが、賢明である。

 なぜなら、明るく、積極的な言葉は、常に自分を高め、現状を打破しようという意志を持たせることができるからだ。あきらめや自信のない言葉からは、成功は生まれない。

 言葉とは、精神までも支配してしまうものなのである。

 ビジネスマンで仕事の実力があっても、チャンス、ピンチの大切な場で、その実力を発揮できるか否かは、言葉からくる精神力に微妙に左右される。

 むずかしい仕事だと思っても、「やれそうです」という。決して、安請け合いをしろというのではないが、「やってみたい」と前向きな態度で臨むことが、自分の能力を伸ばす。不安を感じながらも、困難な仕事に挑戦すれば、それだけ仕事の面白みも増すというもの。

 運の悪いことが続いても、「そのうちついてくるさ」という。言葉からスネた陰りを除けば、表情も明るくなり、自信が生まれ、物事はよい方向へ発展するだろう。

とにかく、「やれる」と思うこと、そして「やれるぞ」と他人に告げることは、思わぬ可能性を生み、自分のレベルを引き上げる方策となるのである。言葉で可能性をつぶすことはない。

 

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