健康創造塾 生き方 健康創造塾 生き方 健康創造塾 生き方 健康創造塾 生き方

∥人生を左右する日々の生活∥

 

●日々の生活の積み重ねが人生を左右する

 人間とは幸福になることを夢見ている存在であるが、夢はつかの間に覚める。時間というものは、今しかない。

 今を充実して、一日一日を積み上げていく自分をつくらねばならないだろう。明日を思い悩まず、他人をいたずらにうらやましがらず、今日一日にて足れりの精神で、その日その日を濃密な時間で満たす。

 そうすれば、疲れて熟睡してしまうから、夢は見ることができないが、人生で大きな夢を見ることができる。

 その今を完全に生き抜くために、人間がなすべきことは、現在の現実の生活に自己を没し切ること。へっぴり腰で今を生きていたのでは、せっかくの一生を、それもきわめて短いとさえいえる一人の人間の生涯を、全く無駄に費やしてしまうことになる。

 手っ取り早くいえば、時間を活用し器量人を目指すためには、今の私たちの生活をひたすら真摯(しんし)に、誠実に送ることから始めなければならない。

 人間の時間と人生の運び方は、自分自身で決めることである。運命が天か降ってくるものでも、地から湧いてくるものでもないからである。

 誰もが自分の意思で、時間の活用法、人生の生き方、運命を好転させる手段を考えねばならない。

 人の刻々、日々というものは、新しい創造の刻々であり日々だ。人間の歴史は、創造の歴史といってよい。創造とは、絵を描くとか、小説を書くとかの芸術だけではない。日々の仕事、労働、人間の働き、すべてが創造である。

 すべての創造は、すなわち選択である。考えてみれば、人生は選択の連続なのである。

 創造と選択は不可分であり、盾の両面である。選択も創造も、人間一人ひとり、天の道に従って人間性を磨き上げ、いかに時間を過ごすか、いかに生きるかの立場が基本となる。

 いかに生きるか、いかに生きたか、そうして人間として成就、完成への道をどこまで行き着くことができたかが、人間の運命を決めていくのである。

 人生のうちの一日一日の生活の積み重ねが、その人の生涯を左右する。ある人々は器量人に、器量よしになり、ある人々はその反対の境遇になる。

 運命を進展させるべく一日一日を前向きに対するか、苦しいからと逃げ出すかによって、その頂上はひとりでに決まってしまうわけである。

 そもそも人間の体は、働きそのものである。前向きに、仕事や勉強に忠実、勤勉の毎日を積む人は、将来の生活の基礎となる自己というものが確立するのである。

●全力投球で養う将来の成長のための潜在力

 一日一日、前向きな毎日を積み重ねれば自己が確立するといっても、私たち人間の能力は、決して、一直線で伸びるものではないことは心得ておかねばならない。

 世の中には、子供の頃は神童と呼ばれていたのに、社会に出て行き詰まる人間もいれば、若いうちは凡才と評されていたのに、人生の後半で伸び、懐の深い大人物といわれるようになった人間もいる。

 ところが、一般の人たちは現代の日本を学歴社会だと思い込んでいて、一流大学に入学した時点で、あるいは大企業に入社した時点で、その人の長い人生が決まったという見方をする傾向があるようだ。

 編集子が思うには、学歴社会というのは大学の先生や、官僚組織の一部においてのみいえることにすぎない。その他の分野では、全く錯覚にすぎない。ほとんどすべてが実力の世界であるし、今後はさらにその傾向が強まる。

 だから、今まで目立たなかった人間が、ある時から急に才能を発揮して伸び出し、注目を集めるということがよくあるのだ。

 明らかな実力の世界であるスポーツ界と、サラリーマンなどの世界とを比較してみれば、さまざまな面で著しい差があるにしても、芽の出ない状態の時やスランプの時に逃げ出さず、体当たりの猛烈な努力の積み重ねがあったかどうかが、その後の伸び方の決め手になっていることだけは共通しているようだ。

 例えば、大相撲の力士やプロ野球の投手がある日突然、実力が伸びたように見えた場合でも、実際には、彼らが負けながらも、打たれながらも研究心を燃やし、肉体に力をつける厳しい練習を続けてきた結果なのである。

 努力で次第に実力がつき、ある日たまたまその一端が現れ、勝負に勝つと自信を持ち、その後は自信が実力をフルに発揮させるようになったのだろう。

 いつくるかは誰にもわからないが、努力さえしていればいつかは、その日が必ずくるということの好例である。

 スポーツ界は結果が数字に表れるので、伸びたことが特にわかりやすいといえど、ビジネスの世界や学業でも、同様に、ある日を境に突然力がつく、伸びるといったケースはよくあるもの。

 昔流にいうと、「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす」とか、「苦労それ自身に価値がある」ということである。

 そういう意味では、自らを窮地に追い込み、あがきながら最後まで手段を尽くし、全力投球するということが、自己を育成し、器を大きくする上で大いに役立つものである。

 こうした努力からは、たとえ上司が期待した水準の成果は出なかった場合にも、本人の持てる力からすれば、十二分のものが生まれているのである。その上、将来の飛躍のための潜在力が育成されるのであるから、本人にとってはかなりの成果が得られたといってよい。

 最初から与えられた仕事を避けた人に比べて、その後の人生において大きく伸びるチャンスをつかんだことにもなる。与えられた仕事をどんなことでも、一生懸命やる人間のほうが頼もしい。

 反対に、現在の困難を避ける人は、将来の伸びるチャンスを自ら放棄しているのだといっても過言ではないだろう。

 「こんな仕事、目立たないから嫌だ」などと、要領よく仕事を手抜きする人間は飛躍しない。器が大きくなりようがない。

ホームへ戻ります 器量を磨く秘訣のトップへ戻ります ページのトップへ戻ります

ホームへ戻ります 器量を磨く秘訣のトップへ戻ります ページのトップへ戻ります

●一生懸命に働くことは自分のためである

 そういう人に留意してもらいたいのは、日本のような集団性の強い社会では、サラリーマン生活が長くなればなるほど、個性の弱い人はいわゆるサラリーマン根性というものが自分に巣くってしまい、矮小(わいしょう)化した人間になってしまうことである。

 また、枠にはめられた仕事を何十年もしている間に、自分を伸ばさなかった人は、結局はつまらない人生を送らざるを得なくなる。

 だから、一生懸命働くことは、会社や組織のためではなくて自分のためであるということを、常に意識しておくことが大切になる。懸命に仕事をし、それを通じて自己を磨く。そうして、絶えず向上しようと心掛けるべきだ。

 その仕事のために必要な知識や能力について勉強すれば、面白く、興味も湧いてくるだろう。労働するということは、本来楽しい、面白いことである。これを苦しい、つまらないものにしているのは、人間の自己意識のなせる業にすぎない。

 例えば、己の職業を天職と確信し、迷わず努力する一日一日を積み上げてゆけば、必ず仕事がよくわかるようになってきて上手になる。上手になれば、この仕事は自分に適していると思うようになり、面白くなってくる。

 そうなれば、もはやその仕事は苦労ではなくなり、道楽に変わるというものである。

 誰にも、「よし、やろう」と決意した仕事などが見事に完成した時の、素晴らしく、楽しく、幸せな感激体験があることだろう。

 自己の才能を伸ばすコツも、器を大きくするコツもここにある。持っている力を出さず、何もしないで怠惰に一日を空費したのでは、夜は決して快適な眠りを与えてはくれない。

 人間がよりよく睡眠を取るためには、ある程度の疲労が必要条件である。望ましい疲れは、スポーツの後のさわやかな疲れを思い浮かべれば、誰でも思い当たるであろう。

 このさわやかな疲れは、昼間、それぞれの職分において、快適に働いた後に得られるものである。精いっぱい、自己を完全燃焼させて残る疲れであり、それによって自らを高め得た疲れである。

 こういう価値ある疲れこそ、夜、眠りによって自己を充実させる源泉になるものだから、職業の選択もおろそかにしてはなるまい。

 その日一日の仕事に全精力を使い切るという心掛けの人は、性格も素直で明るく、健康で賢明で、社会的に成功者が多い。

 もちろん、肉体は疲れる。へとへとに疲れ切るだろうが、そういう人の肉体は、一晩ぐっすり寝ると疲労そのものが明日のエネルギーに変換しており、前日楽をして疲労しなかった人よりも元気で、精力的に働けるはずである。

 肉体の巧妙さは、「気」エネルギーを出せば出すほど、使えば使うほど多く出るようになるという点にある。働けば働くほど、肉体から知恵はいくらでも湧くのである。

 人間の肉体には、誰にでも宇宙根源の真理力という「気」エネルギーが潜在している。それは、肉体一色の命懸けの熱心さで仕事に励む時、はじめて力として、またヒント、アイデアとして、さまざまの工夫として現れるもの。

 当然、命を懸けるくらいの覚悟があるならば、物事に取り組む態度というものが、おのずと真剣になる。従って、考え方が一新し、創意工夫ということも次々に生まれてくる。命が生きて働いてくれるからだ。

 かくして、そこから私たち人間が繁栄していく方法というものが、無限に湧き出してくるのである。この無限に潜んでいるものを一つひとつ探し求めていくのが、人間の営為であり、私たちお互いの、人間としての務めだ。

 「もうこれでよい、これで終わりだ」という考えは、人間の務めに反した考えだといわなくてはならないのである。

 人が命を懸けて仕事に励めば、命が働いてくれて、無限の知恵が出る。それまで隠されていた真理が現れて、素晴らしい働きをしてくれる。

 それは、命、すなわち人間の体、肉体が、汲めども尽きない力と知恵を発揮してくれる、という意味である。

●自分の仕事の価値や役割の重要性を知ろう

 人間が仕事を通じて自己を育成し、器を大きくしていくためには、自らの実務能力を高め、限られた執務時間の中で能率的に事をなす努力も続けなければならない。

 そのためには、自分の仕事の重要性を認識して、取り組む心構えが欠かせないだろう。

 「書類を作成するなんて、つまらない仕事だ」と否定的に考えていれば、取り掛かる時も気力が充実し、意欲が出るどころではないし、ダラダラと仕事をして、単純なミスを繰り返したりする。こんなことでは、いつまでたっても、自己を高められるわけはない。

 そもそも、人間の心理というものは、つまらないこと、簡単にできるやさしいことを前にしては、いくらやる気を出したつもりでも、意欲が高まらないのが普通である。

 逆に、「今作るこの書類一枚がなければ、会社の仕事は動かないし、私が少しでもミスをすれば、会社や取引先に迷惑をかけることにもなる」と、自分の仕事が重要で、価値あるものと認めれば、自然に書類を作成するのにも積極的になり、能率もアップするものである。

 同じように、人間は心理的に、先行きの予測が立たないことについては強い不安感を抱くもので、それが行動意欲の減退につながることが多い。

 だから、自分が取り組もうとしている課題の全体像を把握し、結果をある程度予測することが大切となる。

 一つの仕事に取り組む場合でも、全体の見通しが立つ条件と見通しが立たない条件とでは、仕事の結果に大きな差が出るものだ。

 まだ体験したことのない仕事をする際には、その仕事を経験した人の話を聞くなり、自分で調べたりして、情報を少しでも多く集め、自分が新たに挑戦する課題の全体の見通しを持つようにすればいい。

 自分の仕事の全体像をイメージできない例として、「大企業病」という言葉がある。企業が巨大になりすぎると、社員たちが大きすぎる組織の中で、自分の役割分担を見失ってしまうのが、病気の最大の原因である。

 無論、やるべきことは上司から指示されてわかってはいても、自分の仕事が組織の中でどのくらい重要性を持つのか、見当がつかなくなってしまう。

 こうなると人間は、与えられたことを与えられた時間以内にこなす以外、興味をなくしてしまう。仕事に創造的な喜びを見いだせず、いわゆるルーチンワークを消化するだけの人間になってしまう。

 自分の取り組んでいることに何の意義も感じず、自分の達成したことがどの程度、会社や社会の役に立っているのかがわからなくては、仕事に意欲を出して頑張ろうとしても、向上意欲が湧かないのは当然だ。

 反対に、自分の仕事が必要とされているのだとわかれば、大いにやる気も湧き、次第に実務能力も高められていく。

 中小企業の中に多いが、社員一人ひとりが組織の中での自分の役割をつかみ、「自分がやらなければ」という気持ちで働いている会社は発展する。

 自分の仕事が確かに役に立っている。自分が製品を作ることで喜んでくれる人がいる。こうした意識を持てるかどうかは、仕事の張り合いにも大きくかかわってくる。張り合いややりがいは、人から与えられるのを待っていてもしょうがない。

 どのような仕事にしても、要は自分の見方、考え方次第である。何もあえて自ら自分の仕事をつまらなく考える必要はないから、会社の製品を喜んで使ってくれている消費者の姿を想像する。自分が仕事をしなければ、会社の中で支障をきたしたり、迷惑をかけたりする部署が必ずあることを考えてみる。

 こうしたことをイメージしてみるだけでも、組織の中の一員としての、自分の仕事の重要性を意識できるであろう。

 以上で述べた工夫で、自分の役割の重要性、価値を認識しながら仕事に臨めば、意欲的に、楽しく業務を遂行できることだろう。たとえ単調な仕事であっても、「気」を入れて能率よく働けば、知恵が身につく。

 ここにも、業務に習熟し、自らの能力を高め、仕事を楽しみ多いものにするコツがある。

 誰もが「しなければならないからやる」という態度でするのではなく、価値ある仕事への努力に対する満足感、完成した場合の快感のためにやるように、心の持ち方を変えてみることである。

 スポーツは、自分の満足のためにやっているからこそ楽しい。もし、これが強制的に課せられた労働だったら、必ずしも楽しいものではなくなるだろう。

 同じことが仕事にも当てはまる。喜びとして、また自分の創造力の表現として見ることによって、仕事は楽しみとすることができ、そこから人生と仕事に対するゆとりが生まれてくる。

 

ホームへ戻ります 器量を磨く秘訣のトップへ戻ります ページのトップへ戻ります

四百四病の事典へGO 健康実用辞典へGO ページのトップへ戻ります


Copyright 2003〜 kenkosozojuku Japan, Inc. All rights reserved.