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∥四百四病の事典∥


 尿の変化


●血液中の老廃物や水分が尿に変わる

 人間が排泄することは、上から入れれば下へ出るのが天の理、糞尿屁という出物は生理自然にほかならない。健康長寿のためには、便と屁に続く小便、いわゆるオシッコの快調にも、常日頃から留意したいものである。

 自分の両手を握ってほしい。目の前の片方のこぶしが、ほぼ片方の腎臓(じんぞう)のサイズである。形はソラマメ状で、一つの腎臓の重さはおよそ百二十グラム。この小さな双子の臓器が、せっせと尿を作り出しているのである。

 腎臓には、体の中で最も太い大動脈から、絶えず血液が流れ込んでいる。その血液量は一日に約一・五トンと、すごい量であるが、糸球体と呼ばれる毛細血管の網でろ過され、血中の老廃物や水分が尿に姿を変えるのである。

 このオシッコを作る器官であり、人体の浄水器である腎臓が、血液の中から老廃物と水分をこし出したものを、原尿という。

 もちろん、いきなりこれが排出される尿になるわけではない。尿細管で何度も何度も吸収され、本当に役に立たないものだけが、尿として尿管に送られるのである。

 原尿が再吸収され、尿として排泄される量は、原尿の約百分の一、一日に一・五リットルほどで、牛乳パック一・五本と、かなりの量だ。これを一日五、六回に分けて排出する。だから、一回のオシッコの量は、二百五十~三百ミリリットルほどとなる。

 詳しくいうと、尿として排泄される一日の量は、男女で少し違いがある。成人男性では一・五~一・八リットル、女性では一・四~一・六リットルとされるが、〇・五~二リットル程度の枠内なら正常といえる。

 こうした人間の尿の量は、脳下垂体から分泌される抗利尿ホルモンによって調節されている。抗利尿ホルモンの分泌が増えると、尿細管からの水分の再吸収が高まり、尿の量が減る。逆に、分泌が減った場合は、尿量が増える。誰もが夏場に汗をかくと、尿の量が減って色が濃くなるのは、ホルモンの分泌が増加して、固形成分の比率が高まるためである。

 ところで、腎臓でおよそ五秒ごとに、タラリタラリとこし出された尿は、尿管を通じて膀胱(ぼうこう)に送られる。尿管は直径四~七ミリ、長さ二十八~三十センチ。筋層で圧力をかけられているため、粘膜がしわしわになっている。

 つまり、尿の流れる穴は真円ではなく、きんちゃくみたいで、尿の通るすき間は細く、薄いから、内臓中にできた結石が引っ掛かりやすい。とはいえど、尿の量が増えれば、その勢いできんちゃくは内側から広げられ、結石は流れやすくなる。よく「結石はビールを飲んで流してしまえ」というのは、真実なのである。

 この尿管の先が膀胱である。オシッコを一定期間ためておく貯水池たる膀胱は、尿のたまっていない時の形は三角形で、立体的にいうと逆さまの杯の形をした筋肉でできた袋であるが、まさにゴムの袋に例えられる。ゴムやポリエチレンがなかった時代には、氷のうといえば、薄くて丈夫な牛の膀胱を使ったそうである。人間のも同じで、空っぽの状態では壁の厚さが十五ミリだけれど、ぱんぱんにため込むと、その厚さ三ミリになるという素晴らしい膨張率を有しているから、最大容量四百五十~五百ミリリットルと、牛乳パック半分のけっこう重たいオシッコが入ることになる。

●健康な尿が出てくる人体メカニズム

 実際には、こんなにたまることはめったにない。尿が二百五十~三百ミリリットルくらいになると、尿意を感じて排尿が始まるからだ。

 一説によると、膀胱の最大容量の五分の四までは尿意は催さず、最後の五分の一がたまっていく時に感じるもので、最後の五分の一がたまる時間は、三十分から一時間ぐらいという短時間なのだという。

 尿が出る仕組みを説明すると、膀胱の内圧が高まって、膀胱壁の受容器を刺激し、受容器は脳に信号を送るから、脳は尿意を発動する。

 この尿意を感じた脳から指令があると、同じ脳にある抑制中枢を刺激して、抑制を取り外しにかかる。ふだん尿道口が閉まって、尿が飛び出さないようにできているのは、この抑制中枢があるお陰である。

 で、この抑制がとれると、膀胱の出口、つまり尿道とのつながり部分にある、伸縮自在の尿道括約筋などがゆるむ。次いで、抑制中枢の近くにある排尿中枢が奮い起こされ、その刺激で膀胱それ自身の筋肉収縮が始まり、そこで尿が尿道という通路から外に飛び出す、という二段階システムになっているわけだ。

 膀胱から飛び出してゆく一回当たり、二百五十~三百ミリリットルという量は、五、六回繰り返せば一日分のオシッコを排出できるという、ためるによし、出すによしのちょうどいい量なのである。

 実は、尿意にこたえて括約筋をゆるめ、膀胱を収縮させる排尿システムは、膀胱が満タンにならなくとも働いてしまう。人間の脳というのは心理的な変化に左右されやすいところだから、何かで興奮したり、緊張したりした場合にも、抑制中枢がマヒするか、排尿中枢が強く刺激されすぎる。

 そのため、膀胱には尿が少ししかたまっていないのに、試験前などになると尿意を催してトイレにゆきたくなったり、驚いて思わず漏らしてしまうということにもなるわけだ。

 また、てんかんや一時的なショックなどで、意識を喪失した場合も、抑制中枢がマヒして同様の尿漏れが起こる。

 これに対して、ビールやコーヒーなどを飲むと尿が近くなるというのは、水やカフェインが腎臓を刺激して利尿作用を起こすためで、先の場合とはメカニズムが違う。

 とにかく、脳の抑制中枢というのは、特に人間で発達した部位であり、下等動物になるに従って働きが弱くなる。動物では、犬や猫などのペットで発達している。場所的にも、性欲、物欲を抑える部位の近くにあって、かなり高度な機能であることがわかる。

●排尿にまつわるトラブルは女性に多い

 そして、この抑制中枢は、感情の影響を受けやすいところでもある。一般的に、男性よりも女性のほうが感情に敏感だといわれているように、感情が激して抑制中枢がマヒし、その結果尿失禁という不如意を起こすことは、女性に多いということになる。

 この点、腹圧性尿失禁で病院を訪れる女性患者も、最近は増えているという。腹圧、つまりセキやクシャミをした時、笑った時などに、おなかに圧力がかかって、膀胱が圧迫され、尿が漏れてしまう病気である。漏れる尿の量はさまざま。

 普通、尿道にもオシッコの漏れを止める筋肉があって、外尿道括約筋という。これは男性で発達し、排尿を中断することもできるが、女性にはないので、その代用を肛門括約筋や骨盤底筋群がしている。

 加えて、男性の尿道が十六~二十センチで、屈曲しているのに対して、女性の尿道は四~五センチと短く、ストレートという構造的な面から、元来女性のほうが漏れやすい形態になっているのである。

 そこへ加齢、出産が加わると、先の代用筋にゆるみが出て、膀胱と尿道の位置関係に狂いが生じてくる。平たくいえば、尿道がおなかのほうへ持ち上がっていたのが、年がかさみ、子供を産むうちに次第に下がっていき、ついには真っすぐ下方に垂れ下がってしまうのである。こうして一直線に流れ落ちてしまう尿失禁を止めるには、相当に強力な括約筋が必要というわけだ。

 また、失禁を呈するようになったと訴えるのは、肥満女性に目立つ。肥満の人というのは食っちゃ寝タイプが多いので、下腹部には脂肪がたまるばかりで、筋肉が発達しなくなり、尿道を締める力が弱まるからである。

 従って、治療はこれを強制してやればよいわけで、尿道を腹壁のほうへ持ち上げる手術は簡単、確実で、効果も抜群だという。 

 それにしても、どうして男性よりも女性のほうが、オシッコが漏れやすく、途中で止められないか、人類学的に推理してみよう。

 元来、男には攻撃本能があり、狩猟に出掛けたり、敵からの攻撃も防がなければならない。とすると、排尿を長時間我慢するとか、排尿しても敵が現れるとすぐ中断して、攻撃体勢に素早く移れるということは、自己防衛につながる。だから、長い年月の間に、人類の男は防衛的見地から、こうした機能を獲得していったのではないだろうか。対して、女は攻撃の必要性もなかったので、こんなものを発達させなくてもよかったのではないだろうか。

 しかしながら、しばらく前から、アメリカのキャリアウーマンたちの間に、インフリークェント・ボイダーと称する女性が激増して問題になっている。たまにしかトイレにゆかないものだから、膀胱炎を患う人たちである。彼女たちの膀胱はたいてい伸び切って、倍ぐらいにふくれ上がっているそうだ。以前はバスガイドやスチュワーデス、タクシー運転手などの職業病として知られていたものだが、それがどんどん広がったわけである。

●正常人の出立ての尿はにおわない

 さて、話を進めてきた尿は一般に、「臭い、汚い、不潔」などと嫌われているものではあるが、故事をひもといてみると、案外に愛好されてきていることがわかる。

 中国では、尿で顔や手足を洗った古代部族がいたと、「三国志」に書かれている。秦の始皇帝が若返りのために、処女のオシッコの風呂(ふろ)に入っていたという逸話も、まことしやかに伝わっている。

 インドでは、古くから自分のオシッコを飲む民間治療法があったという。この尿療法の教えは、ヒンズー教の教本に百七項目にわたって記されており、現代でもヨガの聖者は自分のオシッコを飲むといわれている。

 日本でも、沖縄には古くから、自分のオシッコを飲む尿療法があったという。

 尿という小水はその昔、健康飲料として飲まれたこともあったし、化粧水であったこともあるという不思議な液体なのである。現代社会においても、尿健康療法を実践する人たちがおり、体の故障個所の痛みがとれるなどの効用があるという。

 しかし、現代医学の最先端をいく科学者たちは、尿は飲めるとしながらも、一様にその積極的効能は認めない。いわく、確かに微量ホルモンは含まれているが、飲むと腸でアミノ酸に分解されてしまって、意味がない。あまりにも微量すぎて、有効量を得るためには、何十リットルも飲まなければいけない。生体の自然の摂理に反する。

 この人間の小水を現代医学で説明するなら、先に述べた通り血液中の老廃物となる。私たち人間は飲食物を摂取するが、その必要なものを化学変化させて肉体にとり入れ、血液に乗せて全身に運ぶ。そして、不必要になってきたものは、腎臓でろ過して排泄する。尿は腎臓でできた老廃物、というわけであった。

 ちなみに、人間の肉体の中でエネルギーになる物質には、糖質と脂質、蛋白質の三つがあるが、これらの燃えカスは捨てなくてはいけない。糖質と脂質が燃えると、主として水と炭酸ガスになり、炭酸ガスは息を吐くたびに肺から外に出ていく。蛋白質の燃えカスは、尿素、クレアチン、尿酸などになって血液中に溶け、腎臓でろ過されて排泄される。これが尿の主な成分というわけである。

 そのほかに、尿にはナトリウムやカリウムなどの電解質も含まれている。人間の体液の組成は海水と同じで、この組成の濃度を一定にする役目をしているのも腎臓なのであり、体内に余分な電解質があれば排出するし、足らなくなれば水分だけを出すなどして調節しているためである。

 結局、ここに挙げた以外の成分が最終的な尿に含まれている場合は、体に何らかの異常が認められるわけだ。

 ともかく、尿が血液の老廃物、体液の不要品といっても、健康な人から出たものなら、不潔きわまりないというわけではない。

 見方によっては、細菌に感染していない正常な人の尿は、血液よりきれいといえるかもしれない。腎臓で繰り返し、ろ過され、排出されてくる液体であるからだ。

 心理的な嫌悪感はつきまとうにしろ、ジャングルで遭難したとか、海で漂流したとかして、きれいな飲料水ない場合は、海水や汚水よりオシッコのほうが絶対に安全といえるだろう。

 一般に、尿は臭いと思われているが、それも大きな事実誤認。正常な人の出来立てのホヤホヤは、ほとんどにおわない。尿に多く含まれている尿素が体外に出た後、それに取りついた細菌によって分解され、アンモニアが発生してはじめてにおい出すのである。

 
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