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∥自分の表情を変える訓練を∥

 

●笑えば円満な、器量のよい人になれる

 心を楽にするということは、なかなか容易なことではない。しかし、楽にできれば心は肉体の栄養になり、円満な、器量のよい人物になれる。顔の美も、心の善も、愛情もみな、その人の持ち味からである。

 心を楽にして、器量のよい人間になるための実に簡単な方法は、日常生活で笑いやほほ笑みの表情を浮かべるように、できるだけ心掛けることである。

 相も変わらず自分の顔には笑いも微笑もなく、無表情であるというの、ファッションだの、ヘアスタイルだのと騒いでみても、どうにもなるものではない。

 仏教では「和顔施(わがんせ)」といって、何もなくとも笑顔が人に功徳を与えると説いている。

 人間の感情には喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、驚き、さらに憎悪や恍惚(こうこつ)などいくつかの種類があるが、このうち最も望ましいものは喜びと楽しみで、そのポジティブな感情の主な表現が、この笑いの表情である。

 編集子が奨励するまでもなく、我々人間は人生の中で笑いを求め、他人にも笑顔を向け、他人と笑いを共有しようとする。感情を表すあらゆる表情の中で、笑いやほほ笑みは最も頻度の高いものといえよう。

 人間誰もが、安心感を得て、喜と楽のポジティブな感情の中で生きられる時、幸せを感じる。陽気を発散する。そういう時には、自然と笑いがこぼれ出るもの。

 ところが、普通の人の現実の生活の中では、なかなかそうもいかず、面白くないことや、もめ事が尽きず、どちらかといえば、ネガティブな感情に捕らわれ、陰気を発散することが多いはずである。ポジティブな感情は、えてして長続きせず、ネガティブな感情に支配される時間のほうが長いことだろう。

 私たち人間が健康に生きていくためには、ネガティブな状態に落ち込んだ時に、そこにいかにしてポジティブな感情を注ぎ入れることができるか、ということが重要である。笑いがその役目を果たしてくれる。

 泣きたい時、しんどい時にこそ、笑いを忘れてはいけない。笑ってしまうと、へばりついていた何か重たいものが落ちてしまって、本来の自己が現れ、エネルギーも湧いて出てくるであろう。

 笑いは、人間が平衡状態を崩した時に、それを元に戻そうとするエネルギーなわけである。

 人間というのは本来、自己の肉体内部に、心身のバランスをとって生きていこうとする力を持っており、その人間に本来的に備わった能力の一つが笑いである。素晴らしい能力の活用をもっと考えなければいけない。

●ほほ笑み生活から全身に充実する「気」

 では、なぜ笑いがポジティブな感情を引き出してくれるのか。誰もが経験的にわかっていることだろうが、笑うという行為は息を吐く行為であるから、心身の緊張を解いてくれのだ。

 人間が心身のバランスをとって生きていくための、自然の仕掛けとして湧出(ゆうしゅつ)してくるエネルギー、それが笑いではないかと思われるのである。

 だから、人間は笑いのエネルギーを活用し、肉体生理を活性化することによって、体で精神に方向がつけられる。体位から心のゆがみを是正できる。

 人間誰もが常に、楽に、楽しく生きよう。泣くも人生、笑って暮らすも人生。くよくよしないで、憂うつな気分、落ち込んだ気分になった時には、笑い飛ばして「カンラカラカラ」で過ごすがいい。居直ってでもいいから、腹の底か「アッハッハ」、「ワッハッハ」と大笑いしてみたらよいだろう。

 笑って太れ。笑っていれば、ひとりでに幸せが転げ込んでくる。笑いのあるところは、雰囲気も明るい。人の常として、笑いがあるところには、楽しいことがあるのではないかと気が引かれる。その人物に関心が向き、人も寄ってくることになる。

 もう一つ、楽に、楽しく毎日を生きて、円満な、器量のよい人になるために、特に勧めたいのは、笑いというほどの大笑いではなく、ほほ笑みという、いわゆる微笑である。

 人間にとっては、ほほ笑み人生が最善。大笑いや高笑いまでいくと、楽しさがこぼれてしまうのが気掛かりとなるからだ。

 この人間のほほ笑みとは、楽しい体の感覚や、五官のほころびから作られる、天来自然のものである。そのほほ笑みの中には、すべての苦労も争いもみな融(と)け込んで浄化されるから、人はくつろぎの生活態度で過ごせる。

 ほほ笑んで暮らせる人、くつろいで過ごせる人は、神経を無理に使わなくても臨機応変に、事に当たって的確に対応ができ、処置がとれるものである。

 一般の現代人は、意識過剰で常に神経を緊張させ、酷使して生活している。ほほ笑み、くつろぎ、リラックス、あるいは気楽などというものを忘れているようであるが、この何でもないようなことが、人生にとって、まことに大きな意味を持っている。

 人間はとかく頭ばかりで物事を考えすぎて、どちらかというと寝ても覚めても、あくせくしているのが現状である。このあくせくは神経の緊張となり、容色に精彩を欠かせたり険悪にするばかりか、エネルギーの消耗となり、生命力を減退させ、その結果は寿命を縮める。

 反対に、くつろぎの姿からは緊張が消え、緩和されて、エネルギーが回復するばかりではなく、刻々、全身に見えない世界からの、「気」という生命力が充実されてゆくのである。

●ぜひ勧めたいのは自分の表情を変える訓練

 気楽というのも、読んで字のごとく気が楽なこと、気を楽しむことで、楽しんでやることは緊張もないから、何でも身につく。見ていても、ゆったりしていて、わざとらしさがない。

 気楽、気まま、くつろぎによる緊張緩和は、そのまま家庭や職場の人間関係を和やかなものにする。すると、人間の表情も和らいで明るく、ほほ笑みも現れるのであって、この微笑はそのまま、全身の細胞の一つひとつにも現れるのである。

 さらに、全身の緊張が解けてくると、肉体全体の働きは活発になり、神経も精神も正常に働くから、考えや判断も明確になってくる。

 くつろぎこそ、ほほ笑みこそは、自然であり、自然こそは真理である。

 かの道元禅師も、「正法眼蔵」の中で和顔愛語を説き、穏やかな表情と温かみのある言葉の大切さを強調している。この和顔愛語こそ、現代の混濁した人間関係と、すさんだ心を矯正する上に、最も望まれることであろう。

 現代人には品位を備えた言葉とともに、和顔という、ほほ笑みも必要なのである。

 言い換えれば、人間というものは、その心が顔の表情に出てくるものであるから、顔を軽んじてはいけないということだ。

 いつも苦り切った顔付きをしている人などは、できれば自分の表情を変えるために、和やかなほほ笑みや、明るい笑顔を習慣的に訓練してみるとよいだろう。これは整形手術などをするのではなく、ただ鏡を見て毎日笑う練習をするだけでよいし、ほほ笑む練習をやるだけでよい。

 従って、経費も税金もかからないし、おまけに健康がよくなり、家庭がパッと明るくなり、夫婦や子供の生活まで一変するから、ぜひ試してもらいたい。

 心のこもったほほ笑みによって、人間同士の温かい気持ちや感謝を伝え、心を通わせることができる笑顔は、人間関係の潤滑油なのである。

 人によって、よく笑う人、笑わない人という程度の差はあるにしろ、誰でもが笑う能力を持って生まれ出てくるのだ。

 その能力が、後において開発されて十分に顕在化するか、何かの障害によって潜在化したままであるかの違いはつきまとうが、基本的には人間は誰でもが、笑いの能力を持っているということを確認しておきたい。

 私たち人間が生きていくのに、なぜ笑いが必要なのか。一つには、個人が生きていくためには、心身ともに元気で過ごすこと、健康に毎日が暮らせるということが何よりも大事で、そのために笑いが欠かせないのである。

 しかも、よく笑い、よくほほ笑む人は、心身ともに健康で、自然に円満な人格者、円満な器量よしになっていくのであるから、これほど大切なものはない。

 

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