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∥目指すべきは人間性の完成∥

 

●器量人を目指す人に求められる包容力

 器量人、大器を目指す人に求められる徳目、資格として、編集子が挙げた寛容な精神、すなわち包容力というものについて詳しく述べてみよう。

 包容力に関しては、昔から「窮鳥、懐に入れば猟師もこれを殺さず」という言葉がある。人間は誰でも、このことわざを知っているし、それができるのが正常な人物だと思っている。

 できないことではない。しかし、食わんがために自己意識を働かせ、現実を生きている目が、それを忘れさせるのである。

 器量人は、それを忘れず、いつも心の中に、その包容力を保っているのである。といっても、包容力があるということは、誰でも無差別に抱き込むということではない。包み込む人物が公正で、私欲がないという精神の裏づけがなければならぬ。

 ここで、包容力がある器の大きな人について、次の四つを指摘したい。

1.異質なものを寛大に受け入れる。

2.異質なものへの対応を知っている。

3.物事を大きく考え、公正、謙虚である。

4.正直、温順で自分だけの利益を考えない。

 反対に、包容力がない人、器の小さい人を思い浮かべれば、包容力がある人、器の大きい人はその逆であることがわかる。狭量な人、器の小さい人を見ていると、

1.えり好みが激しく、異質なものを受け入れない。

2.異質なものを警戒して、排除しようとする。

3.物事を自己中心的に考え、小胆、憶病である。

4.自尊心が異常に高く、感情的で心が冷たい。

 こういう人を上司に持った部下は、全く浮かばれない。災難に遭ったようなものである。また、こういう人を部下に持った上司も、始末に困るものである。

 包容力のある人、器の大きい人は、心が広いから、異質な人や物事を差別しない。好奇心があるから、どんな人間や物事がやってくるかに興味があり、とにかく積極的にそれを受け入れようとする。

 最初はうまくいかないが、何回か苦心してやっているうちに、対応の仕方を心得てしまうのである。そのぶん、器が大きくなる。

 狭量な人、器の小さい人は、異質な人や物事がやってきた場合には、全く対応できない。最初から、排除しようと感情的になって、理性的に処理できない。どうしようもなくなると隔離して、口もきかず、冷たくあしらう。だから、いつまでも器が大きくならないわけだ。

 人間を解くカギの一つは、自尊心、すなわちプライドである。非行者、万事につけ反抗的な態度の人、不平不満の多い人、他人を悪罵(あくば)してやまない人、大言壮語する人、すべて自尊心からくる。

 自尊心があまりにも本人の資質、能力と懸け離れているのに、それを認めない人は、自尊心が独り歩きするようになる。

 自尊心、プライドとは、メンツ、顔であり、これを害したことで決闘ざたになったり、そこまでいかなくても人間関係がいっぺんに崩れるというようなものである。自尊心に対しては、細心の配慮が必要だ。

 包容力のある器の大きい人は、もちろん自尊心も高い。だが、自分より大きいものを見てしまったがために、自分の自尊心などは高が知れたものと思うようになり、自尊心に引き回されるようなことはしない。

 つまらない人に自尊心を傷つけられても、他の立派な、大勢の人たちに評価されているから、何とも思わないのである。

 包容力のある人、器の大きい人は、素直であるから、異質な人と出会った時に、その人の性質がどのような背景からきたのかをまず理解しようとし、よい素質である場合は積極的に評価して役立てようと考える。

 また、角が立って円満にいかない場合には、どうするかを考える。異質な人がこれまでの人たちの間に交ざれば、摩擦が起きないとは限らない。ドジョウの中にナマズが入れば、必ず何かが起こる。

 器の大きい人は、それを解決できる力を持っている人である。これは、別に人だけとは限らない。異質な物事や、新しい経験とか、情報であっても同じである。

 こういう能力を育てるには、小さいことにこだわらないこと、好奇心があること、差別をしないことが必要だろう。

 受け入れてしまうから、解決しようとして四苦八苦する。人間、苦労すれば知恵が働き、乗り越えようとする。これを重ねていけば、だんだん利口になっていくのではないか。

 当然、自分と異質の人をいかにうまく取り込むかという修練を重ねるのは、器を大きくするのに役立つ。これは、人でなく物事でも同じだから、好奇心を持って、教養を広く積むようにして自己を磨けば、自然に器が大きくなっていく。

 いくら金を出しても買えないのは、教養と知性、品格、すなわち器量である。生涯修行の理由は、ここにもある。

●真の器量人とは人間性が完成した人のこと

 結局のところ、真の器量人とは、知情意といわれる教養や知性、品格などを備えた、人間性が完成した人といえる。

 先に、「日本は学歴だけでは通用しない時代に入った」と述べたが、能力や知識、経験があったとしても十分ではなく、ビジネスや人生に無数にあるハードルを越えるためには、豊かな人間性の完成すらもが求められている。

 高度成長の時代や、そうでなくとも現在のように高度な技術力が内外に売れる時代にあっても、金と権力がどうせ世の中を動かすのだから、人間性の向上、人格の向上などはどうでもよいという考え方には、納得できないのが一般の感情であろう。

 実際、そんな考え方は間違っている。日々の中で、人との出会い、触れ合い、付き合いは、不可避な事態なのである。

 ビジネスマンを取り巻く企業環境も、利益第一主義、機能優先主義から、新たな方向へ転換しようとしている。

 機能優先主義時代は分業と協業によって成り立つから、人間の価値はその面で役に立つ専門に絞られた知識、組織適応能力、協調的な態度などによって測られる。そういう人が仕事のできる人といわれる。

 人間には仕事以外の能力、才能もいろいろあるが、直接仕事に役に立たない部分は、能力としては評価されにくい人格者だとか、繊細な感受性などの精神的価値は、それが仕事の遂行に当たって有益であるという意味においてのみ評価される。

 人間は年を取れば取るほど、人格が錬成されて、円熟してくるはずのものである。ところが、あまりにも機能優先主義で使い捨てにされると、卑しい顔立ちになり、退職した後の晩年は何をしてよいかわからない、ということになる。

 妻に「粗大ゴミ」だとか、「濡(ぬ)れ落ち葉」などといわれて、うるさがられるだけである。

 一方、今後のポスト機能優先主義時代は個人の自己実現、生きがいが最大のキーワードになり、誰もそれをじゃますることができなくなる。人々はパンだけのために働くのではなく、自分が納得した好きな仕事に就く。

 今の学生などは「教えられ症候群」というか、教えられることを強く希望するから、研修の盛んな会社ほど人気が高いといえども、自分の人生時間を充実して過ごす場、あるいは能力を試す場として就職する会社を選んでいる。会社は自己実現の場へと、確実に移行しつつある。

 好きな仕事だったら、誰でも一生懸命働く。その結果、非常に能力も高まる。能力は人格を高める。ビジネスは人間を育て、その精神性を磨き出すための試金石となる。

 企業の側から考えても、人格があり、心のこもったサービスができる人を集めたところが伸びるようになる。心のこもったサービスができる人とは、演技ではなく人柄がそういう人だということ。

 企業にとって、こういう社員を大事にすることが大切だし、こういう好ましい印象を与える人物を新規採用しようと、選別の目を光らせていくべきだろう。

 人を使うにしても、「おまえはここを辞めたら、ほかにゆくところはないんだぞ」というような脅しや、金銭だけのニンジンで人は動かなくなるから、心のこもった指導ができる人、尊敬を受けるに足りる人が上に立つようになる。また、そういう人材のいない企業からは、人も去っていく。

 貧しい時代には、自分が出世するために少々他人を押しのけたり、迷惑をかけることに、人々はある程度寛大であった。だが、これからは自己中心的に動く人は嫌われるようになる。

 人々は快適な職場、よい人間関係の下で働くことを求めるから、そのような環境、雰囲気を作り出す人格の優れた人が指導者になる。これからのポスト機能優先主義時代は、総合価値としての人格、徳性を備えた器量人が求められるようになるのが特徴である。

 

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