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∥生涯現役への準備3∥
●職業を通じて幸福を得る
また、己の職業を天職と確信し、迷わず努力してゆけば、徳が備わってくるばかりではない。必ずや仕事がよくわかるようになってきて、上手になる。上手になれば、この仕事は自分に適していると思うようになり、面白くなってくる。そうなれば、もはやその仕事は苦労ではなくなり、道楽に変わるというものである。職業の道楽化は人生の最大幸福である、ともいえる。
「よし、やろう」と決意した仕事が見事に完成した時の、あの素晴らしい楽しさは、誰にも体験があるだろう。汗水たらしての艱難辛苦の後に、ついに険しい頂上を極めた時の感激はどうか。「万歳」と叫ばずにはおれないだろう。
最近では、働きがい、生きがいということが問題になってきてはいる。確かに、オートメーション化によって無味乾燥な単調労働が増えているが、人間は働くことを通じ、誇りと喜びが高まっていく。昔、人々は生きるために知恵を絞り、汗を流した。娯楽を求めるにしてもそうだった。苦労して得たものほど価値があり、喜びを感じることは、昔も今も変わりはないだろう。
人生のコツはここにある。持っている力を出さず、何もしないで怠惰に一日を空費したのでは、夜は決して快適な眠りを与えてはくれない。人間がよりよく睡眠をとるためには、ある程度の疲労が必要条件である。
ただ、その疲れは何でもよいというわけにはいかない。望ましい疲れは、例えばスポーツの後のさわやかな疲れを思い浮かべれば、誰でも思い当たるであろう。このさわやかな疲れは、昼間、それぞれの職分において、快適に働いた後に得られるものである。精いっぱい、自己を完全燃焼させて残る疲労であり、それによって自らを高め得た疲れである。 こういう価値ある疲れこそ、夜、眠りによって自己を充実させる源泉になるものだから、職業の選択もおろそかにしてはなるまい。
三十歳から六十歳の働き盛りには、選択した適職において、本当に「気」を入れて働けば、働くことがどれほど楽しいか、面白いかわからない。朝は夜明けとともに働き出す。そういう人生に病気はない。悩み、苦しみはない。経済的な不足だの、欠陥だのがあるはずがない。大いに社会的に働くがよい。その道その道のベテラン、専門家になること請け合いである。
早寝、早起き、腹八分を守り、元気で働くことである。働くということが、どれほどの生産をするか、運命を進展させるかわからない。
働いて食物を取ればおいしいし、働けば働きが夜、蓄積されて新たなエネルギーとなり、知恵となり、力となる。働きということが、いかに人間を立派にするか、幸福にするか、幸運にするかということである。働きというものがなければ、幸運、幸福、金もうけなどというものがあるはずがない。
金がもうかる、運がよくなる、幸福になるということは、得をして、楽をして成功する方法である。楽をしてということは、遊んでいてということではない。運に乗ずれば、楽しく生きながら、幸運を獲得することができるということである。そしてまた、さらに新しい希望が湧く。
●自己を磨いて飛躍する法
私が長年にわたって説き続けているように、人間の肉体には、誰にでも宇宙根源の真理力という「気」エネルギーが潜在している。それは、肉体一色の命懸けの熱心さで仕事に励む時、はじめて力として、またヒント、アイデアとして、さまざまの工夫として表れるものである。
事をなすに安易な道はないということは確かなのだが、人間は楽をしてうまくやろうと考えがちである。世の中が文化に恵まれて、人の作った幸せが多くなると、人間が我がまま、ぜいたくになって、いろいろの遊びを考え出し、射幸心を当て込んだ賭け事に誘われ、うまいものを食べ、働きを怠り、仕事を怠けて給料や休日ばかり欲しがってしまう。
中学、高校を卒業するのは当たり前、若者の多くが大学まで進学するようになった現代の風潮は、自分の仕事に地道に努力し命を懸けるといった態度は、やぼであり損だといって、軽蔑する傾向がある。楽をして過ごすのが格好いいという。
だが、命を懸けるくらいの覚悟があるならば、物事に取り組む態度というものが、おのずと真剣になる。従って、考え方が一新し、創意工夫ということも、次々に生まれてくる。命が生きて働いてくれるからだ。
かくして、そこから私たち人間が繁栄していく方法というものが、無限に湧き出してくるのである。この無限に潜んでいるものを一つひとつ探し求めていくのが、人間の営みであり、私たちお互いの、人間としての務めだ。「もうこれでよい、これで終わりだ」という考えは、人間の務めに反した考えだといわなくてはならないのである。
人が命を懸けて仕事に励めば、命が働いてくれて、無限の知恵が出る。それまで隠されていた真理が現れて、素晴らしい働きをしてくれる。それは、命、すなわち人間の体、肉体が汲めども尽きない力と知恵を発揮してくれる、という意味である。
加えて、独り肉体の働きによる経験だけでなく、読書などで頭の訓練もうんとやるべきだ。ことに吸収力の強い青年時代は、何でも広く取り込んでおくのがよい。乱読で少々雑学に流れても、いろいろ色彩豊かに吸収しておくがよい。要は読む習慣をつけることが大切で、それが自己啓発につながると、必ず役に立つ時がくる。大きく伸びるためにはぜひ必要である。
壮年にとっても、決して枯れることがない知識欲を満たす読書、それによる感銘などは、確実に大脳の若さを保つ原動力になる。本に夢中になりすぎて、悪い姿勢を続け、体調を崩すのは感心しないが、余裕があるならせめて一日に一~二時間ぐらい、心の糧となるような書をひもとく時間を持ちたいものである。
●余暇に新しい仕事を研究する
読書などに振り向ける時間を作るために、最近、夜型人間から朝型人間へ、生活パターンを切り替える人も少なくないと聞く。
早目に起床するのも習慣になってしまえば苦にならないし、いったん切り替えた人は、決して夜型の生活に戻そうと思わないはずである。早起きすることにより、一日にリズムと張りが生まれ、しかも快適だからである。
もちろん、自分の時間が持てる。朝の時間は無駄が少ない。同じ一時間であっても深夜の場合は、案外無駄にダラダラと過ごしていることが多いものである。
現代の働く人にとって、朝早く起きて自分の時間を作り、その時間をどう有効に使うかは、十分検討する価値のあるテーマだと思う。
例えば、四時半から五時までにはきちんと起き出して、朝の仕事にかかろうか。七時か七時半頃に朝食を取るまでの二時間ないし三時間は、全くの個人ただ一人である。サラリーマンやOLなら仕事の準備か、専門の研究や勉強をすればよい。
大抵のサラリーマンは、生活できさえすれば、それで能事たれりとしている。サラリーマンがサラリーマンで生活できたら、その余暇を有効に活用することを考えればよいのである。毎朝の二、三時間ずつを、生涯現役のための新しい仕事、専門の研究に打ち込むなら、人生五十歳までの数十年余、会社に勤めたとしたら、その間に立派な専門家、誰にも負けぬベテランとなることもでき、自己の人生が後半になってから、本当の道に入ることにもなる。
そういうことは誰にもできるのである。人間に、自由に研究、開発、発明、発見をさせてゆくならば、その能力はどれほど増大するものかわからない。
実践すればわかることだが、早朝ほど集中力が継続し、勉強などの成果が上がる時はまずない。朝二~三時間早く活動し始めると一日が凝縮され、充実したものになる。自分にとって無駄な時間がなくなるのである。仕事のための勉強に限らずとも、健康のためのスポーツ、趣味や教養のためのサークル活動に活用してもいい。とにかく、そういう生活が可能かどうか考えてみるべきだろう。
仕事の関係でどうしても朝時間がとれない人は、早く出勤して早く仕事を終えるという方法もある。通勤ラッシュ前に電車に乗り、ゆったり読書するのもなかなかいいものである。
今やエレクトロニクス技術の発達で、ワープロやパソコンやビデオなどが一般に普及している時代である。どうしても見たい夜間のテレビ番組などはビデオに録画して、暇な時間に見るのも無駄がなく便利である。ハイテク機器は有効に使うべきで、眠いのを我慢して、深夜までテレビに付き合う必要はない。
また、大都市のホテルやカルチャースクールでも、午前七時頃から八時三十分までというように、ビジネスマンを対象としたさまざまな講座を実施している。何か一つ自分の目的を持ち、朝の自由時間を意義あるものにしてほしい。早起きは、何物にも替えがたい時間と健康を同時に満たしてくれるのである。
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