(三)自然運動法

●五体を投げ出す絶対的健康法

宇宙大自然の「気」をエネルギーに変え、力とする百歳、百二十歳への健康法、鍛錬法の土台となるのは、ここまで説明してきた正眠と真呼吸であるが、それに続いて行う自然運動というものがある。

 自然運動は、積極的な心身の鍛錬法、養成法である。朝の目覚めに、真呼吸に続いて行う、あるいは真呼吸に併せて行うものである。この運動を行えば、自分一人の力で快適に体が動き、力強く自然に面白いように、命の鍛えができるのである。

 まず適正な眠りの後、真呼吸法で気息を整え、さらに自然機能を自然に活用する自然運動を行えばよい。

 真呼吸の終わる頃には、猛烈なる自然運動が起こって、肉体全体が何者をも恐れないような、素晴らしいエネルギーを発することもある。自ら驚くほどのエネルギーの発動である。慣れれば、そうしたことを自ら誘導することもできる。

 この自然運動は、別名、寝床の中の宇宙体操というが、真呼吸を続けていると自然に手足が動き出し、次第に体全体を自由自在に、動くに任せて動かすものである。宇宙の精気が臍下丹田まで通い、全身にエネルギーがみなぎってくるために起こる運動である。

 説明ずみのように、私は正眠、真呼吸、自然運動を合わせて寝禅と呼んでいる。それでは、私の考案した寝禅について、そのやり方を説明していこう。

 寝禅の第一の要諦は、朝、目が覚めかけてきた時、いきなり飛び起きるようなことをしないことである。寝床の中で、仰向きの自然のままの姿勢で、まずは体の力を抜くのがいい。

 そして、大あくびをして、手足をぐーっと伸ばすと、活力が体の隅々までゆきわたる気がする。いわゆる「伸び」という運動で、これが一日の活動開始前の準備運動になる。

 誰から教わったわけでもないが、子供の時からそうする。犬も猫も、起きがけに背を弓なりにして伸びをする。ダチョウや鶏も羽を片一方ずつ広げ、足を屈伸して準備運動をする。

 睡眠をとると疲労が回復するが、疲れもする。下側になっていた部分は体の重みで圧迫され、疲労が蓄積するそうだ。それに活力を注入するのが伸び。それと、運動神経の覚醒にも役立つ。目を覚まして、いきなり立ち上がると、よろけることがある。運動神経や筋肉が、まだ眠りの状態にあるからだ。「これから活動が始まるぞ」と、サインを送るのも伸び。スポーツのウォーミングアップにも生かすことができる。

 仰向けに寝て、両手をまくら代わりに頭の下に組み、足を伸ばす。それから、背中を伸ばすようにして、腰をぐっと浮かす。できなければ、膝を立ててもよい。人間の重要な神経は、ほとんどが背中を通っているので、「背筋が伸びた」という感じが出るまで数回繰り返すと、運動神経が完全に目を覚ます。

 そういう伸びを含めて、朝の寝床の中で行うのが、私の開発した寝禅という自然運動である。

 この自然運動は、気力を充実させて無病息災の体を作るもので、仰臥の楽な姿勢で自然に湧き出す元気な全身運動をしたり、また、座して左右前後に体を振り、あるいはねじ曲げ、腰、腹筋、内臓などの運動を縦横自在にするのである。

●寝床の中で行う自然運動

 といっても、その自然運動の仕方、要領は、肉体の自然作用に任せて、自然に体の動くに任せて、寝床の中で縦横自在な運動をすることが基本。

 はじめは、意識的に自分から自然運動を誘導して起こしてもよいが、次第に慣れてくれば、無意識的に前後左右に体が振られたり、ねじ曲げられたりする全身運動が生じる。

 思わず背伸びをしながら、手足が伸び伸びと突っ張る。やがて体が、自然にリズミカルな運動を始めるだろう。動きに身を任せて、肉体組織の中心まで徹底的に運動させればいい。

 次には、自然にあくびも、伸びも、ガスも大きく徹底したものをするようになる。そのあくびや伸びなどによって、体の中の疲れや邪気は放出される。人間には自己意識や感情、圧力などが常在しているため、こうしたせっかくの自然機能を殺しているものである。 やがて、両手で顔をこすったり、頭をかき始め、五官意識がはっきりしてくる。肉体が正しい状態に戻ってくる。

 また、自然運動を行っているうちに、手の指、足の爪先までも「気」がいきわたり、その「気」の働きによって、生命エネルギーが調整され統一されるものである。

自然運動は自然であるからルールはなく、自分の肉体の動くままに任せて、いささかも意識の介入を許さない。あくまでも自然のままというのが妙諦である。

 また、毎朝、目の覚めた時、静かに呼吸しつつ、体の静寂を味わいながら、真呼吸を続けること二、三十分間、これが次第に自然運動となってゆくので、この寝禅というのは時には相当激しい運動法ともなることがある。だから、全身全霊で行う自然運動を習慣にすれば、肉体が健康になるばかりではなく、意識の鍛錬にもなること必定。

 もちろん、寝床の上で行ずる一人相撲的のもので、相手は空の宇宙であり、実の己自身でもあるから、自分が自分の「命」と取り組んで、生かされ生きている自己の生命の内容を究明しようとしている姿なのである。

 その時、意識はない。意識が出たら負けである。肉体一色、全身全霊の大呼吸、体いっぱいの力、ただひたすらに充実する「気」のみなぎり、その力の強さ。これが九十三歳の老人かと思われるほどの体力、気力が、宇宙という他力世界からこの肉体にくる。雑念、妄想など出る余地はない。

 肉体というものは、坐禅のように静かに坐って体に静寂の躾けをすることもできるし、こんなに激しく自然運動を続けながらも、心や意識を出さずに、動寂行為をなすこともできるものである。

 なぜ人間にこうした自然運動が必要かといえば、坐禅は禅の基本的なもので、動揺常なき人間に静寂の「気」を養わせて、日常生活の活動中に、禅的の落ち着き、静寂さを保たせる目的のものであるから、坐禅の次には当然、この活動禅たる寝禅が必要となるはずなのである。

活動禅、動寂禅ともいえる寝禅の要領は、あくまでも自然運動で、絶対に意識を出さないこと、用いないこと。すべて肉体を自然作用に任せて、自然に運動するところに秘訣がある。

人間がもし、宇宙的に自然作用、自然機能、自然感覚を高度、完全に発揮して、現代のこの大文化を我が物となし得たならば、その人の一生は、どれほど素晴らしいものとなるだろうか。それには坐禅だけでもよいが、宇宙的の真呼吸と、この自然運動を加えた寝禅で、禅は完璧なものとなるのである。

●積極性自然運動の妙所

 従来の坐禅は静かに坐って、ひたすらに静寂を求め、空寂に迫ろうとする色即是空の方法であるのに比べて、ここに述べる寝禅は夜の八時間の眠りの後、静から動に移る朝の目覚めのひとときを、意識から起き出さずに、肉体の感覚や機能から目覚めさせる真呼吸、それに続いて自然運動という無意識、自然の大動寂禅と、静から動へと続くのである。肉体には生命力がいっぱいにみなぎっていて、心的意識や雑念、妄想の浮かび出す余地も、すきもない。

 ここに十分の眠りの基礎があり、息と呼吸の鍛錬で「気」のみなぎりがあり、肉体の働きが自由、自在となるからスポーツの条件、芸術の要領、達人への道として、これ以上のものはない。

 そこに、私の提唱する生かされの真呼吸と、生きるための積極性自然運動の妙所がある。寝禅とは、大自然の知恵と能力を体で悟る行法のことである。

 エネルギーに物質的エネルギーと生命的エネルギーとあることは当然のことながら、寝禅は、空の世界と現象世界とをつなぎ、色の世界に生きていながら空の世界を悟る巧妙な力の発動を体得できるところに意義もあり、便利で、楽しい価値、興味も感ずるのである。

 さて、寝禅は本格的には仰臥禅といい、仰向きに寝て行う禅だが、足を組んで坐禅をする時と同じような気分、要領で禅を行ずるという難しさはなく、体も大変楽で、効果も早く大きく上がるという利がある。

 この真呼吸と自然運動からなる寝禅の一時間は、その一回が坐禅十回分にも相当するくらいに、楽で効果が上げられるのである。

 なぜなら、寝禅は坐禅のような特別の修養、修行もしないで、合法的に、温かい寝床の中で楽をしながら、いとも楽しく実践できるからであり、自然作用によって、肉体の自然機能から自然運動を起こすようにすれば、自然の摂理のままに生かされているだけだから、これは楽で便利で、一足飛びに悟りの境地に到達できるものだからである。

 これこそ、体悟徹底とでも申すべきか、心身統一、般若〃身行〃、色即是空の体悟徹底行である。大摂理、大調和、大調整、宇宙秩序を体で悟る。実に素晴らしい自然運動の成果である。

このようにして、その成果は安楽の法門、大歓喜、大安心、大立命と大きな喜びが噴水のように湧いてくるのである。消極的な坐禅に比べて、これほど積極的で徹底した禅はないだろう。

 しかも、寝禅は体が楽で、無理がなく、自然に行えるから、年寄りでも病人にでもやれる楽行といえる。禅道では坐禅をひたすら続けることを説くように、確かに修行は厳しいものであるが、寝禅の形式は楽でも、その精神において真理者たらんとする行法であり、禅道の厳しい精神と変わるところはないのである。

●禅の道は肉体の道

 厳しい坐禅に精進して本当に心が落ち着く、静寂を得るには、三年も五年も七年もかかるが、寝ながら行う禅は、熱心に忠実に行えば、一年もかからないで、坐禅を五年やったと同じくらいの効果が上がる。それゆえに、毎朝一時間ずつ、熱心にこの方法を行じ続けられる人があるならば、三年、五年、十年を待たずして立派な悟りに到達するかもしれない。

この悟りというのは、頓悟と称するような突然に悟りの境地が開けるなどというものではなく、漸悟とでもいうか、だんだん自然に体の内容が改善され、体の感覚が開けていく生理作用的な悟りへの方法である。

 まず、健康第一で、その健康が非常に確かなものになっていくにつれて、賢明度も増していくのである。すなわち、生かされ、生きるという道がついていくので、自然に運命もよくなる。

 そうすると、人間が非常に堅実になり、真面目になり、落ち着いた立派な魂が養成されてくる。

 古歌に「八風吹けども動ぜず天辺の月」というのがあるが、その八風と称するような心が体の中にはなくなり、感情や圧力もなくなるから、非常に気が楽になり、体の中がさわやかになる。

 やがて、その状態が持続すればするほど、真善美楽の人になり、健幸愛和の人になる。こういう宇宙的性格が養成されると、その人は地球人でありながら、宇宙人となることができる。体は〃真体〃となり、さらに〃神体〃となっていくから、非常に感覚が素晴らしくなる。

 結局、体に存在する神経作用が、微妙かつ高度になるのであるから、体は巧妙至極、広大無遍性を発揮して、宇宙間に存在するあらゆるものの神秘性まで感得することができるようになる。

 また、体の中に蓄積されている潜在性意識が、知恵として、いつでも、どこでも自由自在に発揮できるような達人になれるのである。

 どうか、意識で理解するような誤ったことをせずに、体をもって実践され、日々是好日の〃身境〃を味得されることを願うものである。

 というのも、私の創案、開発した寝禅というのは、生かされているという宇宙天地大自然の絶対の真理のままに、自然で素直な形の中で、その意識などという不純物を一切用いずに、肉体だけで自然に行うものである。

 つまり、生かされているという原理、その中に体を投じて、宇宙の他力で、自力を涵養(かんよう)する素晴らしい方法である。

 寝禅を実行して半年も続ければ、自然に雑念が消え、瑣末な物事を気にしなくなる。全身に自然作用、自然機能が生き生きとよみがえり、生かされの完全生命である肉体意識や五官意識が磨き抜かれて、自己の運命も明るく開けるだろう。人間の肉体とは、そういう素晴らしい機能と未来を持つものなのである。

 寝禅は、積極的な、生かされて生きるという体全体をもってする自然の禅である。肉体を見直せ!肉体こそご神体なのであるぞ!

 この肉体というものを一人に一つずついただいているということの幸せは素晴らしい。肉体があるからこそ物が見える、何でも聞こえる、おいしい物が食べられる、やりたいことができる。すべて肉体のお陰ではないか。肉体の働きではないか。

 今まで、人間は心を大事にして、肉体を軽んじてきたが、元来、禅というものは、体に躾けるための躾け法なのである。

●日に何回もゼロになれ

私のように、毎日、早く寝る習慣をつけて、十分に熟睡すれば、朝の目覚めはすこぶる快適である。起き出す前に、大きな息を何十遍も吐いて、体内のスモッグを吹き払っておく。

 その上、あくびをし、背伸びをして、全身を自然のままに調整すると、次には自然運動という無意識的全身運動が発生し、無意識の中において全身を鍛えてくれる。人為的運動や整体法では、これほどに完璧な肉体の調整はできない。

 たとえ少々腹の立つようなことに出合っても、あるいは多少仕事の出来が悪かろうとも、それを気にかけてクヨクヨと悩むようなことはなくなる。

 実に、健康と不健康に限らず、幸福と不幸、楽しさと悩みの差をつけるものは、外部の現象や相手によるのではなく、己自身の体の調子によるところがほとんどである。

 まさに、「幸福は東にあらず西になし、きた道探せみんな身にあり」である。

 ところが、一般の現代人の体はみな凝っている。疲れ切っている。四十歳くらいまでは無理も利くが、この無理が人生の後半になって一度に現れる時、成人病は誰にも逃れられない当然のものなのである。

 そこで、朝に限らず一日に何回でも体を投げ出して、ゼロにすることをお勧めしよう。人間は疲れたら、休めば、またすぐ元気が出る。

 肉体は、働くと疲れるようにできている。疲れるまで働くと、肉体は鍛えられるし、力も知恵も出る。何より、心を用いずに働くこと。

 働きというものは肉体の専門力で、能力となって肉体に定着し、よい性格となる。疲れるというのが力の極限で、疲れのない働きは価値をなさぬ。

 そして、疲れたら、すぐに休め。そうすると、働きと疲れが楽しく、また休養の味も楽しく感じられるようになる。仕事に精を出したら楽しく能力が出て、能率も上がる。人間の日進月歩はこうして伸びる。

 体を放り出し、心を投げ出してゼロになること。このゼロが大切。心身すべてがゼロになれば、そのゼロの中から何かが出る。真理である。

 真理という万能力は、宇宙空間にいっぱいある。肉体を空にすれば、この宇宙力が肉体いっぱいにみなぎる。

 だから、労働した後は、できれば五体を大地に投げ出し、大きく息を吐く。すると、大宇宙の懐に深々と抱かれたような心地よさを感じるだろう。

 昔、軍隊でも知恵のある隊長は、小休止には、五体を大地に投げ出させて急速に疲れをいやした。大地には、人体の疲労を吸い取る自然の力がある。疲労回復、心機一転にも、五体を投げ出せば、不思議と体が軽くなる。

 この意味で、年配者は指圧やマッサージ、入浴などによって、凝りをとることもよい。特に、疲れをいやすには指圧がよいだろう。

 精神統一をしながら指圧を続ければ、指圧する人もされる人も利益を受ける。体の疲労が解消するばかりでなく、肉体の「気」が体から体へ通い合うものである。指圧をしている人に他力が到来すると、これが自力となって指先から指圧を受けている人にもおよんでいく。疲れや凝りのない肉体は、永遠に老いを知らず、百歳長寿が保障される。

●いつでもできる長寿体操

 そして、体の中の圧力を大きな息で吐き出し、五分間の真呼吸と、その後に湧き出す全身の自然運動、すなわち寝禅である。肉体には無意識に自律運動を起こして疲れや凝りをとり、心身の違和を調整する自然機能や自然運動もあるのである。

天地と我と一体、真空妙有、この静寂の中に発する自然運動は、動中に悟りを開き、無限のエネルギーを宇宙に直接仰ぐ。

 簡単な寝禅によって、たちどころに活力がよみがえる。元気回復、一日を二日に使う力も湧き出すのである。

 つまり、私のいう全身呼吸と自然運動の二部からなる寝禅は、朝の目覚めの時に限らず、気の向くままにいつでもどこでも行えるのである。

 疲れた時にはいつでも、まず水を飲んで自然作用的に肉体機能を活発にし、畳の上などにゴロリと横になって、意識を使わずに手足のおもむくままに自然運動を生じさせるのが理想的だ。

 例えば、サラリーマンなら昼食時の休憩時間に公園や屋上などで、家庭の主婦なら「少し疲れたな」と感じた時など、いつでも仰向けの大の字に体を投げ出し、まず体の中の圧力を大きな息で吐き出し、五分間の真呼吸と全身の自然運動で、たちどころに元気が回復するのだ。

 無意識の呼吸、無意識の運動というものが、なぜ人間の肉体を瞬時によみがえらせるかというと、それは意識的な緊張や凝りをほぐして、生まれたままの肉体の自然感覚、自然意識を活性化するからである。肉体の五官意識も新鮮な働きを取り戻す。

 すでに説明したが、自然運動は意識的に行うのではなく、肉体から自然に生じさせるところが眼目であって、こうすれば体内にたまった疲労素のガスがエネルギーに転換され、新しい活力となってよみがえるものである。

 ただ長生きしていても、植物人間や恍惚の人であっては意味がない。

 よく「六十の手習い」などというが、現代では八十歳になってから、健康体術として太極拳を始める人もある。

 寝床の中で、畳の上で、寝たままでできる自然運動なら、百二十歳まで続けられるだろう。健康にとって運動が大切なことはいうまでもないが、年齢に相応した無理のない運動でなければ意味がない。

 毎朝寝床の中で、あるいは気の向くままに一日何回でも行う自然運動なら、年齢に応じて運動量の調節も自由で、理想的な健康体操、長寿体操ともいえるはずである。

●らせん運動は無限の象徴

 私の提唱している自然運動は、別名、寝床の中の宇宙体操というが、全身呼吸を続けていると自然に手足が動き出し、次第に体全体を自由自在に、動くに任せて動かすものであり、自然、その動きはらせん運動になっていく。

 これが一番の薬で、効果の上がる朝の体操でもある。中国の人たちが早朝の広場などで行う太極拳、気功法なども、基本はらせん体操である。

 らせん運動は、その始まりも終わりもない周期運動で、無限の象徴である。大宇宙そのもののあり方、宇宙生命の存在の姿、宇宙エネルギーの形が、らせん状なのである。

 この点、宇宙エネルギーは、目に見えない空的存在であるから、十分熟睡した後の気分とか全身呼吸によって、肉体的また精神的充実感を得てはじめて感じるものであり、どこまでも感じでしかない。

 しかし、よくよく生物界や大自然界を観察していると、宇宙エネルギーが空的存在から色的存在として、その姿を原初的に見せていることに気づく。

例えば、人間の精子の運動や、生命の遺伝情報をつかさどるDNA(デオキシリボ核酸)について、面白いことに精子は頭に酵素をくっつけた蛋白質のらせん運動体であり、DNAはらせん状の核酸であることはよくご存知であろう。生命の元素ともいえる精子や遺伝物質が、なぜこのようにらせん状の形なのであろうか。

 また、原始生物のアンモナイトや巻き貝のらせん状は、きわめて素朴な宇宙エネルギーの具現されたものではないだろうか。

 そもそも、水槽の水を抜くと北半球では右旋回しながら水が出ていき、南半球では左旋回しながら水が流れ出すことからもわかるように、地球そのものが太陽の周りを大きならせん運動体として回っている。いや、地球のみならず、他の惑星も、太陽系そのものも、いやいや、宇宙全体が巨大ならせん運動体なのである。

 このことから、宇宙に遍満しているエネルギーは、らせん状の姿となって地球に届いていることはほぼ確かだろう。

 そのことに気づけば、宇宙エネルギーを吸収するには、この宇宙のらせんリズムを活用すればより効果的だということもおわかりだろう。

 私は、今朝、上半身に凝りを感じたので、らせんリズムを活用した骨盤中心の足腰だけの自然運動にしたら、腰の骨や腰周辺の筋肉の凝りや詰まりのはなはだしいことに気がついた。

 こうして、自分で自分の体の狂いに気がつき、らせん運動を中心とした自然運動によってその狂いをコントロールできるのである。

 診断と治療が同時である。しかも快適、痛快である。文字通り、やや痛いけれども、それがかえって快く、やがてその痛みも消えてゆく。そのよい気分たるや、これ以上の楽しさはほかにはない。

老人になると、ことに足腰から不自由を感じて、人間の平等性を失ってしまうものである。足腰が固くなると、知らず知らずのうちに、心まで頑固になってくる。この原理は若者でも同じことである。

 肉体の健康と柔軟性が失われると、心の自由まで失われて、とかく世人から苦々しく思われるような言動に走りやすいものである。

 そのゆえにこそ、人間の心の平等、自由性を失わないためにも、薬や機械に頼ることなく、自然運動などによる日常の生活方法の改造によって、肉体の生理を正常にし、自然性を取り戻しておくことが第一である。

 毎日の寝禅によって、適度の運動を継続して宇宙エネルギーの吸収に努め、全身をムラなく使えば、新陳代謝の理によって、肉体はいつまでも活用に耐えるし、薬も滋養剤もいらずに丈夫になれるというものである。

 

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