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‖「気」とかかわってきた日本人‖

 

●中国大陸からの「気」の流入と普及「気」

 日本にとって、古代から続く中国との交流が及ぼした影響は、大きなものがある。中国大陸から直接、時としては朝鮮半島を経由して、人や物、文化や技術、仏教や儒教が流入し、日本的に改められながら、広く普及していったのである。

 そこで、中国を本家とする「気」が、どのように日本に伝来し、どのような形で残っているかを考えてみよう。

 まず最初は、紀元三世紀の末、老子を開祖とした道学の「気」の思想が伝えられた。「古事記」や「日本書紀」によると、王仁(わに)という百済から招かれた帰化人が、儒教の「論語」十巻と「千字文」をもたらし、道家で行う治療法であり、養生法である「導引」と「合気」を日本人に教えたといわれているのだ。

 学問としての「気」の思想、「気」の概念が日本に広まるのは、ずっと後の近世になってからのことだが、実用としての健康法、あるいは医術、武術の面では、徐々に浸透していくことになったのである。

 宗教の面では、平安時代の空海が「気」の鍛練法を伝え、実践していたと見なされるだろう。彼は約二年間、唐の長安に学んで、大乗仏教の発展の極みに現れた密教を日本に伝えた。

 即身成仏を目指す密教といわれるが、空海はそのために身密、口密、心密からなる三密を提唱している。身密は手に印を結び、一定のポーズをとること、口密は真言を唱えること、心密はイメージによる観想である。それはまさく、「気」のトレーニングともいうべきものであった。

 日本語から考察すると、古事記や日本書紀、万葉集などの古典に、「気」という言葉がたどられる。

 ただし、中国語で意味する「気」そのものではない。「神」、「霊」、「怪」、「顕」、「異」、「疫」、「鬼」などの意味に、使われていたのである。「けはい」、「もののけ」、「いとおもしろし」、「げにおそろしき」、「いとあはれ」などの言葉にも、「気」の日本的な意味が認められる。

 「けはい(気配)」のけ、この「け(気)」に対する鋭い感受性が、いつも日本文化の中心ないし周辺にはあった。「気」は、生物や物や場から発散する見えざる手といってもよいだろう。「もののけ」の「け(怪)」なども、そうした意味の「気」に通じてくる。

 このように、古代の日本では「気」は「け」と読むのが伝統的で、「け」は自然現象をつかさどる超自然力を持つ神的存在という認識だったのである。

 「け」が次第に「き」と読まれるようになったのは、源平時代以後のことであった。

 大ざっぱにいえば、十四世紀あたりまで、「気」は宇宙天地大自然の様子や、人間の動作、顔色などを表現することが多い。それは主として、自分が見たり、感じたりした周囲の状況を即物的に示しているのである。

 十四〜十五世紀の室町時代になると、「気」には、自分自身の感情や心理を表現する用法が加わった。「庶民の時代」とされた室町で、日本人が自分のものとして「気」を語り始め、「気」に新たな意味が込められたのである。

 その理由を、平安時代の猿楽から発展した能など、芸術の普及と関連付ける説がある。間や拍子を大切にする日本独自の文化にとって、「気」があまりに即物的であってはならなかったのである。「気」は感情や情緒を表現する方向で、日本の中に定着していったようだ。

 同時に、日本における芸術、芸能などの文化面では、特に「気」の表現力で、その真価が問われるようになっていった。「気」の文化は日本の伝統文化の一大特色、といっても過言ではない。

 芸道、茶道、華道、書道、武道など、伝統文化には「道」という字が付けられており、道を究めること、すなわち全身全霊から出る自然の「気」、より偉大で宇宙性の広がりを得た「気」、研ぎ澄まされた「気」が要求される文化なのである。

 宇宙天地大自然に遊ぶことが、文化的に最も「いき」なことだとされる世界である。

 「わび」、「さび」、「もののあわれ」などという日本独特の美学や、勘とか間とか調子などと呼ばれるものも、すべて宇宙的な「気」の働きによるものといえよう。

●江戸時代に儒学の影響で広がった「気」

 中国から伝わった「気」の思想が学問としての広がりを果たしたのは、江戸時代になって儒教が思想的支柱となってからと見なしてよいだろう。

 歴史的に見ると、日本における儒教は、仏教と比べ物にならないほど新しい。天皇に「四書」、「五経」などの経書を講義することを仕事としていた公家は別として、儒教の書物に親しんだのは禅宗の僧など、ごく一部の人にすぎなかったようだ。

 それを一挙に政治の舞台に引き出したのが、かの徳川家康。彼によって、徳川幕府二百六十余年の体制思想として、儒教が歩み出したのである。

 江戸時代の中期頃になって、「気」の日用語がたくさん生まれ、それが今日のように定着したのは、朱子学や陽明学などの儒学の影響と思われる。

 朱子学や陽明学によって、後世の注釈を後生大事にすることが反対され、直接に「論語」や「孟子」に代表される経書を読むことが主張される中で、「天地の間は一元気のみ」と唱えた儒学者・伊藤仁斎も現れた。江戸儒学の中の古学と呼ばれた一派を発展させた人物であり、その主張は山鹿素行に始まったようである。

 また、医学の面では「養生訓」を書いた儒学者であり、本草学者の貝原益軒、仏教の面では内観法を提唱して、現代禅の生みの親となった白隠禅師という、「気」と深くかかわった人物が登場し、武士の世を反映して「気」の武術論も展開されている。

 本家の中国においては、漢初の孫子が、「気」を知って兵法に用いた人物として知られる。「朝気は鋭く、昼気は惰、暮気は帰。ゆえに善く兵を用いるものは、その鋭気を避けて、その惰気を撃つ。これ気を治むるものなり」と、その兵法書に説いている。

 朝は兵隊の気力は鋭くなっており、昼の気はだらけ、日暮れになると兵舎に帰ることばかり考えている。だから、用兵家というのは、朝の「気」を避けて、昼時や夕方の帰り道を狙って攻撃する。これこそ、「気」を体得した者というべきだ、と述べているのだ。

 我が日本では、徳川二百六十年の軍事上の指導は柳生家が任じていたが、柳生宗矩の著した秘伝書「兵法家伝書」では、「内に志ありて、外に発するを気という」と説いている。

 妄心を除いて、冷静に判断でき、かつ己の気力が充実している時にのみ、兵法家としての目的を遂げることができる、という意味であろう。

 新陰流の達人として名高かった柳生但馬守が説いたように、私たち人間の「気」というものは、全身より外に発し、大きく膨らんでいく。

 気力が大きく膨らんでいる時には、その人間が大きく見える。相手が自分より大きく見える時は、相手の「気」が自分を圧倒しているのである。逆に、相撲取りのように体が大きいからといって、必ずしも圧迫感を受けるとは限らない。

 こちらの「気」が勝っていれば、どんな大きな相手でも小さく見える。自分よりはるかに小さな相手でも、自分をしのぐ「気」の持ち主であれば、相手の存在感に圧倒されてしまう。

 気力で勝つということは、戦わずして勝つということでもある。「気」の迫力で圧倒して、「こいつにはかなわない」と相手に思わせることである。すなわち、戦わずして相手の戦意を失わせるということだ。

 技もさることながら、「気」が勝者と敗者の明暗を分けることを、名高い兵法家であり、武道家であった柳生宗矩は知っていたわけだ。

●明治時代に台頭した「気」の武術と健康法

 日本が近代化を始めた明治以降の「気」は、中国で革命勢力が台頭し、「迷信的観念」というレッテルを張られた状況に似ているかもしれない。工業化と科学技術が大手を振るう時代にあっては、「気」は片隅に押しやられてしまう。

 だが一方で、従来の武術が真剣などによって、人を切ることに価値を見いだしてきたのに対して、攻撃よりも護身に重点を置いた「気」の武術が台頭していった。

 植芝盛平によって創始された合気道は、柔術を始めとする古武術を基本にし、関節を巧みに利用して投げることと、押さえることを最大の特徴とした。

 その極意について、植芝は「己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものへと一致させることにある」と語っている。また、「合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、“我はすなわち宇宙”なのである。私はこのことを武を通じて悟った」ともいっている。

 この境地は武術家というよりは、むしろ宗教家ないし哲学者に通じるものであろうが、合気道は「気」を呼吸力と読み替え、それを活性化する各種の技を開発したといえる。

 合気道に限らない。居合抜き、気合術など一連の武術は、いずれも「気」の武術と見なされる。いや、武術はすべて「気」の活用だともいえる。

 平成時代の武術界においても、遠当てと呼ばれる神秘的な技の使い手がおり、「気」のパワーをいかんなく発揮している。相手に触れることもなく、一定の距離を置いた状態で、「気」のエネルギーで相手をねじ伏せたり、空中に飛ばしてしまうのである。

 「気」は、その使い方によっては、敵や獣を倒すための殺法ともなるわけだ。針灸や気功で人を生かす経絡のツボも、武術では相手を倒す急所となる。「気」の医学は、そのまま「気」の武術として応用されることになったのである。

 中国の武者修行の逸話には、気合で岩を砕いたり、鉄棒を折ったり、飛ぶ鳥を落としたりといった、すさまじいエピソードが記録として残されている。

 さて、日本では、明治から大正にかけて、「気」の健康法が流行したこともあった。岡田式静坐法、藤田式息心調和法などであり、当時の海外移民が盛んな時代背景もあって、ハワイや南米にも広められた。これは、急激な近代化、工業化に対する、一種の反省であり反動であると見ることもできる。

 そして、二十世紀も終わりに近い平成時代になって、再び「気」や気功のブームになり、今や完全に定着した感がある。背景には、日本の内外の要因があるだろう。

 直接的には、針麻酔の成功や馬王堆の発掘といった、中国での医学界や考古学界におけるニュースが及ぼした影響であろうが、そうした外的な理由とは別に、日本の内的な要因も見逃すことはできない。

 経済大国といわれて久しい日本であるが、人々の心のどこかに、現状には満足することのできない何かを求める、ひそかなる衝動があるためではなかろうか。

●日本語には多種多様な「気」が表れている

 本家の中国から伝わった「気」が、どのような形で日本に残っているのか。現在の日本語の中に登場する「気」の字を用いた言葉を挙げながら、一緒に考えてみることにしよう。

 「気力」、「気分」、「気付」、「気宇」、「気合」、「気色」、「気性」、「気味」、「気前」、「気度」、「気品」、「気風」、「気候」、「気骨」、「気根」、「気脈」、「気習」、「気転」、「気運」、「気炎」、「気象」、「気絶」、「気楽」、「気節」、「気鋭」、「気迫」、「気質」、「気韻」、「気位」、「気鬱」、「気概」、「気心」、「気丈」、「気随」、「気勢」、「気息」、「気体」、「気配」、「気長」、「気相(きっう)」、「気苦労」、「気重」、「気化」、「気構え」、「気軽」、「気管」、「気球」、「気胸」、「気配り」、「気先」、「気さく」、「気障り」、「気丈夫」、「気まま」、「気忙しい」、「気立て」、「気違い」、「気遣い」、「気疲れ」、「気詰まり」、「気強い」、「気取る」、「気に入り」、「気抜け」、「気の病」、「気働き」、「気早」、「気晴らし」、「気張る」、「気任せ」、「気紛れ」、「気迷い」など、「気」の字が頭にくる熟語をざっと並べただけでも、おびただしい数になる。

 「空気」、「天気」、「暑気」、「寒気」、「意気」、「才気」、「士気」、「大気」、「火気」、「正気」、「生気」、「平気」、「血気」、「狂気」、「冷気」、「霊気」、「英気」、「鋭気」、「毒気」、「夜気」、「和気」、「活気」、「香気」、「口気」、「語気」、「辛気」、「神気」、「怒気」、「勇気」、「鬼気」、「豪気」、「酒気」、「運気」、「雲気」、「根気」、「元気」、「病気」、「熱気」、「景気」、「湿気」、「客気」、「逸(はや)り気」、「蒸気」、「上気」、「暖気」、「電気」、「精気」、「雰囲気」、「陽気」、「陰気」、「本気」、「浮気」、「邪気」、「殺気」、「人気(にんき)」、「人気(ひとけ)」、「短気」、「強気」、「勝ち気」、「弱気」、「惰気」、「やる気」、「火の気」、「塩気」、「節気」、「中気」など、「気」の字が下につく熟語となれば、もっと数が多い。

 「気が合う」、「気に入る」、「気が入る」、「気にする」、「気が遠くなる」、「気を失う」、「気に掛かる」、「気兼ねする」、「気風(きっぷ)がよい」、「気味が悪い」、「気持ちが悪い」といった慣用句まで数え上げたら、際限がないほどである。

 そして、「気」というものが宇宙天地大自然にくまなく充満し、宇宙的な広がりを持つことは、「気」という文字を用いた熟語を拾い出してみるだけでもわかる。

 「大気」、「精気」、「空気」、「水蒸気」、「気体」などは天地に満ちあふれ、宇宙空間を満たしている。また、「天気」、「気象」、「気候」、「寒気」、「気圧」などを始め、四季折々の自然現象は、すべて「気」の働きから生じるものである。

 あるいは、「一気呵成」、「気宇壮大」、「気品」、「気分」、「平気」、「勇気」、「気落ち」、「病気」、「元気」、「生気」__。

 さらに、「気分がいい」、「気が晴れた」、「気のせい」、「気がもめる」、「気がきく」、「気負い立つ」、「気乗りがしない」のように、心と体の状態を自然につなぐ表現として、ちょっとした一日の会話の中に、「気」という言葉が限りなく使われている。

 以上の言葉から、宇宙に遍満する「気」が、私たちの心、精神、体など、すべてを包んでいることがわかるであろう。「気」というものがいかに生活と密着しているか、生きるという生命の根源が「気」にあるということも、改めて知ることができる。

 日常生活における感覚表現として用いられるばかりか、客観的であるべき科学においても、私たちは気働きや「気」作用、勘、ひらめきなどを重要視している。

●日本の特徴は情緒に重点を置くこと

 日本では、「気」は漠然とした事物の状態を表す時にも用いられる場合があり、また、心理的な色合いが濃くなる。

 「気味が悪い」という時、その気味はこれといって明確でない、漠然とした心の状態を指す。雰囲気の「気」もそうだし、「恥ずかしげ」の「げ」も同様。「気配」などはまさに、漠然とした「気」を指す典型の言葉といえる。

 そして、「気になる」、「気が重い」、「気を付ける」、「気が合う」、「気が詰まる」、「気を静める」、「気がめいる」、「気が散る」、「気がある」、「気を持たせる」、「気に病む」、「気まずい」、「気を悪くする」、「生きた気がしない」など、現代でも枚挙にいとまがないほど「気」が使われている日常語のほとんどが、心の持ち方や情緒、ないし一定の精神状態を指すところに、日本における「気」の特徴があるといえるだろう。

 古代中国では万物を生むところの「気」が、現代日本では、心理や精神を説明する言葉として、大いに用いられているのである。この情緒に重点を置き換えた「気」の受容の仕方は、日本文化そのものであるといえるはずだ。

 しかし、日本の「気」は「心」と同一視するわけにはいかない。「気は心」という言い回しがあるが、「気」と「心」がイコールであったら、その言葉は意味をなさない。

 心というものは本来、内に向かって閉ざされているのに対して、「気」は人間の肉体から外へ向かって発せられている波長のようなもので、一種の目に見えない触手、触角の機能を果たしているのである。

 例えば、後ろから見詰められていたり、ソッと後を付けられたりしていることを、微妙な気配によって気付いたりするのも、感覚としての「気」の働きである。

 以心伝心も、一つの「気」の働きだ。以心伝心というのは仏教語であり、師から弟子に、言葉に出さないで仏法の根本を伝えることをいう。転じて、口に出さなくても、気持ちが通じることを指す。相手が発した「気」を、こちらの「気」が受け止めて、その意を汲(く)む。まさに「気」の交信といえよう。

 また、何も平常は考えたり、気に止めていないが、機会がくれば何事にも気が付く。必要となると、さまざまなことを思い付いたり、アイデアを出したりする。このように次から次へと気が付いて、ないものまでも発見したり、着想したりするというような人は、この「気」というものが十分に働くからである。

 こういう働きができるのは、宇宙が巨大な電磁体であり、太陽が目に見える熱核反応体であるとともに、目に見えない拡散する放射体であるように、人間の肉体もまた、目に見えない「気」の放射体だからこそである。

 目に見えない肉体作用の話を加えれば、愛し合っている恋人同士は、寄り添っているだけで楽しいものである。反対に、憎しみ合っている相手だと、鳥肌が立ったり寒気がするだろう。他人の隣に数分間でも座っているだけで化学的に反応、変化をするのが、私たち人間の肉体というものだからである。

 人間の肉体を「気」の放射体だといったが、電磁波の塊、「気」の結晶体と言い換えてもよく、「気」や電磁波は肉体から常に放射され、プラズマのように肉体を包み込んでいるものなのである。

 

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