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∥ボケの因果関係∥
◆◆人生百二十年も決して夢物語ではない。◆◆
私たち日本人の平均寿命が毎年延び続けて、今や香港と一、二を競う世界トップクラスのものとなっているのは、大変に喜ばしいことである。
昔は、「人生わずか五十年」と言い習わしていました。昭和十年頃(ころ)の日本人の平均寿命は男性四十七歳、女性四十九歳と、まさに「人生五十年」という言葉がピッタリであったのだ。社会情勢の変化や医学の進歩、衛生環境の向上などの結果、平均寿命が三十年も、三十五年も延びたのだから、真に隔世の感がある。
昔の人間でも長寿な人はいくらもいたのだが、幼児や壮年者の死亡率が高く、老年者の生活環境の厳しさなどから、どうしても平均寿命は低いものにならざるを得なかったのである。
抗生物質など薬の開発や、医学技術の急速な進歩によって、結核などの伝染病や乳幼児の死亡原因が克服されてきたことが、順調に延びた原因だ。さらに、ガンや脳卒中、心臓病の三大死因が解決されていけば、遠からず女に続いて男も八十歳代になることは十分予想されるところ。
いや、私にいわせれば、人間の人生は八十年どころか、百年、百二十年。
日本人の平均寿命は男七十八・三二歳、女八十五・二三歳と順調に延びたとはいえど、今の常識では百歳でも、まれなる長寿である。従って、天寿百二十歳の全うは、いわゆる常識の名の元に不可能だと思われがちである。だが、宇宙天地大自然の「気」に生かされ生きる他力生活、真理生活の原則によれば、人生百二十年も決して夢物語ではない。
今日の日本にも、百歳以上の長命を保っている人が、ほぼ一万八千人いる。自然に生きれば、百二十歳ぐらいまでの長寿も難事ではないと、科学も保証している。
自然科学者や生理学者の説によれば、脊椎(せきつい)動物の寿命は、成長に必要な年数の六倍ぐらいだとされる。人間の成長期間を二十年と見なすならば、百二十歳まで生きられるはずなのだ。博識、雄弁で聞こえ、二度に渡って首相を務めた大隈重信も、かつて寿命百二十五歳説を唱えていたものだった。
◆◆健やかに老いる人ばかりではないことが憂慮すべき問題となっている。◆◆
実際、昔から長命な人間は、世界各国、世界各地に存在するものである。
イギリスのスコットランド地方のヘンリー・ジェンキンスという人は百六十九歳、ロシアのシラフ・オグリ・ミスリノフという人は百六十八歳の長命を保ったという。
記録が明らかなところでは、ウイスキーのオールド・パーのレッテル肖像画で有名な、イギリスのイングランド地方のトーマス・パーが、百五十二歳で死んだという。恐れ入るのは、その死因が老衰ではなく、国王チャールス一世の招きを受けて、ごちそうを食べすぎたための腸捻転(ちょうねんてん)ということである。
世界の三大長寿地帯に挙げられるエクアドルのビルカバンバでは、一九七六年の調査による最高齢者が、百三十七歳の人だったという。
十分な証明が必要とされるギネスブックに登場した最高齢者は、一九九七年に百二十二歳で死去したフランスの女性、ジャンヌ・カルマンさんで、百二十歳以上生きた二人の男性も記録されている。日本の泉重千代さんと、アメリカのクリスチャン・モーテンセンさんである。
我が日本について見ると、一九八六年(昭和六十一年)に百二十歳と二百三十七日で大往生された鹿児島県徳之島の泉重千代さん、一九六四年(昭和三十九年)に百十八歳で亡くなられた山梨県大月市の小林やそさんが、男女の最高齢者として知られている。
二〇〇三年(平成十五年)での日本最高齢者で、同時にギネスブック認定の世界最高齢者は、百十六歳の女性、本郷かまとさんであった。本郷さんは奇(く)しくも泉さんと同じ徳之島の出身で、当時は鹿児島市で暮らしておられたが、十月三十一日に百十六歳と四十五日で他界された。
また、本郷さんの上をゆく百二十五歳の男性、ハビブ・ミヤンさんが、インド北西部のラジャスタン州都当局から長寿世界一と認定されたというニュースも、当時、世界を駆け巡ったところであった。
かくのごとく古今東西に長寿者がいることでわかる通り、人間は本来、百二十歳くらいまでが生き得る範囲なのである。十分な根拠があり、天寿を全うする健康長寿法もあるから、私が説いている真理に基づいて生きるべきである。
毎日、毎年の日常生活の内容が宇宙の真理によって、徹底した健と幸で満たされておれば、誰にとっても百年から百二十年は約束された人生であり、決して夢物語や空想ではなくなるはずである。
しかしながら、今の世の中においては、宇宙真理に基づいて生活している人はまだまだ少数派であるために、精神と肉体の老化が同時にゴールインする、健やかに老いる人ばかりではないことが、真に憂慮すべき問題となっている。
◆◆ボケや恍惚といった言葉が一般にも広く使用されるようになったが、実はボケとは何か、ボケをどう定義するのかについても、明確にされたものはない。◆◆
すなわち、肉体の老化に比較して、精神の老化が異様に早く、かつ顕著に出現する痴呆、俗にいうボケが、近年、日本社会の高齢化とともに着実に増加しており、大きな関心事となっているのだ。
かつての厚生省の発表によると、昭和六十年における六十五歳以上の老年期痴呆例数は五十九万三千人、平均有病率四・八パーセントで、欧米先進国における有病率四~五パーセント内外とほぼ同じであった。
平成八年の段階では、全国に約六十万人の痴呆高齢者がいるとされたが、その割合は高齢になるほど高く、八十歳以上では二十八パーセントを占めているとされていた。
そして、平成十五年における厚生労働省の発表によると、痴呆高齢者は約百四十九万人を数え、団塊の世代が高齢者となる平成二十七年には、今より約百万人増の約二百五十万人に達すると予測されている。このほかにも、五十歳代、六十四歳以下にも痴呆例があるわけで、これらを加えると痴呆例数はさらに増加する。
老齢人口の急速な増加が大きな原因であるとはいえ、このように急増する病気は、ほかには見当たらないのである。
ボケは人間の加齢と密接に関連するものであり、本人が人生の終末を知的人間たるホモ・サピエンスとして全うすることができないばかりではなく、家族を始めとした周囲の人々の物心両面に渡る苦労も計り知れない。
このボケの原因は不明なことが多く、現在、世界を挙げて、その解明にしのぎを削っている中で、一部、化学物質の代謝障害が注目されている。しかし、これだけでは、多彩な症状を示す老年期痴呆を説明することは不可能である。
ボケの原因が未解明なばかりでなく、老齢人口が増えてくるとともに、ボケや恍惚(こうこつ)といった言葉が一般にも広く使用されるようになったが、実は、ボケとは何か、ボケをどう定義するのかについても、明確にされたものはない。
専門家の間には、ボケと痴呆とは別のものであるとする考え方も存在するという。つまり、ボケも痴呆も同じ脳の老化による症状であるが、ボケは生理的にあり得る範囲のものであり、一方、痴呆は病的な症状であるというわけだ。
だが、生理的な脳の老化による症状と、病的な脳の老化による症状は、明確に区別できない場合が多々あると考えられるのではないか。
◆◆人間の記憶力一つをとっても、その能力の低下を正常、あるいは病的と判断することは、容易なことではない。◆◆
例えば、何か物を整理して、ある場所に置いたとしよう。整理したことは覚えているが、置いた場所を忘れてしまうのは、誰にも日常よく経験されることであり、人間の記憶力の正常な範囲といえる。
では、物を置いた場所はもちろん、整理したこともすっかり忘れてしまったような場合、この失念、物忘れは果たして生理的なものか、病的なものなのか。
壮年期以降の人間ならば、やはり生理的範囲ということができるだろうが、微妙なところである。
何か思い出そうとしても、度忘れして、全く思い出せなかったようなことが後になってふと出てきて、我ながら不思議に思うことは、壮年期になれば誰でも日常生活で経験しているはずである。
また、年を取って脳が老化し、もうろくのため何かができなくなるという場合でも、能力が失われたとは限らず、場面や状況によってできたり、できなかったりするのである。これは脳の委縮によって、記憶されていたものが失われるのか、記憶という形で産出しにくくなるだけのことかは、なかなか決定されない。
なぜならば、人間の記憶という機能は、ただ蔵にしまってあったものを取り出すような簡単なことではなく、記憶されたものは時間的に変化してくるからである。
一般には、新しく経験されたことはよく記憶されているが、年を取って脳が委縮してきた場合は、新しいことはすぐ忘れてしまい、古いことばかり覚えているものである。
この場合でも、新しいものが覚えられないのか、覚えてもうまく蔵から取り出せないのかということは、なかなかわからないようである。
かくのごとく、人間の記憶力一つをとっても、その能力の低下を正常、あるいは病的と判断することは、容易なことではない。
◆◆誰もが加齢に従って、物覚えが悪くなり、人の名前など固有名詞を中心に、思い出すことがむずかしくなる。◆◆
まして、ボケは生理的な老化によるものであり、痴呆は病的な老化によるものであると明快に割り切ることは、むずかしいのである。
本編では、ボケと痴呆は同じものであり、単にボケは通俗的な言葉、痴呆は専門的な表現と見なして取り扱うことにしよう。
その一般にボケと呼ばれる老人性痴呆症の学問的な定義については、明確に統一されたとはいえない面もあるが、「脳の損傷のために、一度高くなった知能がまた低くなること」、あるいは「一定のレベルに達した、または一度得られた知的能力の顕著な低下」といってよかろう。加えて、「しばしば感情面での無欲を伴う」ということも付言してよいだろう。
この痴呆による「知的能力の顕著な低下」というものは、生理的な老化による「正常な知的能力の低下」から連続して移行するものかどうか、という点について考えてみよう。
一般的にいえば、人間は老化とともに、精神の働きや知的能力が、自然に低下してくるものである。誰もが加齢に従って、物覚えが悪くなり、人の名前など固有名詞を中心に、思い出すことがむずかしくなる。同時に、思った時にすぐメモしないと忘れてしまうし、度忘れが多くなる。
それでも日常生活に特別の支障はなく、他人の手助けを必要としなければ、生理的な老化の範囲のものとしてよいのである。
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