第一部 理論編

(一)禅とは何か

●禅の目的は人間完成にある

古来から、人間は悩み、苦しんできた。「こんな人間の在り方でよいはずはない。本当の人間というものは、いったい、どういうものであろうか」。仏教者ばかりではなく、およそ心ある人々は、この疑問に悩み苦しみ続けてきた。

 こうした悩みを解き、人間自身を何とかよいものにしようとして、山に分け入り、滝に打たれ、難行苦行をして人間完成の道を究めようとした。おそらく、それは洋の東西を問わず、世界的に試みられた「行」である。

そして、およそ二千五百年もの昔、インドに現れた釈迦が、純化行法として禅ということを発見した。禅の道を開発した。禅の目的は人間完成にある。

 私にいわせれば、本来の禅そのものは宗教とはいえないものであり、肉体の科学というべきもの。禅は、釈迦の教外別伝として伝えられることになった修行法なのである。

 ところが、歴代の祖師方によって伝承されて今日に至ったため、仏教の一宗派か、信仰の一方法かと思っている人もあるようだが、釈迦が純化行法として発明し、それを弟子たちがさまざまな宗教的解釈を加えて教えてきただけで、禅そのものは本来、宗教でも信仰法でもない。

 禅とは、心を静めることによって得られる心身の高度な内在的体験である。もちろん、仏教では悟道体得、悟りを開くことを中心に説くが、要は、禅の目的は人間完成を目指す心身の鍛錬ということである。東洋の神秘思想として、現代の欧米各地で多くの人たちが関心を寄せ、実践して、一種のブーム現象をもたらしていることは、そのよい証拠である。

 宗教は神仏を立て、人間の神性、仏性を理想にまで引き上げよう、高めようとする手段である。禅は人間が本来、宇宙天地大自然世界に遍満する「気」の結晶生命体である本質に照らして、単刀直入に、天地と自己との一如一体に還らせ、宇宙そのものの真善美楽の法則性に従わせよう、と考え出された方法といえよう。

 信仰の必要もなく、中曽根元首相が在職中に行じて話題になったように、誰にでも迷いを断つ手段として、禅の体得は有意義、有効である。むしろ、信ずるとか仰ぐというような、意識や心を用いることが邪魔なくらいで、よいことにさえ心を用いないことが、禅の秘訣だといわれるほどだ。

●六年間の難行の果てに

 さて、新訳仏教聖典によれば、釈迦は、山に分け入って六年間も難行苦行した末、禅の発見によって悟りを得て、自己の内部に神性を見いだした。

 若い頃から人生問題に悩み、二十九歳の時、人生における生老病死の四苦、人の心の偽悪醜苦という四迷心、合わせて四苦八苦からの解脱(げだつ)の道を求めることを発心して、釈迦は王城を逃れたといわれている。王子の地位も財宝も捨て去って、愛しい妻子とも別れて、清貧の生活に入った。無常、無情な人間社会の現実を深く思い悩んで、それらを解決するための悟りを得んがためであったのである。

 三十五歳で悟りを得て、自らが真理者となる前の六年間の歳月というものは、それは大変な苦学、難行苦行の連続であったという。

 当時のインドでは、釈迦の生まれる前に、すでにバラモンの教えというものがあり、肉体的にも精神的にも、厳しく人間の規制をした。釈迦も最初は、その教えに従った思索法や行法で、真理的に人間性を開顕しようとしたのである。

 宗教者の荒行の多くはまさに命懸け、あえて健康破壊までしても、霊的体験を得んがために身を捨てて挑む。中でもよく知られている釈迦の体験は、次のようであったと伝わる。

 まず、断食、断息。バラモン教でいう断息というのは、胸腔に強い陽圧を生じるばかりでなく、胸圧を上げ、静脈と動脈の乱れを起こすなど、大変危険な苦行である。そのことは、医学者によって実証されており、素人がこれを繰り返せば、七転八倒して、ついには気絶するか悶絶するというものである。

 さらに、風雨、雷、寒暑に耐える、いばらの床に伏す、立ち続ける、害虫や害獣と同居するなどの、あらゆる苦痛の体験の連続であった。その他、ひげや髪の毛を一本ずつ抜く苦行、体に油を塗り燃え盛る火であぶる苦行、冷水に入り寒さに耐える苦行、屍(しかばね)の散乱する墓場での苦行などであった。

 その揚げ句、釈迦の肉体は、手足は枯れ葦のごとく、臀部はラクダの背のごとく、そして背骨は縄のごとく、肋骨も腐った古家の垂る木のごとく、まるで骸骨か幽鬼のような姿になったという。

 これだけ肉体を痛めつけ、死と背中合わせの苦行に耐えられたのは、ひとえに精神力と宇宙の神の他力があったからというほかはない。

 しかし、釈迦は、理想とする悟りの境地を得られなかったのである。

 そこで、独自に自らの考えで山へ入って、懸命に道を求めた。自然の中に没頭して、静かに瞑想し、いろいろと思索したに違いない。だが、どう考えても、考えることによっては、解決に結びつかない。自己に求めても、天に求めても、自然に求めても、求めるということでは、駄目だということがわかったのではないか。

 飲まず食わずで修行して、フラフラになり、命も絶え絶えのやせ衰えた体で、里へ下ってきた。伝説によれば、ちょうど小川のほとりで牛乳を搾った器を洗っている女性がいて、親切にも、骨と皮ばかりの修行者に牛乳を捧げたという。

 もうどうにもならないほど腹がすき、体が乾いていた時に飲んだ牛乳は、命の水、天来の福音、さぞ美味であったかしれない。これによってよみがえったという釈迦の体が、どういう感覚を起こしたか、どう感応したか。おそらく、生命の根本、全体に響き渡るものがあった、と推量される。

 こうして、釈迦は肉体の衰えをいやし、回復して、再び、山にこもって修行したと伝えられる。

●禅行の発見による悟りへの到達

 それからの釈迦は考え方を変えた。肉体を苦しめ意識を働かせれば、悟りに到達できると説くバラモン的な思索法や行法は間違いである、と気がついたのかもしれない。ともかく、考え方の方向転換をし、ブッダガヤの菩提樹下で坐禅に徹して、まもなく真空妙有の悟りの域に至ったといわれている。

 それは、肉体をひたすら空ずる禅行を発見したお陰である。釈迦の存在した中古社会以前にも、さまざまなる聖者がいて、さまざまな方法で、すでに坐禅の基を開いていたかもしれない。それが釈迦によって、完全なる悟りの道となり、自己の内部に神性を見いだす仏道を成就したのである。

 天人合一の悟りの道に到達した坐禅の奥義が、呼吸法の体得にあったことはよく知られている。六年間という難行、苦行の果てに悟りに至らず、その根本原因が呼吸法にあったことに気づいた釈迦は、坐禅を組んで数息(すそく)を始めた。

 数息とは、読んで字のごとく、一、二、三、四…………と息を無心に数えることである。この呼吸法によって、釈迦は入る息を入る息と受け止め、また、出る息も心ゆくまで出す作法の発見をし、天地が開けるように、闇が白日に変わるように、悟りの境地に到達したといわれる。

 この数息の一番のポイントは、出る息を長く長く、さらに長く、出息長をするのがコツである。併せて、釈迦は入息短の大切さも説く。すなわち、出る息は長く、入る息は短く速やかにというのである。出息長を習得すれば、自然に力強く深い入息短の同時習得も可能となる。体内にたまっている雑念妄想、我欲我執の自我意識を徹底的に無化する呼吸法の、これが第一段階である。

 もちろん、釈迦の呼吸法の探究は、これにとどまるものではない。数息の次には、相陏、止、観、還、浄の六段階の呼吸法に至るが、それら高次元の呼吸法は奥深く、難解で、一般人には容易に習得できるものではない。

肉体生理学的に、呼吸法を体得すると悟りに到達する原理を説明すれば、先の出息長をやると、頭蓋腔の血流を促進するので、脳細胞の活動に大いに役立つ。さわやかにもなり、精神活動が活発になる。そうなると、見えない世界が見え、聞こえないものが聞こえ、わからないものがわかるようになるのである。

 また、私の真言で説明すれば、人間の細胞は、宇宙に直結している独立生命体である。呼吸法によって充電した「気」が細胞にみなぎっていれば、約六十兆個を数える細胞から発せられる気神経の働きが、空の世界と現象世界をつないでくれる。

 だから、「気」を臍下丹田に沈め、深く全身にいきわたるほどの大呼吸をすれば、すべての細胞が内包する気神経は、腹と腰という肉体の中心に集まり、全身を電流のように流れて肉体機能を調整し、大知、大能力の根源となる。

宇宙と肉体が一如一体となれば、肉体に備わるさまざまな超感覚が発揮され、いわゆる宇宙の知恵が得られることになる。

 釈迦、あるいはキリストやマホメットのような天啓開悟者たちは、みなことごとく超能力者であり、また、普通人にはない異能力の持ち主である。こういう人というのは、例外なく宇宙エネルギーを直接呼吸し、宇宙と肉体が一如一体となり、宇宙意識、宇宙感覚を体得、体現した人である。

●宇宙と一如一体に還る禅

 悟りを開かれた釈迦は、まさに天地が開けるように、自らの知恵、悟りが、大きな宇宙につながり、広々として何もない中に、すべてがあるという真空妙有の状態になった、と私は想像する。

 この体が真空になると、宇宙天地大自然世界の存在が、非常に妙なるもの、いうにいわれず、説くに説かれぬ、大変な世界であると感じるようになる。同時に、人間生命の素晴らしさを意識ではなくて感覚で知るようになる。意識ではなく感覚が、心ではなく精神が、肉体を通して宇宙と交流していることがわかったのである。

 だから、釈迦ほどの人がなぜこういう遠回りをしなければならなかったかという原因も、釈迦以前の宗教者が、意識と感覚、心と精神の違いに気づかなかったからである。心理作用と精神作用という二つのものの違いに気づかず、むしろ一緒のものと考えていたために、意識の清浄化を求めながら、精神に似て非なる心によって肉体が支配されてしまい、どんなに難行、苦行を重ねても悟りの体得に失敗してしまったのである。

 心を捨てるということは、過去の自我性を否定することである。誤った先入観念をすべてゼロにすることである。そこに空の世界が現れる。

 この空の世界の中に、真実の自己を発見することができる。真実なる自己は、至上の宇宙生命と一体のものであり、この境地を体得すれば、それが神人合一といわれるものである。

釈迦は只管打坐(しかんたざ)の行法によって、肉体一色となって大悟徹底に至り、己が天地と一体、万物と同根、差別即平等、平等即差別ということを、肉体感覚で知ることができたということである。空即是色、色即是空、目に見える世界と目に見えない世界が、つながっている一体のものである。

 そこにすべて秩序、順序、差別はあるが、平等世界から出てきた差別であるから、この差別なるものも、平等の生命が発生しているもの。石も草も動物も、すべて命あるもの、生死一如、有るというものと無いというものと、共通一体のものであるということがわかったに違いない。

 無限世界と有限世界が同じもの、生死一如、生きることと死ぬことには、境はあるけれども、生と死はいとうべきものではない、恐ろしいものでもない、当然当たり前のことであることが自覚された。

 これは素晴らしいという光明で、辺りが明るくなったことであろう。

釈迦は「奇なるかな、奇なるかな」と第一声を発し、「一切の衆生は元来如来の知慧徳相を具有す、ただ転倒妄想のために迷うのみ」と第一宣言にいわれたという。奇なるかな、万有ことごとくは仏と同じ知恵、徳操を持ち、森羅万象のことごとくは、みな成仏の姿、仏の姿であるといい切り、人の四苦八苦の原因となる心の払拭散華(さんげ)に全力を尽くすのである。

 釈迦は、人生の極致に到達した絶対の力を得て、いわゆる大知大能力の人となって、インド各地を回り始め、鹿苑、祗園、王舎城、竹林などに法を説いた。その説法をして歩いた足跡には、大小の虫が競って入り込んだと伝えられている。天敵同士も、その中では闘志を失い、平安な気持ちでいられる。だが、この効力は七日間なので、次の足跡に入ろうと釈迦の後を追う。人もまた、その足跡に触れて、罪や汚れから救済されよう、と後を慕った。

こうして仏教を広めること四十五年間、クシナガラの沙羅双樹下において、釈迦は八十歳で没することとなる。その死後、百数十年を経たアショカ王の時になって、王の保護によりインド全土に広く信じられるようになった。それから、三蔵法師ら多くの出家僧によって四方に伝え広がっていくのである。

●臨済禅と曹洞禅の違い

 釈迦が説いた教えが仏教であるが、その死後千年ほどの間に、弟子たちが教えをさまざまな、お経にして、サンスクリット語で表した四千六百もの経典ができ、後世に伝えられている。総称して、一切経とも、大蔵経とも呼ばれているが、中国へ伝えられ、漢訳したものが少しずつ日本へ渡ってきたのは六世紀から。膨大な量の経典の中から、法然は阿弥陀経、日蓮は法華経というように、自分の理念のよりどころとなる経典を選び出し、宗派を開いたのである。

 釈迦自身は一冊も本を書いていないのに、四千六百もの経典の学習を巡って、次々といろいろな宗派ができ、その宗派に別派ができ、別派からさらに別派が開かれ、それぞれ教義の解釈や説法、行法を異にする。まことに煩わしく、訳のわからない事態となって現在に至っている。

 釈迦の発明した禅は、禅宗第一代の師である摩訶迦葉尊者に師資相承され、以後、南インドのバラモン種に生まれた二十八代達磨大師に至る。この大師が中国に渡って、中国および日本における禅宗の開祖となるが、九年間にわたる面壁坐禅で、手足のなくなるまで、なくなるほどに坐り続けて悟りを得たといわれている。

我が国へは、鎌倉時代に栄西禅師が中国からその禅宗の一派である臨済宗を伝え、坐禅による悟道体得を説いた。臨済禅は坐禅中も公案について考え、しかも、その悟りは世間の常識を超えたものでなければならない。

 この宗派は鎌倉の上流武家に信望を得たが、妙心寺派、大徳寺派、建長寺派、円覚寺派などの大派閥に四分五裂して、派によっては坐禅もやれば、祈祷(きとう)もやり、お経も読む。

 古来から、禅宗の秘伝は不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)、以心伝心、見性成仏(げんじょうじょうぶつ)などと、もったいぶって難しく考えられているが、それは捕らえがたい心というものにこだわりすぎていた結果にほかならない。

 とりわけ、以心伝心の道などと、心で悟るように思ってきたところに間違いがあった。強いてそういいたいならば、〃以真伝真〃ないし〃以身伝身〃の道、すなわち心理によってではなく、真理によって、肉体の知恵によって相手に伝えると表現すべきものだろう。 そして、禅をあまりに難解なものにしすぎ、自粛、自戒をあまりにも多く作り、心を心で規制しようとしたため、この上もなく窮屈で形式に縛られたものにしてしまったきらいがある。

 無門関であるのに、入り口を間違えて、心という入り口から悟りの山へ登り始めたため、心の裾野が広くて、心ゆえに心の迷路がやたら長く、その求道巡礼者たちはほとんど迷路に落ち込み、真理者となった人はごくわずかであった。

 その点、禅の中でも栄西の弟子だった道元禅師が中国から伝えた曹洞宗のみは、坐禅以外は一切無用として只管打坐を説き、黙照禅を唱えて、臨済宗の公案禅に対比される。体悟徹底の坐禅行のみで、経典否定、加持祈祷もなし、富貴栄達、俗塵を避けて、深山幽谷にて、ひたすら行ずるのである。

 この曹洞禅は、心を相手とせず、ただ肉体一色で坐るから、心は払拭できて、肉体と精神のみが残るという禅の妙諦に触れ、大悟にも徹することができるので、宗教から肉体の科学へ一歩踏み出したものということができる。

●道元禅師の面目

我が国においては、道元禅といえば禅の代名詞になっているほどに、入宋して曹洞宗を伝えた道元禅師の業績と、その透徹した素晴らしい禅義は広く知られている。

 道元の理想は、釈迦がいた時と同じような社会を実現することであった。そして、道元禅の真髄は、「身心脱落」の四文字の中に凝縮されている。

 「仏道をならうというは、自己をならうなり、自己をならうというは、自己を忘るるなり、自己を忘るるというは、万法に証せられるなり」

 と、主著「正法眼蔵」(しょうほうげんぞう)の現成公案の巻でいい、続いて、生死の巻では次のように説く。

 「ただ我が身をも心をも、放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏のかたより、行われて、これに従いもてゆくとき、力も入れず、心もついやさずして、生死を離れ、仏となる」 先の万法とは、宇宙、自然の全現象を貫く真理、理法のことである。自己を捨てることによって宇宙天地大自然が、宇宙と自己をともに貫く真理の何であるかを、真実の自己が何であるかを証してくれる、と理解すればよいだろう。

 そして、力も心も不要だという。人が仏になるのに心はいらない。我執という迷った心は、なおさらである。身も心も捨てて、ただ仏の家という宇宙天地大自然の前に自己を投げ出せ、そうすれば、すべてのものが天地自然とともに満ちみちてくる。自分というものがゼロになる。かくして明鏡止水のごとくになれば、宇宙が逆に自分となり、自分が宇宙そのものとなって、双方は融け合って一体となる。真理自身も自然に明らかになってくる。

 これが禅の原理であり、真髄であることは、言を待たない。

 道元禅師は、父母を幼くして失い、十三歳で出家して比叡山に登り天台宗を修めるが、一二一四年、臨済宗の開祖・栄西を訪ねて禅宗の何かを知った。栄西は翌年死に、二人が会った期間は短かったが、師の言行が若い道元に与えたものは大きかったといい、十八歳の時から栄西の門弟の明全について六年間禅を修行している。

 やがて、二十四歳の時、明全とともに宋に渡り、宋僧如浄の元で学ぶこと五年、二十八歳になって帰国している。師の栄西禅師が建てた京都の建仁寺に入ったが、師のいた頃に比べて行儀の乱れてしまった寺を去り、山城の深草に興聖寺を造って曹洞宗を開いた。

 彼は体悟徹底の坐禅以外は一切無用と黙照禅を唱え、経典否定、加持祈祷もなし、宋の師・如浄の最後の訓戒の通りに、富貴栄達、俗塵を避けて、深山幽谷にて、ひたすら行ずるのである。

一二四四年、道元は真理体得の徹底をはかるために、古くからの帰依者の寄付によって、越前の人里遠い山中に永平寺を開き、祈祷にも応じず、文学にも接することを避け、清貧の生活に徹して、名利につながることからひたすらに遠ざかった。

 九十五巻または七十五巻からなる名著「正法眼蔵」は、門下に正しい教えを伝えるために書かれたものであり、弟子たちにも、一定の保護者の庇護を受けてはならぬと説いている。いわゆる時の権力者や富貴、栄華に近づくことは、修道の放棄につながるからにほかならない。

 真理者・道元禅師の面目は、あくまでも真理の体得を第一とし、祈祷仏法による栄達は邪道だと批判し続けたことにある。真理こそは、いかなる権力にも、金銀財宝にも勝る絶対不二の価値だからである。

 仏教の経典が、教義哲学とともに、実践行法による現世利益を説いたものであることは明らかであるが、究極の目的が悟道体得、真理の体得にあることを忘れてはならない。その一番の近道が、道元の始めた只管打坐であろう。これこそ、禅の最善、最上の方法といわれる由縁である。

●ひたすら肉体で行ずる只管打坐

 只管打坐とは、ただ坐ること。いわば、坐禅修行には頭の部分はいらぬわけである。道元禅師は、「利人鈍者を選ぶ事なかれ」ともいっている。むしろ頭に自信のない人のほうが、禅の道では成功の可能性があるかもしれない。頭の鋭い人というのは、思惟作用が一段と鋭敏、複雑であろうからである。

 もちろん、禅では、実社会においてきわめて大切な頭の必要性を無視しているわけではない。禅は頭の機能をより高めるのに、大きい助けになるはずである。人間のすべての機能を天然自然に最大に発揮せしめることを、禅は企図するからだ。

 天然自然の作用を妨げるもの、これがほかならぬ自我と称する自我意識、自己意識で、この意識の錯覚を悟らせて、取り除くのが禅なのである。

 人間は、ない自我をあると錯覚しているという、ただこの一事がわかればよい。そうすれば、自ら全く無条件の安楽の道が開かれる。万巻の書を読まなくても、道は開かれる。只管によって、この体一つで畳半畳の天地空間に坐って、宇宙を自らの一部と見なすことのできる境涯を得られるのである。しかも、その境涯にあって、巧まずして周囲の人や物に調和してゆける。

 只管打坐について説明を加えれば、現象界、外界に五官は触れているが、直接頭を用いず、自己を介入させない一如の世界である。

 だから、只管打坐とは、修行の方法であり、目的であり、人物の本来の姿であり、また、今の私たちの姿である。道元が「修証不二、悟りと修行は同じものである」といわれるところである。

 その禅修行は簡単である。同様に、それにより求める道も簡単明瞭なものである。道は決して難しくないが、ただ、あれかこれかの選択の心が駄目なのだ。

 この点、道元禅師は「体取せよ」といわれた。その意味は、心という自己意識や感情を使わず、五官で正しく見聞きし、皮膚で感じ取り、すべてを体験として学ばねばならぬということである。

 体取せよ。現代の科学文明時代に生きる人間も、自己意識や感情を使わず、何事も五官で正しく見聞きし、肌で感じ取り、すべてを体を通して受け取ることが大切なのである。

 俗に「机上の空論」などというが、頭だけで得た知識や理論は、学問の世界では貴重かもしれないが、概して実際の人生には役立たぬもの。知識ばかりがいくらあっても、社会に生かして使う気働き、気力、気転が働かなければ、そういう人の学識、経験は無駄に終わってしまう。いわゆる宝の持ち腐れとなる。

●現代禅は白隠に始まる

さて、禅は鎌倉時代に栄西禅師、道元禅師らによって中国から臨済、曹洞の二宗が伝えられた後、江戸中期になって明の帰化人、隠元禅師により黄檗(おうばく)宗が開かれている。同じ頃、臨済宗から白隠禅師(正宗国師)が出て、大衆にも気軽に参禅できる現代禅を考案したといわれている。

 もちろん、今日流行している禅は、禅寺や道場で、よりソフトなものに改変されて伝えられているが、深遠で厳しい修法であることに変わりはない。禅道は、きわめて精神的な厳格な修法といえる。

 この現代禅の生みの親といわれる、白隠慧鶴の業績と禅義は偉大である。多くの法嗣法孫(伝統を受け継ぐ跡取り)を打ち出して道俗の教化に貢献したばかりでなく、民衆の化導(教化し導くこと)に残した功績は計り知れないものがある。五百年間に一人の大宗匠といわれたほどで、道元禅師と並んで禅傑中の禅傑といえよう。今日の臨済禅においては、白隠禅師の門流がほとんどであることが、それを示す。

 実際、現在の日本において広範な勢力を保っている禅は、道元の曹洞宗と、大燈国師、関山慧玄(かんざんえげん)の系譜を、この白隠が中興した臨済宗妙心寺派の二つである。最高の寺格を持った官寺である五山の外にある禅宗が盛んであることは、歴史の面白さであろう。

 白隠禅師は駿河(静岡県)の人で、十五歳で自らの意思で出家し、名師を求めて全国各地を歴遊。信濃で慧端禅師に出会い、臨済の正法を明らかにする。その法門を二十九歳で継ぐが、肺を病んで療養のために京都に上る。

 故事によれば、若き白隠は坐禅に励み、呼吸法を誤って肺結核にかかったのであるが、仙人に教えを乞い、正しい深呼吸を習い、実践して、大悟徹底したという。

 三十三歳の時、郷里の松蔭寺の住持となり、翌年には京都の妙心寺第一座に上った。そして、白隠は大燈国師の正宗を提唱したので、四方の僧俗が競ってその門に入り、臨済の宗風は大いにふるうのである。

 だが、一生涯を郷里の貧しい寺に住み、貴族に近づかず、名利を離れて諸国を遍歴、教化したゆえに、臨済宗中興の祖と称され、庶民に慕われた。

 また、八十四歳の長寿を保った白隠は、数多くの著作を残している。通俗、平易なものが多く、知らず知らずのうちに禅味を味わわせてくれる。

 その一つの「夜船閑話」の中で説いた内観(数息)法は、よく知られている。

 「坐禅を組んで、出入りする息を数えよ。一呼吸を一つと数えて千まで、数え間違わないように数えよ。そうすると、心身の緊張がほぐれて、身も心もゆったりする。心は静寂となり、いつとはなしに宇宙の中に融け込んでいく。この呼吸法を長い期間、忍耐強く実行していれば、呼吸を数えているのも忘れてくる。いわゆる無我の心になる。こうなれば、体表の八万四千の毛穴から、いろいろの病気が、雲や霧の晴れるように自然と消え、精神爽快にして心身の健康が回復する」

 というのが要約であるが、西洋の自律訓練法(AT法)も、その原理は白隠禅師の内観法に通じている。

 また、「夜船閑話」に腰脚足心という言葉があるが、足まで心を下げろという禅の要領は面白い。下半身から他力の到来することを、禅によって体得した言葉である。彼はいつも坐禅をして、下半身の力を養っていたから、腰から下で人の話を聞いたという。坐禅というのは、そういう力を養う方法である。

 人は頭で考え、足で歩むようにできているが、頭に集中している五官がアンテナであり、足はアースで地に着いている。足が地に着いていてこそ、一体なのである。

 頭寒足熱というのは、上半身を空虚にし、下半身を充実、強力にするという健康、〃賢全〃の極意なのである。足腰の冷える人、のぼせ症の人は、健康状態が悪いのみか、心が転倒しやすく、感情の激しい妄動人たるのみである。

 古来、腹と腰に魂があるといわれているが、腹の底には空意識、無意識という他力の到来場所、生気のみなぎるご本尊、ご本宮様のご鎮座場所があるのである。

●坐禅の要諦と功罪

 自然界に目をやれば、木にも草にもみな均整があり、調和のとれぬ木は折れ、倒れてしまう。人体では腰が株、足は根に当たる。古来、日本の男女は、腰にしっかりと腹帯を締めて、座った姿勢で勉強した。昨今の足長青少年は、転ぶと手も足も利かず、棒倒れとなってケガをするという。

 腰脚足心、白隠禅師が心を足に置いたように、宇宙真理と人間の体型からいえば、上下の均整こそ肝要である。「腰から脚、そうして足の裏に心を置け、うわずっては危ないぞ、坐禅をしなくてもいいが、常に心を腰から足の下半身に下げておくことを心掛けていなければいけない」と、白隠は庶民大衆に盛んに教えた。

 腰や脚に心があるものではないが、そこまで心を下げることができる。それには、足を組んで坐禅をして、ヘソから下にしっかり力を入れ、上半身を楽にし、毎日三十分、一時間ずつ続けることによって、その実践、実現ができるのである。

人間は、下半身がしっかりと宇宙大自然から養われていれば、上半身がよく働くものである。

 この点、白隠禅師が「衆生本来仏なり、この身このまま仏なり」と喝破したように、人間は生きながら仏と同じようになることができるのであり、さらに、人間は誰もがみな宇宙人なのである。

 宇宙人としての本来性は、誰もが等しく全知全能性を備えているという、人間の根本的な資格、本質を芽生えさせ、下半身から肉体を鍛えて、この能力を発揮すれば、今からでも人々は宇宙的真人となれる。

 すなわち、人間は己の欲する理想像を心に描き、その姿を目標として常に努力、精進を怠らなければ、やがて理想の人間像者、絶対真理者、悟りの人、大悟徹底の人となり、宇宙的な人間性を成就せしめることが、禅という修行法を通してできるわけである。

 その証明者が、これまで述べてきた釈迦であり、道元であり、白隠であった。その他にも立派な禅僧がたくさん現れて、証明したのである。だから、現代においても先達ほどの修行をすれば、禅を行じてそこに至ることができるはずである。決して、不可能ではあるまい。

 だが、人間修行道の中では、最も易行動であるはずの坐禅観法にしても、誰でも楽に毎日連続してやれるものではない。努力、精進には人によって限度があり、長い一生を完全に修行し終えるということは、きわめて至難のことに属する。

 禅の要諦を一言で述べれば、心と肉体を徹底的に空ずる行法であり、根本原理は色即是空、空即是色である。理論や思想であるよりも、これを実践、体験することに意義がある。本格的に取り組むならば、深遠で、厳しくかつ困難を極める行法といえよう。

 その基礎となる呼吸法をみても、坐禅を積み精神統一の不動身の体現者は、一分間に四、五回、人によっては一、二回の呼吸量になる。普通の人の呼吸は十五~十七回くらいだから、つい中途で挫折してしまう人が多い。一生を投じて徹しても、なお届かない奥義の世界であることを心得ておかねばならない。

 時に思い出したように坐禅をやってみても、その効果は知れたものである。まして、現在流行している禅ブームなるものは、頭がよくなるため、健康のため、セックスに強くなるためなどと、社会性の欲望達成を目指すものが大半で、本来の禅の意義を見失っているのが現実である。それは、社会性の欲心で禅の一面を利用しているだけにすぎない。

 本来の坐禅の狙いは、人心解脱である。人間心を空じ、さらに肉体を空じて、宇宙精神すなわち如来意識者となって、生きながら仏となることを目指す。きわめて厳しいもの、高いもの、徹底したものである。

 現代人は、昔流の修行法をあまり好まない。いかに坐禅が立派な行法だとしても、それによって人間の理想像が達成されるのに、五十年も六十年もかかるのであっては、現代人になじまないのもやむを得ない。

 しかし、このままでは、いつまでたっても理想の人間像、真理者に到達しない。

 

 

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