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‖他力と人間の運命‖

 運命は、人間にとって重大な意味を持っている。この運命について、二通りの見方ができる。

 運命は決定的なものであって、人間の力ではどうすることもできないとする見方と、運命は人間の意思や努力で変え得るものであって、あらかじめ決定されているものではないとする見方である。 

 この二通りの見方も、それぞれに固定してしまうには問題がある。なぜなら、人間の運命には、人間の力ではどうすることもできないようなものがあるとともに、人間の意思や努力で変え得た結果としてのものもあるからである。

 このようなことは、人間が宇宙天地大自然に「生かされて生きている」という考え方に立ってみることによって、より正しく把握できる。 

 人間が宇宙に「生かされている」ということは、宇宙によって命が運ばれているということである。また、人間が「生きている」ということは、宇宙によって運ばれた命が、自主的に命を運ぶ、つまり自分で己の命を作ってゆくということである。

 生かされている人間の肉体が、生きてゆくという力との関係で、運命の糸を織りなしているのである。二重、三重に入り交じって命が運ばれる。それが運命の実体である。運ばれ方によって、「運が強い」、「運がよい」、「運が悪い」ということになる。

 人間には、すべて平等に与えられている天命がある。天から与えられたものであるから、無心である。初めから悪い天命などはない。

 だが、一方に宿命がある。これは平等に対する差別の立場である。この差別性が、一人ひとりの人間に別個のものをもたらしている。宿命というものを無視すると、結局、悪い運命に巡り合ってしまうことになる。その人その人の生命の中に、親や先祖から伝えられて、一生涯つきまとうのが宿命である。

 もう一方には、社会環境の中で、自分を作り上げる第三の運命というのがある。人間の力でどうにかなるというものである。第三の運命が、天命や宿命と違うのは、先天運に対する後天運、他力運に対する自力運である。ただ、この両者の境界は微妙なこともあり、時にはその違いが、はっきりとしないことがある。

 運と不運、幸福と不幸、いずれをどのように選び、運命を開いて運命に乗ずることができるか否かは、他力と自力にかかっている。肉体の健全な働きと、素直な宇宙レーダーがあるかないかで、運命は変わってくる。

 人生のどこかで、幸運と不運に道が分かれる。生まれた時点から、極端に幸運だったり、不運だったりする。それでも。その後の努力次第で、不運を幸運に変えることも可能である。世の成功者といわれる人たちの中には、そうした例も少なくない。

 歴史上の成功者の経てきた道を見聞して、「さすが立派なものだ」と感心させられるが、つまびらかに調べてみると、何らかの他力によって成功していることが多い。むしろ他力によることが多ければ多いほど、成功の比率も高いのではないかと思われる。

 今の世の中を眺めてみても、いわゆる成功者と呼べるような人や、能力を十分に出し切って第一線で活躍しているような人物は、他力を上手に取り入れて、使いこなしているということがわかる。政治家、実業家、学者、芸術家、スポーツ選手、その他いずれの分野の人も皆、同じである。 

 他力は、大切にしなければならない。他力があってこそ、真の自力が出る。他力につながった自力ほど強いものはない。それが運命を開いてゆく。  

 一国の大統領選出を例にとれば、世界いずれの国でも、政治の最高指導者には、自力だけによってなりたくてもなれるものではない。その政治家の人格、性格、力量に加えて、情勢の移り変わりや、日本でいうと派閥の力学というような、運命的要素も加わってくる。これも他力である。 

 一人の力はまことに微々たるもの。人間は、他に依存していかざるを得ないのである。そして、他力によって生かされる原理を知って、その応用法を我が物とすることができるかできないかで、人の一生は大きく変わってしまうのである。

 

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