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∥生涯現役への準備1∥

 

●生涯現役への足固め

私たち人間が定年後も仕事や生きがいを持って、生涯現役の人生を送れるか否かは、その人の青壮年期からの生き方に大きく左右される。生涯現役の人生を目指すならば、遅くとも四十代から準備、足固めをはかりたいものである。

 そこで、人間の青壮年期という働き盛りのあり方について述べていこう。 少年期、青年期、壮年期、実年期、老年期と送って天寿百歳、百二十歳に至る人間の人生には、いくら希望しても果たせないこともある。従って、まだ人生の道程にある者が、完全を期すのはいいとしても、高望みから逆に失望に陥るようなことのないよう、最初に戒めておきたい。

 だが、努力次第でやがて念願がかなうというものもある。すべてに成長の過程、順序、段階といった秩序がある。土台を造らない建築はない。一階を造らないで二階は造れない。

 ともかく、各人各様の人間の人生、それはすべて少青年期に始まる。この人生の春の時代に、ふさわしい生き方をし、しっかりと仕込みをしておくことで、人間の一生は大きく変わってくる。

 人間の天寿百歳、天寿百二十歳の百階、百二十階の巨大なビルディングを建設するためには、計画書、設計書、仕様書を正確に作っておかなければならない。そして、工事は基礎の構築から始まる。基礎作りが確実に行われず、あやふやにすまされたまま次へ進むと、ビルは中途で崩れるか倒れるかしてしまう。

 男も女も、三十歳までに一生の軌道の方向をつける。東にゆくか、西にするかを決める一番大切な時である。将来、人生の秋風落莫の霜夜に凍えるか、猛暑に骨身を惜しまずせっせと建設をして、夜の長い冬空の下、楽しい団らんをするかは、人間本人の覚悟と実践にかかるのみ。

 だから私は、誰もが自らの人生に悔いを残さぬため、若くて元気のあるうちに、働けるうちに十分働いて、財産の蓄積をすることが必要だと考える。それよりも大切なのは、人間精神を蓄積し、人間性を磨き上げておくことである。

 若いうちは二度とないのだから、若いうちに遊べ、やれるだけやって、後は成り行きに任せればよいなどといって、全く自己に対して無責任な、無計画な生活をする人もずいぶんいる。

 けれども、誰でも必ず老人になるのだ。若いうちに、世間に対して見えや体裁ばかりを作ってみても、現実の具体的結果を刈り取るのは、ほかならぬ自分自身である。自分自身を本当に愛するならば、自己の実質内容を日々、充実させてゆかねばなるまい。

 では、何で充実させるか。それは真(まこと)である。真は天の道、宇宙の道、万有すべてに通ずる一本道である。真は、宇宙天地、人間社会をまかり通る唯一の生き方である。真のない人間、真実性のない人間は、世間からばかりでなく、宇宙天地からも相手にはされない。

 若い時は成り行き任せ、老後は年金で生活するなど、社会に頼るのも便利でよいかもしれないが、本質的には、若い時から着実に働いて、老後の設計をすることが大切である。自分で人生の進路を決めていく、自分で人生を創造していく、自分で人生を選択していくということだ。

 人の日々は、新しい創造の日々だ。人間の歴史は、創造の歴史といってよい。創造とは、絵を描くとか、小説を書くとかの芸術だけではない。日々の仕事、労働、人間の働き、すべてが創造である。すべての創造は、すなわち選択である。創造と選択は不可分であり、盾の両面である。

 選択も創造も、人間一人ひとり、天の道に従って人間性を磨き上げ、いかに生きるかの立場が基本となる。それが、人の運命を決めていくのである。

●「気」を養って、肉体で働く

 この点で、自らの体に「気」が充実している人、気が働く人、気がきく、気がつくというような人は、すべてが運命の機会である。あらゆる時に機会をみつけて、自己を運ぶ気持ちのよい人、そういう人が、平凡な社会をどんどん駆け抜けてゆく。

 頭がよいとか、利口だとかいうこともあるけれども、そういう条件よりも、運命をよくする「気」が体にあるかないかということが、幸運の条件なのである。

 「気」は、宇宙いっぱいに満ちている。みなぎりわたっている。宇宙大自然は「気」の世界、人間の命というものも「気」であり、肉体は「気」の固まりである。

 この肉体は絶えず宇宙の「気」を受けて、生命を養い、運命を作ってゆく。宇宙の他力の「気」を力にして発揮、発動される肉体の働きが、あらゆる幸運の転機を捕らえて、よき運命を刻々と作り出してゆく、積み上げてゆくのである。

 肉体という万能選手が、万事万物がはつらつとして存在している地球の上で働き抜く、踊り抜く人の一生、遊んでなどいられない。ボヤボヤしてはいられない。

 常に「気」というものをこの体に充実させて、よき運命を選び、つかんで生き抜いてゆく。人間は常に運命という運びの上に生きているけれども、そこに、よき縁を選ぶという、幸運をつかんで生き抜くための絶対の条件がある。

 よき縁というものは、ただボンヤリと一日一日を暮らしていたのでは選べない。しかし、ただウロウロ、ソワソワとよき縁を選ぼうとしても、なかなかそういう機会にぶつかるというものではない。

 縁を選ぶ、運を選ぶなどというと、人間は、幸運というものが向こうにあって、こちらに自分がいるように思い込んでしまうけれども、運命も幸運も、この自分の肉体にある。この体が万事の元、幸運の元。幸福のすべてが、自分自身の体、この自己という生命体の中にあるのである。

 肉体の「気」を養って、油断なく肉体で働く。この体から「気」を発して、よき縁を選ぶのである。

 現代のように社会の動きが速い時代では、頭の回転がよいというのも一つの条件ではあるかもしれぬが、頭が働きすぎても、「気」が浮ついて、よい運命をつかむなどというわけにはいかない。

 落ち着いて、しっかりと、この体全体で、一番よい縁を選び、運命を運んでゆく。よい縁を選ぶということをせずに暴走したのでは、ただ働くだけ、動くだけに終わってしまう。

運命をよくするために、縁を選ぶということとともに、人を選ぶとか、場所を選ぶ、時を選ぶ、方法を選ぶというように、何でも一番適したもの、時宜にかなったものを選び、進めてゆく。

 適不適、要不要に従って、自分自身に一番適した職業を選ぶ、道を選んで、一生懸命運んでゆくことである。

●壮年期における仕事の意義

 現代という時代は、何でも選ぶことができる。世の中が自由になって、社会が広くなった、便利になった。よき道を選んで、運ぼうとすれば、いくらでも方法がある。道がある。自由な時代、幸せな時代。どんな貧しい家に生まれても金持ちになれる。事業で成功することもできるし、学問や芸術の道に進んで、学者や芸術家にもなれる。政治家にもなれる。

 誰にも適当な職業があって、何を選んで働くか、運ぶかということには大変恵まれている。幸運の機会に恵まれている。

 誰もが青壮年期は、向上の一筋、生きることに自己が全力を尽くす時、主となって発展する時代、大いに社会的に働くがよい。そうすれば、晩年の平安はおのずから訪れる。

 だからこそ、人間にとって、この期間に就く職業の選択は、人生における大きな節目をなす。

 社会に出て、自分に適した、自分の好む職業に就くことができれば、働くことのほうが、遊ぶことよりもどれほど面白いかしれない。会社のために働くということは、直ちに自分のためにもなる。懸命に会社の仕事をし、それを通じて自己を磨く。そうして、絶えず向上しようと心掛けるべきである。

 残念ながら、こういうふうに向上しようと努力するのは少数の人で、ほとんどは遊んでのんきに暮らして年を取る、というのが人間の常である。

 ひとたび就職が果たされると、特にそれが思い通り確実な企業や官庁への就職の場合、自己の人生に安心してしまうにはまだ早すぎるのに、途端に勉強嫌いの遊び好きになってしまう人が多い。

 三十五歳ぐらいからは結婚生活に捕らわれてきて、食わんがため、世の中に妥協的な人生になる。結局、去勢されたような人間ができてしまって、本当に一つのものに生命を打ち込んでとか、懸けてとかというような意欲はなくなるようである。

 妻帯して子供ができた、家をこうせねばならない、社会に妥協してでも生きていかねばならない、泳いでいかねばならないというような問題の時期、時代における自己意識というものは、気力が盛んで、体力が伴い、意欲がある若い時とはまた違ってくる。

 だから、若い学者の助手時代、助教授ぐらいな時代には、まだ向上性もあるし、何ものかを成し遂げねばならんという闘いを挑む気力があるのに、境遇や立場が変わって政治的になり、管理職的になっていくと、ぐっと変わってしまうということになる。

 こうしてサラリーマンなら油断をしているうちに、いつの間にか四十、五十歳となり、六十歳をすぎると、ことごとく定年となる。定年が六十歳とは、何とももったいないことである。

 もっとも、若い頃からの勉強をずっと続け、自らに対する啓発を欠かさない人にとっては、生涯が現役、人生に定年などはありようがない。

 職業に就いてから、その仕事のために必要な知識や能力について勉強すれば、面白く、興味も湧いてくる。勉強をしているうちに次々に新しい興味が生まれ、意欲が広がり、思いも掛けず他の職業に移ったりするようにもなる。職業が変わる度に大きく飛躍するという人もある。それがその人の実力だ。

 長い間、日本人は職業を変えないのが普通とされていたが、それが誤りであることは、私がずいぶん前から指摘しているところである。転職しないのは、その人に能力がないからという例も少なからずある。定着性というもののメリットも軽視はできぬが、今や企業側のほうが終身雇用制を維持するのに、四苦八苦するような時代である。

 自由自在の変化、即応性、これこそ人間なればこその特性。思い切って、自分から社会の既成概念とか固定観念を打破し、脱出する勇気も時には必要である。

 

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