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∥人生の三分の一を占める行為∥
●人間にとって睡眠とは何か
なぜ、我々人間は毎日、毎晩、床の中で眠らなければならないか。取り立てて考えたことがあるだろうか。
安眠できない不眠症者はともかく、一般の人間は日常生活において、特別に意識もせずに睡眠を迎え、睡眠に入ることができる。疲れたら眠って、疲労を回復する。つまり、人間にとって睡眠とは、日常生活を継続するためのごく当たり前の自然の行為ということなのである。
それゆえか、昔から、覚醒(かくせい)時の人間の振る舞いや行動が礼儀作法とか、心得として関心を持たれていたのに対して、近代に至るまでは、人間の睡眠行為が研究の対象とされた様子がない。伝統的な日本のことわざや格言などを見ても、睡眠というものが空気や水のように身近な存在だったことがわかる。
俗に「寝た間が極楽」という。夜、眠っている間は、誰でも無意識になれる。現実の心配事や苦労も、その時ばかりは忘れられ、極楽の境地を味わえるということである。
顧みれば、封建時代、重い年貢に苦しめられ、朝から晩まで働きづめの毎日を送っていた農民は皆、このような心境にあったのだろう。武士のように刀は持てないけれど、商人のように晴れ着は着られないけれども、彼らと同様、農民も日が暮れれば睡眠だけはとれた。時間の長短はとにかく、睡眠はつかの間の幸せを運んでくれたのである。
現代社会では、時によっては仕事で徹夜をする人もいるだろうし、広い世間には、夜と昼を取り違えたような暮らしをしている人もある。「町にネオンが輝き出すと急に元気が出てくるんだ」と、夜行性の動物みたいに、夜がくるのを待ち焦がれている人にも出会う。
しかしながら、やはりこれは例外であって、本来、人間の眠りと目覚めは太陽のリズムに合わせて作られている。夜は眠り、昼は目覚めている。
その肉体が宇宙天地大自然によって創られ、万有の法則に従って生かされている、いわば小宇宙である人間は、昼と夜という天の運行のリズムによって生命が支配されている存在であり、夜明けとともに起きて働き、日没とともに休み、夜の闇(やみ)に包まれて眠るということは、単なる生活上の習慣ではなく、宇宙の厳しいおきてであり摂理なのである。
編集子にいわせれば、人間が十分眠れたということも、目の覚めたということも、みな自分の力ではない。我々を眠らせ、目覚めさせているのは大自然の力である。人の一生を支配するものは、昼夜にわたる天の運行リズムである。
いかに文明が進もうとも、人間から睡眠を駆逐することはできないだろう。
それどころか、一説には、すべての高等動物は、睡眠を奪われたら、ほぼ十日間で死ぬといわれている。
●人生の三分の一は眠り
人間の天寿は百歳から百二十歳であるが、ある人の寿命を七十歳として考えても、一日ざっと八時間くらい眠る人間が多いことから、三分の一を床の中で過ごすとして、二十三年間は眠っている計算になる。十日間といえば、人間の一生の睡眠時間の中では、わずか〇・一パーセント程度にすぎない。
いかに眠りが大切なものであるかがわかるだろう。
生まれたばかりの赤ん坊のうちは、二十時間はたっぷり眠るものである。一日のうち、四時間しか目を覚ましていないわけだ。生後三週間になった赤ん坊は、一日二十四時間のうち、六十三パーセントの十五時間ぐらい眠るという。大人の睡眠時間は普通、八時間で、一日の割合はおよそ三十三パーセントだから、赤ん坊は倍も寝ていることになる。
アメリカのクライトマンという学者の研究によると、新生児はいつでも眠り、いつでも気ままに目を覚ます。二十四時間を周期とする、覚醒と睡眠のサイクルが確立されるのは、生後六カ月ぐらいたってからだという。睡眠時間が七、八時間になるのは、十五、六歳頃からである。
厳密にいうと、人生の三分の一以上は睡眠だから、もったいないからと省略するわけにもいかなければ、まとめてすます寝だめもできない。「デカンショ、デカンショで半年暮らす。後の半年や寝て暮らす」と歌にはあっても、実際に半年もの長い長い眠りがあったら大変。
反対に全く眠らなかったら、これまた大変である。人間は発狂し、死んでしまう。
断食ストはあるが、断眠ストにはお目にかかれないわけである。昔の中国には、断眠の刑という重い刑罰があったようだし、拷問に眠らせない方法があったのも、同じような理由からだろう。
人間は、人生の三分の一を、眠りに当てなければならないようにできているのである。 大ざっぱにいって、目覚めが三分の二の十六時間、眠りが三分の一の八時間というリズムは、地球上どこへいっても変わりない。暗い夜が何カ月も続く冬の南極でも、やはり眠りと目覚めはこの割合で繰り返される。太陽が沈まない、つまり白夜のシーズンの北極圏でも同じである。
我々人間は、これだけはどうすることもできないのである。
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●生体のリズムを刻む体内時計
人間は一日二十四時間の周期で、覚醒と睡眠を繰り返しているが、考えてみればこれも不思議な習性である。
J・アショッフは、外の環境の変化による影響を遮断した地下壕に、四週間にわたって人を住まわせて、覚醒と睡眠のリズムに狂いが生じるかを実験した。もちろん、時計など時刻を知る手掛かりになるものは、携帯させていない。
すると、真っ暗な部屋で生活した被験者が勘で決めた起床時間には、少しずつ遅れが生じ、約二週間で昼夜は逆転してしまった。
この実験の結果、被験者は平均二十四・九時間で、一日のリズムを繰り返していたことがわかったのである。このズレは二週間も経過すると、昼夜が入れ替わるほどの長さになるが、時刻を知る手掛かりを全く失っているにしては、一日〇・九時間の誤差は驚くほど小さい。
これが、人間が体内にあらかじめ、一日二十四時間を刻むリズムを備えていることの証明となった。
このほか、人間の体温が二十四時間を周期として、規則正しく上昇と下降のカーブを描いていること、夜睡眠中は低く、午前四時頃が最低で、徐々に上昇していき、午後三、四時頃にピークとなって、また下がり始めることも実証されている。
体温のほかにも、ホルモンの分泌量や血圧、脈拍や血液内の物質などにも、一日二十四時間のリズムがあることが認められている。
人間と同様、動物も生まれつき、二十四時間のリズムを刻むというのもよく知られている。植物でもオジギソウは真っ暗な中に置いても、ほぼ二十四時間の周期で、葉を開いたり閉じたりする。
こうした生体リズムをつかさどるのが生物時計(体内時計)で、地球の明暗サイクルに対して適応するためだ、と考えられている。植物はすべての細胞が時計を持っている。動物では脳に時計がある。核のない下等な単細胞生物でも、時間を計る時計を持っていることが確かめられたという。
人間の場合、時差ボケや交代勤務の疲労だけでなく、肥満や薬の効きめなどにも、頭の奥で規則的な体のリズムを刻む生物時計が関与していることがわかってきた。
その時計は、脳の視床下部の一部で、視神経が集まっている視交叉(さ)上核という一対の神経細胞群の中にある。その周期は先に述べた通り約二十五時間で、一日二十四時間とのズレを埋めるため、目から入る光を通して二十四時間のリズムを受け取り、視交叉上核が時計を同調させている。
結局、宇宙の運行、太陽の光などに合わせて生きるように、生物は適応性ができている。だから、夜中の零時を中心にして、夜八時に寝て、朝四時に起きるべし、という私の主張は、立派に科学的な裏づけのある真理なのである。
時差ボケの場合や、徹夜が続いて昼夜が逆転したりして、生活時間と体内時計がずれて生体のリズムが崩れると、睡眠障害、集中力や活動性の低下など、身体や気分に変調が起きてくる。
こうした場合に、強力な光を朝、二時間程度浴びせて、生体リズムを元に戻そうという光療法が効果を上げている。冬季うつ病、つまり、日照の少ない冬場に、体内時計が順応できなくなる不眠症状などにも劇的な効果がある。強い光が体温のリズムを整える働きをするからだ、といわれる。
●さまざまに唱えられた睡眠学説
睡眠については、「肉体から魂が抜け出るのが眠りである」という考えが信じられていた時代もあったが、十九世紀末になってようやく、睡眠のメカニズムの医学的な研究が始まった。以来、さまざまな睡眠学説が発表されている。主なものを紹介しておく。
血行障害説は、夜になると脳を流れる血液が少ないため、大脳の血液循環が滞ることによる貧血、あるいは充血が原因で眠くなるとする考えである。しかし、調べてみると、起きている時も、眠っている時も、脳の血液量にはちっとも変わりがないことが明らかになった。
疲労物質説は、フランスのH・ピエロンという研究者が、今世紀に入った一九一三年に唱えた説である。人間が活動を続けると、脳にピプノトキシンという特殊な疲労物質が発生する。それが脳細胞の働きを弱めて、眠くなるということを実験で証明し、世人の興味を集めたのである。睡眠中枢とでもいうべき脳の中の井戸から、あたかも水が湧き出すように眠くなる物資が現れて、我々を夢の国に誘うというものだった。
睡眠中枢説は、脳幹部の間脳に、目覚めの中枢と眠りの中枢とがあって、目覚めと眠りをコントロールしていると考えたもので、睡眠中枢が刺激されて眠くなるという。この考え方によると、日本脳炎で、コンコンと眠り続けるのは、目覚めの中枢が壊れて働かなくなったためであるというわけであった。だが、近年の研究は、二つの中枢説を全く影の薄いものにしてしまった。
抑制説は、大脳皮質のある一点が抑圧されると、これが大脳皮質全体に広がり、眠くなるとする説で、旧ソ連のパブロフが条件反射の実験から説明した。
刺激遮断説は、アメリカ人生理学者クレイトマンが発表した説で、「生物は赤ん坊のようにいつまでも眠っているのが本来の姿で、起きているのは間脳中にある覚醒中枢が外側から刺激されるためだ」と唱えた。
要するに、覚醒しているのは、外部のさまざまな刺激に不本意ながら反応している仮の姿で、夜暗く静かになって刺激も少なくなると、脳は本来の姿を取り戻そうとして、眠りに入るとするのである。
この点、例えば朝がきて目覚める時、ただ何となく起きてしまうか、それとも何か刺激を受けて目覚めるかを考えてみると、大抵は何か思い当たる刺激がある。刺激は、窓から明るい太陽が差し込むとか、トイレにゆきたいとか、おなかが減ったとか、町の騒音とかである。
反対に、眠ろうとする時はどうだろう。明かりを消すとか、ラジオのスイッチを切るとかする。トイレをすませておくことも欠かせない。
つまり、目覚めと眠りは、体の内外から脳に送り込まれてくる感覚の信号によって、左右されているように思える。
感覚の信号が強く出されている時、例えば「おなかがペコペコ、おなかがペコペコ、おなかがペコペコ……」という信号が、胃から脳へしきりにやってくる時は、覚ますまいとしても目覚めてしまう。反対に、眠りは信号が弱くなった時だ。
ところが、さらに睡眠の研究が進むにつれて、このような感覚的刺激もリズム作りの本家とはいえず、せいぜいアクセサリー程度のものであることがわかってきた。
その証拠には、眠り足りると、どんなに静かな暗い部屋でも、「もっと眠っていなさい」といわれても、眠れるものではない。床の中で、ただ漫然と目を閉じているか、あらぬことを考えたりしているのが関の山である。
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