第二部 実践編

 

(一)睡眠法

●寝禅の前提となる睡眠

 私の開発した寝禅は、宇宙と我とが一如一体の深い睡眠が前提となる。大切なのは、八時間の熟睡である。睡眠もとらないで寝禅に熱中したのでは、害はあっても益はない。

 睡眠とは、一切の意識を放下(ほうげ)して、宇宙ドックに身をゆだねることである。肉体の細胞が、夜の闇の中で、自然作用、自然感覚、自然機能のままに宇宙と一体となって大呼吸をする。それが睡眠である。

 それは悟りの姿にも似た、宇宙に溶け込み、宇宙と一如一体となった状態だ。睡眠は、宇宙ドック入りして生命力の詰め替えを行う、唯一他力に身をゆだねる時である。

 まず、夜は早く寝て、眠りの中で宇宙天地の大生命とつながること。宇宙の大生命というエネルギーを吸収することである。この宇宙ドックにおける呼吸は、通常の空気呼吸のことではない。宇宙真理という宇宙に遍満する大生命を肉体に取り入れる、真理呼吸のことである。

 熟睡作用によって、人間は日々、偽悪醜苦な社会性の垢を洗い出し、真善美楽・健幸愛和的な人間本来の面目である、清らかでたくましい生命力を宇宙から吸収しているのである。

 私が寝禅の前提として、正しい睡眠の重要性を説くのは、眠っている時に、宇宙の力を肉体が吸収するからこそである。眠っている時に、空意識が最大限に働いて、宇宙の他力を肉体の細胞に充満させる。それだからこそ、人間にとって眠ることが必要であり、最も大切なのである。

 そして、宇宙の原理が他力であることは、眠ることを見ればよくわかる。自力で、意識して眠ることができようか。眠りは向こうからやってくる。静かに誘って、眠りの国へ連れていってくれる。

十分眠れたということも、目の覚めたということも、みな自分の力ではない。乳児を眠らせ、目覚めさせているのは宇宙大自然の力である。いや乳幼児だけではない。人の一生を支配するものは、昼は太陽に生かされて働き、夜は地球に抱かれて休むという、昼夜にわたる天行のリズムである。生かされているというのは、このことをいうのだ。

人間を生かす宇宙の力、それを受ける時間は、夜が一番。静かな夜の眠りの中で、肉体は調整されてゆく。

 地球が音もなく静かに、しかし猛烈な速さで回転している、この力。その根源たる宇宙のエネルギーの神秘、〃真力〃。人間がそれに気づかず、それを活用しないのはもったいない限りである。だいいち人間そのものが、生きているというそのことが、宇宙のエネルギーによるのだということを再認識しなければならないだろう。

 人間は、夜、眠っている間に宇宙のエネルギーを己の肉体に受ける。そうして大自然の生命力が、私たち一人ひとりの生命力となる。

 夜という眠りの時間に自然の懐に抱かれて宇宙に還る、自然に還る、生かされているという姿に還ることが、万物すべてのものの出発点であり、帰着点でもある。それはすべての原点なのである。

●疲労を活力に換える秘密

 現代人は、この夜というものを無視し、軽んじているけれども、一日の疲れは、夜の眠りの中ですべて解消されて、空となる。その空の中に、翌日一日働き得るような新しいエネルギーがはぐくまれる。いや宇宙から到来するのである。

 つまり、いくら疲労していても、一晩ぐっすり熟睡すれば、その疲労は夜の間に回復するばかりか、「今日の疲れは、明日の活力」にもなり得る。

 一般には、眠りによって疲れがいやされるとのみ思われているが、疲労そのものさえもが闇の中で燃焼して、新しいエネルギーに変換されるのである。

 細胞中で燃えるものは、炭水化物だけではない。目には見えなくとも、ガスが燃えれば青い炎を上げるように、形而上の世界に属する「気」も、その「気」が変化した〃疲れ〃も、ミトコンドリアの働きでATP(アデノシン・三燐酸)と同じように機能する。

 このミトコンドリアというのは、細胞内に多数ある細長い袋状の器官で、母親から子供に伝わり、体内のエネルギー源であるATPを生産する。十三種類のたんぱく質生産を指示する独自の環状遺伝子を持ち、どのたんぱく質を作る遺伝子が欠けても、筋肉や神経の働きが悪くなるというものである。

 今日の疲れが、そのまま明日の活力になるといっても、ピンとこない人が多いだろう。その秘密を明かすと、夜と昼とは、無形世界と有形世界、形而上の世界と形而下の世界という違いがある。それぞれの世界は、差別的なようであるが、即平等的でもある。この平等即差別の中から、巧妙至極な知恵も能力も自然に作られるのだから、「果報は寝て待て」も、理にかなった正しい眠りが前提となっているのである。

 つまり、五官意識が空の世界で回転していれば、眠りの中で昼の働きが知恵となり、体験となって肉体に蓄積されて、自然機能が作用し、疲労は新しいエネルギーに変化するのである。

 肉体というこの素晴らしい構造のバッテリーが、完全に充電されるのは夜、眠りの中においてなされるわけだ。だから、よき運命はよき睡眠の中から得られる。幸福になれるかなれないかは、その人の眠り方いかんによる。

 「人はパンのみによって生くるにあらず」とキリストがいったのは、精神生活の大切なことを説いたものである。しかし、人間は、食べ物、飲み物によって栄養分を摂取し、肉体エネルギーとしているが、エネルギーを得る方法は口から摂るだけではない。夜の大切な眠りの中で、性器を中心に宇宙エネルギーを吸収しているのである。

 例えば、腰を下ろして、一息入れる。いっそのこと、体を投げ出して休む。目を閉じて、放心状態となる。全身の力を抜いて、太い息を吐く。

これだけのことで、ずいぶん疲れがいやされることは、どなたでも経験されていよう。

その原理は、自力と他力とがうまくつながって、宇宙大生命と肉体との間に流通、交流の道が開け、肉体への充電が行われるからである。

 口から摂る栄養分は自力摂取であるが、睡眠中のエネルギー充電は、他力による。しかも、睡眠中に宇宙から得るエネルギーは、真善美楽・健幸愛和的な宇宙生命力であるから、万人平等に人間性を清浄化し、豊かにする尊い栄養分なのである。

 さらにいえば、食べるほど精がつくというのは、腹八分までのことである。多くの病気は、過食、偏食、美食が原因。そういう人は、たいてい不安神経症に悩まされていて、不眠症の人が多い。

 食事は腹八分目、夜は心を悩ませることを一切やめて、眠くなったら寝る。こういう習慣を肉体にしっかりと躾けると、睡眠の効果はさらに高められる。健康の増進をお望みなら、それは必ず得られ、幸運、幸福さえも得られるのである。

 よい証拠に、「寝る子は育つ」ともいう。しかも、人間性豊かに育つのである。自然に従って育つから、天真らんまんに、清純無垢にである。余計な知識や社会性の知恵を与えることが教育だと思っている人は、間違っている。人間心を肥大化させるより、肉体精神の強靭さを培うことのほうが、本当の教育なのである。

 人間にとって何より大切な生命は、夜の睡眠の中で作られ、調整されている。睡眠なくして人生なし。人の成長も健康も運命の消長も、睡眠中に宇宙の大電源からバッテリーのような肉体へ流通、充電され、無限エネルギーの現実性となり、人間的価値となって現象されていることを銘記してほしい。

●宇宙の生命力を吸収する時

 夜、寝る時は、仰臥して体を投げ出して、何も考えないで、宇宙ドックに身を投げ込んでお任せするだけである。「どうぞよろしく」というように、自分という意識を着物と一緒に脱ぎ捨てて、体一色になって、宇宙の中に体を投げ込んで他力に任せてしまう。

 これは親鸞上人のいわゆる「自然法爾」でもあって、自然に任せて、法則、原則のごとく眠らしていただくばかりである。

 その時には、特別に呼吸作用など心掛ける必要はない。ただ静かにゆったりと息をして、そっとしていればよい。

 そういう方法に慣れると、熟睡ができるし、夢を見ることなども少なくなるし、体の疲れがよく取れる。

 すると、体というバッテリーに充電されるように天の「気」がいっぱいみなぎり、地の「気」が力となって湧き出してくる。すなわち、天地と我が一体となって、陰と陽の「気」が調和して、適当に人間の生命や内容を充実させてくれる。

 こうしたよき睡眠の翌朝は、いい気持ちの目覚めが訪れるし、体の疲れもすっかりとれているものである。

 毎日、早く寝る習慣をつけて、十分に熟睡すれば、自然に早起きができ、朝の目覚めはすこぶる快適というもの。夜八時頃に寝れば、朝四時頃にはひとりでに目が覚める。早朝の空気には、新鮮な宇宙エネルギーが充満しているから、「三文の得」どころではない。 白々と夜が明けるにつれ、天地の万物が静かに目を覚ます。鳥のさえずりも聞こえる。その頃が、人間にとっても目覚めの時である。ここで、大急ぎで飛び起きて、いきなり何かを始めるのはよろしくない。実は、ここのところが一日のうちで最も重要な時間帯である。

 宇宙の大きな知恵や、森羅万象をかくあらしめるほどの宇宙大生命が、熟睡中に、人間一個の肉体の中に吸収されているのであるから、その肉体を静かに、ねんごろに活性化する時こそ朝の目覚めなのである。まだ、肉体は眠気でもうろうとしている。

 そんな状態で飛び起きて、朝食もそこそこに慌てて電車に飛び乗って出勤しては、一日中ヘマばかりやらかす。知恵は湧かず、勘も働かず、希望もやる気も出ない。なぜなら、肉体がなお眠ったままだからである。

 目覚めの時、せめて二、三十分かけて、後に詳述する全身呼吸と自然運動を行って、肉体に「気」を入れ、精神を充実させること、つまり、肉体を活性化させることがポイントである。

 ただこれだけでも、その日一日の幸福感がいっぱい湧いてくる。たとえ少々腹の立つようなことに出合っても、あるいは多少仕事のできが悪かろうとも、それを気にかけてクヨクヨと悩むようなことはなくなる。

 実に、幸福と不幸、楽しさと悩みの差をつけるものは、外部の現象や相手によるのではなく、己自身の体の調子によるところがほとんどである。

 昔から、「十八娘ははしが転んでも笑う」といわれているが、それは体のコンディションが完全だからであろう。

 これが一般に老人ともなると、秋になって枯れ葉が一枚ポツリと落ちるのを見ても涙ぐみ、はしが転ぶのを見ては縁起が悪いと悲しむことであろう。

 まさに「幸福は東にあらず西になし、来た道探せみんな身にあり」である。

 人間の平等、自由とは、夜にこそあり、眠りの中に、そして朝の目覚めの時にこそある。そこから人間平等の本性が開発されてくる。

●効果的な睡眠法

 ところが、人間はだいたい、眠りの功徳の素晴らしさについて忘れているから、一日に一度くる眠くなる潮時を無視しがちである。

 眠りには、ただ八時間眠るというだけのことではなくて、その時間帯もある。

すなわち、一日中快適に働き、日が暮れたら早く片付けをして、夕方は家に帰る。太陽が西に沈む夕方、鳥も魚も獣も、ねぐらに帰る。人間もまた、この宇宙大自然の回転に合わせて、静かに眠りの用意に入るのである。そして、八時までにはサッサと寝てしまうがよい。

 そのため遅くまで仕事をしないこと。読んだり、見たり、書いたりもしないことである。それをすると、目や耳から頭脳を刺激して、自然に眠くなるということも抑えられてしまう。

 夜は緊張をやめて、眠くなる潮時に乗じて、グッスリと熟睡すれば、今日の力が明日の力に切り替わるのである。夜は、このような自然作用を持っている。

 人間の睡眠にとって最も適した時刻は、夜八時頃からの八時間である。睡眠時間は、個人差はあっても、原則として八時間が標準になる。

 眠る時間ばかり長くても、眠りがよく熟した〃全眠〃、〃禅眠〃でなければ、結果においても寝不足になり、翌日の能率は半減するし、長い目で見れば大変な損失を重ねていることになる。しかも、睡眠を十時間以上もとると、脳も肉体もなかなかスッキリしない。いつまでもボンヤリと眠った状態が続くから、八時間ぐらいがよい。

 時計を見たら、「ああ、ちょうど八時」。夜八時頃寝る。なるべく夜八時頃寝る。なるべく夜八時頃寝る癖をつけるように心掛ける。

 そうすれば、最も新鮮で充実した朝四時頃の「気」を、目覚めに呼吸することができる。

太陽も地球も、一日も休まない。毎日、明るい昼と暗い夜とを創る。人々を昼は働かせ、夜は休ませる。夜はあくまでも休むための時間である。

 宇宙のエネルギーを摂り入れて行う大掛かりな生命の詰め替えは、夜がよろしい。昼に比べて効果ははるかに大きい。

 「夜八時に寝ろ」、といわれると大抵の人は驚く。しかし、夕食を適度にすまし、夜は余計なことをやらなければ、体も心もゆったり解放される。

 日常、こういうふうに習慣をつけると、寝なければならない時にひとりでに眠くなる。自然に従って生きるのはいい気持ちだ。

●昼の「気」と夜の「気」

 一日の時間的北極、すなわち夜の十二時、午前零時という夜の頂点に肉体を合わせて、八時から十二時まで眠る。この間に、地球の回転とともに、肉体の疲労は、ほぼ四時間でゼロになってしまう。

 午前零時から、朝の四時、五時頃、夜明け前までに、その体いっぱいにエネルギーの蓄積、充電がなされる。

 なぜならば、昼の「気」と夜の「気」の働きが違うように、十二時前に働く「気」と、後に働く「気」は全然違うのである。

 十二時前に働く「気」は、昼間の疲労を取り除くのであって、十二時後に働く「気」は、体が疲労がなくなって空の状態になったところに、生気を詰め込むのである。

 これが時の上に眠り、空の中に身を横たえて実を取るという最良の方法である。

 ここに宇宙的秘密がある。これは形容詞ではなく、文字通りの宇宙の秘密である。人間としては、これが大秘訣であるけれども、人はこれに気がつかない。

 昼の十二時を頂点として、朝の八時から四時まで、あるいは五時まで働く。

 昼間の十二時は南に向かった時であり、夜の十二時は北に向かう時である。天地の関係がすべてのものをこうした規則の上に運営している、大切な昼と夜である。

 ここにチャンネルを合わせての生活でなければ、真の人間の秩序を見つけることはできない。

 これが一切の原理である。この原理生活、法則を乱す者に幸福はない。

 私たちは、夜は生かされている宇宙人、昼は働きが人間をつくる社会人なのである。

 人間は昼間の八時間を社会人として働き、朝四時間、夕四時間を家庭中心に和楽し、夜の眠りの中では根本宇宙人として、自然生命の本質、真善美楽・健幸愛和の人に還る三重生活、そして自然界に生かされる肉体と、社会に生きる心との二重生活も忘れてはならぬ。

 こうして夜四時間眠り、朝四時間蓄え、朝の四時、五時頃になると、すっきりした気持ちで目が覚めるだろう。

 宇宙の原則、自然の法則というものは恐ろしいものである。

 自分の体が六時間なら六時間、七時間なら七時間だけ寝て、どの程度まで疲れが取れたかということは、目を覚ました時によくわかる。

 それを、深夜の十二時を中心に八時間、たっぷりと寝てみると、疲れがすっかり取れたということをはっきりと感じる。自分でそれがよくわかる。

 この〃正眠〃という楽しい自然の仕組みによって、人間としてのよみがえりが無為にしてできる。無為というのは、そのための努力がいらないということである。

 ただ天地の回転に合わせて眠ればよろしい。だから誰にでもできる。

 こうして早く寝て、十分に眠ることを習慣づけている人は、よく眠るだけで、賢明かつ健康な人になれる上、他力が充満しているから、自力につなぐには都合がよく、従って仕事などもうまくゆく。

 現代の錯綜した社会機能の中では、どうしても夜遅くまで、あるいは夜を徹して働かなければならない人たちも職務もあろうが、できることならば避けたい。

 近頃、特に若い人の中には、夜遅くまで遊んでいる癖のついている人たちが多いが、これも、もちろん避けたい。

 日が暮れたならば、サッサと帰って、夜更しせずに、なるべく早く休むのがよろしい。時間的な標準を示すならば、四季を通じて、夜八時に寝るのが望ましいことは、もう理解されていよう。

 はじめのうちは難しいかもしれないが、進んで夜はなるべく早く寝るように習慣づけると、意外に楽にできるようになる。

 文化の発展や物質生活の過剰などが、不幸にも人間性をいよいよ狂わせている昨今、現代の文明は逆に科学や機械が人間を悪化させている原因だともいえる。

 テレビの功罪などについても、いろいろの論議はあるが、テレビという機械が悪いのではなく放送の内容が悪く、深夜まで、時には朝方まで長時間画面に食い下がっている人がいけないのである。テレビの普及から世界的に非行少年の増えたこと、その他にも害は大変なものである。

 夜も昼もない照明や交通の便利さなどで、睡眠という生命に一番大切な条件が無視されている事実から、意外な問題が数多く発生していることにも人は気がつかない。

●睡眠なくして人生なし

 天行のリズムに反して、眠いのを我慢して夜更しを続けていると、本当に眠りたい時には眠れなくなってしまう。不眠症などというのも、もともとは眠くなった潮時に素直に眠らなかった罰である。夜中の十二時が眠りの中心、昼の十二時は働きの中心と、天地と人間の関係で決まっている。

 夜というのは平等世界である。人はその神秘に気づかないが、夜の「気」は重く地を這い、眠りという自然作用の中で万物を育てているのである。

 その宇宙の摂理、万有の法則に背いて夜更しを続けていると、病気になったり、早死にしたり、必ず罰を受けるものである。

眠りが足りなければ肉体の帳じりは赤字になって、寿命のくる前に破産してしまう。これは、肉体に備えつけのコンピューターがはじき出すのだから間違いない。

 伝書鳩の帰巣本能というのは、地球の磁気に感応する体内時計から生まれると聞いたことがある。体内時計といえば、人間の肉体は生きた時計であって、無意識のうちに大自然の運行に時刻を合わせているものである。

 だから、肉体に任せておけば、夜の八時には自然に眠くなるのに、堕落した意識がその時計を無視して、働きすぎたり遊びほうけるから、早死にする人が多いのである。

 生命の神秘ともいうべき肉体機能は、眠りの中で完璧に整備されるものであるから、日が暮れたら少しでも早く寝る習慣をつけなければならない。

 人間の体は、例えてみればバッテリーのようなものだ。あくせくと働きすぎ、遊びすぎて放電ばかり続けていると、思い掛けぬ時にバッテリーが上がって、ポックリいきかねない。十分な睡眠で、常日頃からチャージを怠らぬことである。

 人間は、睡眠が肉体細胞の元の元なる「気」エネルギーの、最も効率的で大切な補給法であることも決して忘れてはならない。

 人はただ眠ればよいくらいにしか思っていないが、ここまで説明してきたように、正しい生命の原則には眠くなる潮時があり、寝方もあり、熟睡への法もある。これに違えば惰眠となり、真の人生から外れてしまう。

 よく眠る子はよく育つというが、人は老人になっても宇宙の子である。世界の長寿村を訪ねてみると、いずれも判で押したように早寝、早起きである。このように夜を基準とした規則正しい生活が、健康と長寿を支えていることがわかる。

 年を取ると眠りが浅くなるとか、少時間の睡眠でよいなどというのは、心の作り出した勝手気ままな、へ理屈にすぎない。老人が眠れないというのは、心すなわち意識が多すぎて、眠りの邪魔をするからだ。眠れぬ者に夜は長し、眠りの足らぬ人は天が精密な計算をして、長い眠りに誘い込む。これが時ならぬ永眠なのである。

 そういう人間苦のほとんどは、人間心に起因している。それは、社会性の自我意識ですべてが解決できると信じていたり、自力で欲望を達成しようと思うから生じるのである。が、自力だけでは苦悩は増えるばかりで、結局は生き急いで死を早めること必定である。 四十、五十歳の若さであっけなく世を去った人が、もし唯一他力にゆだねる睡眠の効用に気づいていれば、人生は、もっと楽しく、美しく、充実したものとなって、八十、九十歳、さらに百歳、百二十歳までも健康、長寿を全うできたであろうに、と悔やまれてならない。

 夜まで働いても、疲れの割合に能率は上がらない。夜は早く休むのが原則。夜を楽しむ人も、疲れや害はみな肉体が負わされるのである。夜でなくては落ち着いて勉強ができぬというのも、社会性の意識が強いからにすぎない。

夜八時に寝て毎朝四時、五時から数時間、人生八十歳まで勉強し続けたら、どんな学者や名人ともなれる。人間にはこの平凡な行ができない。ちょっとした真理を軽んずる人は、健康を含めて大きな〃真利〃を失う人である。一円を笑う人は一円に泣く人である。

●就寝中に発動する空感覚

 また、誰も気づく人がいないことだが、昼間経験したいろいろの事柄が、夜の眠りの神経の落ち着いた中で、要不要、善悪賢愚、利害得失というように、適切に選別される。つまり、人間の経験を夜の大気がろ過し、振るい分けてくれるわけで、これは五官と無意識の力で行う睡眠中の自然作用なのである。

睡眠とは、このように宇宙ドックに身をゆだねて、宇宙エネルギーを詰め替え、生命の基礎を培うと同時に、肉体細胞が自然作用、自然感覚、自然機能をフルに発揮し、真善美楽・健幸愛和的エネルギーに浄化、ろ過されて、清新な生命に生まれ変わる大切な時である。

よく眠り、次に述べる全身呼吸に徹し、全身的自然運動で健康増進を怠らない生活法を身につけた人の自然な眠りは、そのままで生死一如、宇宙と我とが一体の、清らかで深い眠りである。そういう自覚がある人間にとって、睡眠はその日一日の死であり、生である。

 その上、日頃から真呼吸法と自然運動からなる寝禅で肉体にしっかりと他力を躾けておいたなら、「明日は四時に起きよう」と、前夜眠る時、腹に自己暗示をかけておけば、目覚まし時計などに頼らなくとも、ピタリと四時になると目が覚めるものである。

 この力は、頭脳ではない。いわんや、心的意識や知識力などでもない。腹時計という無意識的意識、空感覚が働くのである。これが他力の効用ということである。ヘソの穴からネジを巻いて、肉体に必要なことを刻みつけておけば、容易に空感覚が発動して、さまざまな願い事をかなえてくれる。

 つまり、深い眠りは肉体一色の、宇宙と一体になった眠りであるから、肉体の無意識感覚が宇宙意識として働いてくれるのである。

 こういう深い眠りを肉体に習慣づけるには、雑念、妄想を放下して、ひたすら無心に出入りの息を数えていれば、スウッと眠りに入れる。

 これを数息という。あるかないかのかすかな息を、あるかないかの無意識的意識で数えることは、肉体本位の生活法に徹しさえすれば、うまくいくものである。

 こういう宇宙睡眠の間は、自我意識や潜在性意識は放下されていて、肉体は他力一色となり、宇宙意識が働くから、深夜の火事や泥棒などの侵入はたちどころに察知するものである。そういう空感覚は、鼻にある。

 ところが、夜更しばかりしている人の眠りは浅く、意識に妨げられて、真の熟睡は得られない。健康を損ない、感覚は鈍く、眠りが浅いのにもかかわらず、泥棒に簡単に忍び込まれて盗難に遭う。

寝ている間は、老若男女、善人も悪党も、富者も貧者も、平等無差別に神の懐において生かされており、宇宙に溶け込み、宇宙からエネルギーを摂取し、知恵も得て賢くもなっていることを忘れてはならない。

 現代人は皆、この素晴らしい睡眠の再生力と人間浄化力に無関心で、なるべく楽をして体を疲れさせないようにし、夜遊びにふけって平気でいる。

 正しい眠り、その重要さを心得て実行している人は、健康、長寿、幸運、幸福が得られるというものである。

 

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