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∥生涯現役の勧め1∥

 

●生涯現役を目指す人生計画

 長寿時代の今、定年後の第二の人生に燃えた人として、江戸時代後期の測量家の伊能忠敬を見直してもらいたい。下総・佐倉にて営んでいた酒造業を四十九歳で引退して、江戸で西洋の暦学を学び、短命だった当時としてはかなりの高齢といえた五十五歳から、七十一歳までの間に全国を測量し、外国にも誇れる我が国初の正確な日本全図を作った人物である。

 この生涯現役の見本のような後半生こそ、生きがいを求める人生八十年時代の現代人に、再評価され得るのである。

 伊能忠敬のように、高齢者になっても人生の生きがいや、意義ある仕事を持つことは、誰にでもできる。生涯現役の気構えを持って、余人にできないことをしている人は、平成時代の日本にもたくさんいるのである。

 私たち人間が自由に、意欲を持って開発、発明、発見をしてゆくならば、年を取っても、その能力はどれほど増大するものかわからない。一人ひとりが、天才になる可能性がある。天才というのは、天の才能を伸ばすことであって、人間の才能を教え込み、植えつけることではない。

 受験地獄とやらに苦しめられながら、懸命に勉強をしても、大学に入ってしまうと、途端に遊んでしまう。会社に入ってしまえば、もう努力をしない。会社員が会社員で生活できたなら、その余暇を有効に活用することを考えればよい。

 一週間のうちの二日間、異なる分野の研究に打ち込むのもよかろう。毎日の数時間、人生の生きがいともなる趣味に没頭するのもよかろう。三十余年、会社に勤めている間に立派な専門家となることもでき、自己の人生が後半になってから、本当の道に入ることにもなる。

 あるいは、高等教育を受けていなくとも、肉体がたくましく、意欲が優れた人であるならば、死ぬ時まで、必要に応じて勉強をするから、それがみな身につく。

 芸術家でも、自営業、技術者、大工、左官、庭師でも、何でもよい。それぞれの志向によって各分野に進む人間は、生涯現役で定年などに煩わされることなく、自分の特徴を発揮できるのである。

 「六十(むそじ)の露消えがたに及びて……」とは、「方丈記」の作者の感慨であるが、「消えがたに及びて」はいかにも寂しい。あの鎌倉時代の頃は、人生五十年だった。六十歳にでもなったら、鴨長明も長命を全うして、ぼつぼつ消えかける心の準備に、寂しくなるのももっともだろう。長明の行年は、六十二歳だった。

 平安時代の昔には、「四十の賀」などといって、四十になると長寿を祝ったそうである。「五十九の非」という言葉もある。六十歳になったら、過去五十九年の非を悟るべきだ、それを知らない人に進歩はない、という意味だそうだ。

 人生いくつになっても反省、反省だ。ともかく、かつての日本では四十歳が「初老」と異称され、五十歳あたりが人生の節目と思われていたのである。

 今は違う。十五歳未満を「若年」、十五歳から六十四歳を「現役世代」、六十五歳以上を「高齢者」と見なすのが一般的になっている今は、人生百年なり。百二十年なり。第二の人生計画、すなわち五十歳から百歳、百二十歳までの生涯現役の人生計画をまっしぐらに進んでもらいたいもの。

 日本人の平均年齢でいっても、縄文時代は三十一歳だったといわれ、織田信長は「人生わずか五十年」と慨嘆したのだが、今は長寿日本は人生八十年時代。八十歳まで生きて、平均的な長寿の事業達成ということになるわけである。

●生涯現役、終身現役時代の到来

 人生八十歳時代を生きるということは、何を意味するか。これからの日本は、老人大国になっていくということだろう。国立社会保障・人口問題研究所の発表では、二〇五五年には総人口が九千万人を割り込み、六十五歳以上が四割を占めると推計している。人口に占める高齢化率は、二〇〇六年の倍になるとしているわけである。つまり、将来、人口構造が逆ピラミッド型になるという、紛れもない高齢化社会が到来するわけで、年齢構造の歴史的大変革が起こる。

 その老人大国の高齢化社会に対処するための第一のテーマは、人口構造の変化がもたらす意味である。とりわけその中でも、長い第二の人生のために、高年齢者層が生きがいを何に求めるかが、改めて問い直されるに違いない。

 いうまでもないが、生きがいの問題は結局、個人個人の対応に帰着するだろう。そして、それを支えるために、まず健康であることが必要になる。単なる長寿だけでは仕方がないが、元気で活動力を維持しながらの長寿は、社会的に考えても大変に意味があると思う。

 第二のテーマは、年金などの社会保障制度の問題である。P・F・ドラッカーが、かつて「見えざる革命」という本で指摘したように、「増大する一方の高年退職者に支払う年金の原資をどうするか」という、既存の社会体制の中では捕らえ切れぬような大きな課題を、政府も民間企業も避けて通ることは許されないだろう。

 第一のテーマに出てくる老人自身の問題は、まず自らの心構え。若い人たちにあまり面倒をかけないような強く、若い老人ということではないだろうか。

 さらには、これまでの人生設計を考え直さねばならないこと。そこから出てくる言葉は、四十初惑ということだ。四十不惑でなくて、四十にしてはじめて迷うということである。

 四十にして惑わずといったのは、人生五十歳時代、平均寿命五十歳時代の目標であった。だから、四十になったらそうバカなこともしてはおれない、惑わずというのが、大きな目標だったと思う。

 人生八十歳時代になってみると、二十代、三十代の経験は、失敗も成功も含めて、要するに人生経験にすぎない。四十歳になってはじめて、これから次の人生、後半生をどう生きるかを考える。そこで四十初惑、四十にしてはじめて惑うということである。惑うというのは、この場合、模索する、考えるということになると思う。

 続いて、五十にして立志、自分は何をして後半生を送るか決める。そして、六十精励。事に当たって励む。七十成就、八十にして熄(や)む、つまり引退するというのが、これからの人生設計ではあるまいか。

 人間が二十歳から活動して、五十まで三十年間働くとする。それから五十から八十までの後の三十年間、さらに活動するとする。前後を比べると、同じ三十年でも大変な差だと思う。

 というのは、五十以後の三十年間の活動は、それ以前の長い間の知識や経験の蓄積がある。また、世間の信用もついてくる。肉体的な活動力は衰えても、精神的な活動力からいえば、革命的、突進的な問題以外は、はるかに五十以後の活動力のほうが影響力が大きい。

●人間の天寿は百二十歳である

 いや、人生は八十年どころか、百年、百二十年である。

 日本人の平均寿命は二〇〇五年で男性七十八・五三歳、女性八十五・四九歳に伸びてはいるが、今の常識では百歳でも、まれなる長寿である。従って、寿命百二十歳はいわゆる常識の名のもとに不可能だと思われがちだが、生かされ生きる他力生活、真理生活の原則によれば、決してそうではない。

 今日の日本にも、百歳以上の長命を保つ人々が少なからずいる。自然に生きれば、百二十歳ぐらいまでの長寿も難事ではないと科学が保証している。

 フランスの自然科学者ビユフォンや、オランダの生理学者フルーレンの説によれば、脊椎動物の寿命は成長に必要な年数の六倍ぐらいだといわれる。人間の成長期を二十年と見なすならば、百二十歳まで生きられるはずである。

 運命の帝王といわれる四柱推命でも、大運というのがあり、大きく見て春夏秋冬を巡る百二十年になっている。天理教では、百十五年生きられるといっている。道教では百六十年、その半分の八十年を半寿という。

 実際にも、昔から長命な人間は各国、各地にいるものである。

 ウイスキーのオールド・パーのレッテル肖像画で有名なトーマス・パーは、百五十二歳で死んだというが、その死因が老衰ではなく、ごちそうの食べすぎによる腸捻転だというのだから恐れ入る。

 ハンガリーのヤノス・ローウェン夫妻は、それぞれ夫百七十二歳、妻百六十四歳まで生き、同じ日に百十六歳を筆頭とする息子たちにみとられて大往生を遂げたという。 また、この地球の各地には、長命に適した地域が存在している。旧ソ連のコーカサス地方など、山を挟んだ両側にたくさんの百歳以上の人々がおり、百歳を超す老人の割合は人口十万人につき十人だという。

 このほか、南米エクアドルのビルカバンバ、カシミール地方、パキスタンのフンザ地方なども長寿者天国で、百歳以上がいっぱいいる。

 日本では、徳之島が長寿地帯として脚光を浴びてきた。一九八六年に百二十歳で亡くなられた泉重千代さんに次ぐ百歳以上の高齢者が、昭和六十三年段階で十人近くおられ、八十歳以上を含めると大変な人数になる。

 このように古今東西に長寿者がいることでわかる通り、人間は本来百二十歳くらいまでが生き得る範囲なのである。日常生活の内容が健康と幸福で満たされておれば、百年から百二十年は約束された人生であり、夢や空想ではないのである。

 そうすると、八十にして熄まずである。八十八歳の米寿、次いで鳩寿。九十歳のことを昔は卒寿といったものだが、卒業式という言葉があるように、卒寿は終わるという意味を含むから、字がいい鳩(きゅう)と九と音が通っているので、この頃は各地で鳩寿のお祝いと呼んでいるのである。

 そして、百二十歳を平均寿命とすると、白寿熄む。九十九歳にして現役を引退するというのが、これからの人生設計じゃないかとも思われる。誰もが生涯現役の気構えを持って、これからの人生設計を白寿の九十九歳、ないし百歳を目標にして考えたらどうだろうか。

 昔、人生わずか五十年といっていたのが、日本でも社会情勢の変化や医学の進歩の結果、平均寿命が三十年も延びたのだから隔世の感がある。

 だが、昔の人でも長寿な人は、いくらもいたのである。ただ幼児や壮年者の死亡率が高く、老年者の生活環境の厳しさから、平均寿命はどうしても低いものにならざるを得なかった。平均寿命は、生活環境に左右されるのである。

 

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