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∥感受性が強い弱気∥

●弱気の人間は敏感で消極的態度を示す

 続いて、弱気に分類される人間について説明する。

 概して、弱気の人間は、敏感で、物事に対して警戒しやすい。不安を持ちやすく、恐怖もしやすいので、積極的に事をするのが恐ろしく、すべてに対して消極的態度を示す。生命の危険、社会生活での危険など、自分が脅かされることに対しては、しりごみをし、逃避しようとする。不安に対して逃避反応を起こしやすいのである。

 こうした性格特徴を有する弱気というのは、いわゆる神経質な性格のことになる。

 神経質という言葉は、本体のはっきりしない多義的なものではあるが、日常の生活でもよく用いられている。「神経質な人」といえば、太っ腹とか豪放とかという感じとは正反対のものであり、どことなく線の細い、やせた体格、血色のよくない顔色、沈みがちな表情、おどおどと落ち着かない視線などが連想される。

 その人間の容姿はほぼ共通のものが認識されるにしろ、どんな条件がそろった時に、彼の性格的特徴を神経質というかということは、あまりはっきりしていない。

 食べ物のことに必要以上に気を使い、その意味で神経質な人が、対人関係では鈍感で粗暴に振る舞うこともある。また、他人の気持ちばかり気にしている人が、どこででもよく眠り、少しぐらい不衛生なことに平気であるということもある。

 かように考えてくると、一口に神経質、あるいは弱気といっても、その特徴はさまざまで共通するものは何もないように見える。だが、よく考えてみると、中心になるいくつかの核のような特徴があって、そこから多くの特徴が派生しているように見ることができる。

 弱気の人間の中核になる特徴の第一は、最初にも述べたように、敏感で、感受性が鋭いということ。自分の外側や内側の変化を、敏感に感じ取ってしまうのである。

 視力のいい人には、悪い人には見えないような微細なものまで見えてしまう。見ようと思わなくても、見えてしまうのだ。それと同様に、感受性の鋭い人は、ほかの人が気がつかないようなことまで知覚してしまうのである。

 「弱気だ。神経質だ」といわれる人には、あまり頭の悪い人はおらず、むしろ優れている場合が多いのは、この感じ取るという心の自然な働きは知能と関連があるからだ。

 第二の大きな特徴は、内省過剰だということ。内省とは、自分の心を省みる働きである。失敗したり、うまくいかなかった時に、すぐに他人を非難したり、攻撃したりする傾向を持つ強気や勝気と違って、「落ち度が自分にあったのではないか」と考えてみることが、弱気の人間には多いのである。

 そのために、取り越し苦労をしてしまったり、自分の体の調子などを普通の人以上に心配してしまう。あるいは、何かいいたいと思っても、「これをいうと相手は自分のことをどう考えるか」と気にしてしまって、つい、いいそびれてしまうということになりがちなのである。

 第三の特徴は、不安を持ちやすいことの当然の結果として、心が不安定になりやすいということ。余裕、平然、泰然、落ち着きといったことの反対で、心のバランスが失われたり、乱されやすくて、動揺しやすいのである。鋭い感受性によって感じ取ったことのために、自分自身が傷ついてしまうのだ。

 彼は他人が何気なくいったことを聞き流したり、無関心でいることができずに、いつまでも心を奪われてしまい、悩んだり、苦しんだりするのである。過敏で、考えすぎ、しかも心が不安定になりやすいこと、これが弱気といわれる人間の心理的特徴となる。

 従って、弱気の人間は、自分にとって慣れた場所でなら平気でできることも、はじめての場所ではあがってしまったり、初対面の人には気後れがしてしまって、実力が出し切れなかったり、大切な時に失敗をしてしまう性向を持つ。

 自分に関心が集中しやすいが、もともとが不安定になりやすいので、結果として弱気になりやすく、「自分は他人より劣っているのではないか」という劣等感にもとりつかれやすい。

 強気型の人間が積極的に、強気に行動するのと対照的に、弱気型の人間は万事につけて消極的で、弱気に対処することが多いのである。

●万事に消極的だが頼りがいのある人物

 世間においては、弱気や神経質というと、あまりよい特徴と考えないだろう。男性の場合は自分でも気にするし、虚勢を張ったりして隠そうとすることもある。「勇気があって活発で、行動力がある」というのを男性的な性格とすると、弱気の人はあまり男らしい性質を備えていないということになる。

 しかしながら、人間の性質というのは、かなり生まれつきのもので、特に敏感な感受性という特徴はそうである。確かに、弱気で神経質な人は弱々しい感じがするし、そのことを自分自身でも悩むことが多い。だからといって、自分の性質というものを深刻なまでに否定する必要はなく、矯正しなければならない理由もないだろう。

 今、ペンを走らせている私にしてからが、「大弱気」を自称している人間なのだ。むしろ、弱気な人間は、豊かな感受性、デリケートな感覚、良心的で慎重な生活態度など、なかなか得がたい利点をたくさん持っている。

 仮に弱気で神経質な人を敵としても、少しも恐ろしくない。彼らは、攻撃的になることがないからである。

 一方、彼らを自分の友人、知人とすると、これは実に頼りがいのある、信頼の持てる人物である。親身になって相談に乗ってくれるし、しかもめったに出すぎたことをしないのである。

 強気や勝気がいくつかのタイプに分けられたように、弱気もさらに、無力型、強迫型、敏感型の三種のサブ・グループに分ける心理学上の立場もある。

 聞けば、無力型の弱気は、純粋の弱気であり、鈍感に傾き、反応も鈍くて、積極的に外部に働き掛けようとしない。また、自分を「精神的に不十分だ」と思い、記憶力とか、注意力についての不全感を持つ。体についての不快をしばしば覚え、「疲れる。眠れない。頭が思い。心臓が苦しい」といったことを訴える者もある。

 次の強迫型の弱気は、自信がないために劣等感に捕らえられ、自分の心の中を絶えず探る。不安を起こすようなことが、頭の中に出てきて、抑えつけようがない。良心的で、潔癖な人が多く、ささいなことにこだわるし、しゃくし定規のところがある。表面は利他的であるが、心の奥底には自己中心的なものを秘めることも少なくない。

 敏感型の弱気は、感受性が強いのに、これを発散できず、感情のよどみを生じ、心の中に、しこりによる緊張を作るが、抑圧してしまわず、いつまでもくよくよと反復して考える。弱気なので他人との衝突を避けようとするし、人間関係にトゲがないが傷つきやすく、失敗の感じ、罪の感じを持つ。他人に気を使い、控えめな人間でありながら、自尊心もあり、野心もあり、頑固な面もある。

 このタイプの代表的人物は、知的で、繊細で、デリケートな感受性を持つ。それでいながら、気骨のある人間で、道徳的で、一生、のんびり暮らすことができない。

 常に、「これでよいかどうか」と自分自身を内省し、自己批判をしているからである。強迫型のように、ささいのことに、こだわることがないし、自分の中に引きこもりながら親しみやすい点があるのと、野心を持っているために社会的に成功している者がある。

 このように弱気は三種のサブ・グループに分けられるが、これらは近接したものであり、重なり合っている。例えば、無力型に属する「体について神経を使う」という性質と、強迫型に属する「不安が頭にこびりつく」といった性質は、違っているようでありながら、ほかのいかなる性質よりも近く、同一人がその両方の性質を持つ傾向がある。


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