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∥性格が決める物の見方∥
●人間の性格が違えば世界観も異なる
詳しくいえば、この性格というのは、個人の行動などに見られる一貫した傾向のことであり、その人の生涯を通して変わりにくい特徴がある。
しかし、また性格は時間が経過し、経験を重ねていく途上で、かなり変わっていくものでもある。少なくとも、石に刻み込まれた文字のように変化しにくいものではない。固定した客観的なものとして観察できないからこそ、その理解は難しく、各人の間で、いろいろの不適合感や違和感、行き違いや誤解を生ずるのだともいえる。
このように複雑で捕らえどころのないものではあるが、性格の問題を離れては、人間の社会生活上の摩擦を軽減するのは困難である。
一般に、人間の行動は、自然的、物理的環境や社会的、文化的環境によって、さまざまな影響を受ける。誰もが、さわやかな五月の朝には、すがすがしい気分になるであろうし、はじめて会った人の前では、どことなく警戒的な気持ちを抱くであろう。
ところが、これらの環境的諸条件が類似したものであっても、その時の各人の行動には、相互にかなりの差が認められる。初対面の時から人おじせず活発に振る舞える人もあれば、何度あっても内閉的でなかなか心の底を見せない人もいる。
つまり、行動の規定要因の中には、その人の置かれている環境の諸条件のほかに、行動の主体である人自身に帰せられるべき要因も少なくないのだ。性格というのは、広義における行動の個人差を環境の諸条件ではなく、主体的条件に関して説明しようとする概念でもあるのだ。
そして、この個人にいわば内在する性格というものは、その違いが物の見方、考え方、行動の仕方、人に対する態度など、広い領域にわたって現れる。性格が違えば、物の受け取り方も違うし、人の好みも相違するということだ。
一例を挙げれば、ある会社の一人の新入社員・甲野太郎を見て、几帳面(きちょうめん)で気の小さい総務担当の重役は「真面目(まじめ)で、誠実そうな男」と判断し、片や、大まかで豪放な営業担当の重役は「融通のきかない、堅物」という印象を抱いたなどということは、どこの組織でもよくあり得ることである。
私たち人間が相手をどう認知し、どう評価するかということを左右する条件は、複雑である。一般的にいうと、自分とよく似ている性格についてはかなり事細かく理解できるし、好意を持っている人についてはよいほうに判断しがちである。
ともかく、性格は個人の内側にあって、その人特有の行動の仕方、考え方などを生み出し、その人らしい物の見方を決定する。目や耳など五つの感覚器官の性能の優劣は、個人個人の見たり、聞いたり、感じたりする世界の特色を決定づける。それと同じように、性格の差は、個人個人の人物評価を始め、人生観、社会観を大きく左右しているのである。
●性格、パーソナリティー、気質
ここまで述べてきた性格と似た言葉に、パーソナリティーがある。
この二つはともに、人間の行動などに見られる多様な個体差を説明する概念である。ほとんど同じ意味に用いられることもあるし、やや違ったニュアンスを含めて用いられることもある。
心理学では、ギリシャ語のcharacter(カラクテル)の訳語として、性格を使っている。カラクテルにはもともと、刻み込まれたもの、彫りつけられたものという意味があったが、転じて、標識とか特性を表すようになった。心理学では、こうした意味から、それぞれの人間を特徴づけている行動傾向を性格と呼んでいる。
語源からすると、性格とは、ある素材であるところの素質に、ノミやカナヅチであるところの環境を使って刻み込んだ作品、すなわち個性と考えることができる。言い換えれば、性格は両親から受け継いだ素質を基にして、その人の経験によってでき上がってくるものだといえる。
一方、個性を表現する言葉として、パーソナリティーがよく使われるが、その語源については諸説があり、その定義は数十通りもある。一般には、パーソナリティーの語源は、ラテン語のpersona(ペルソナ)に由来すると考えられている。
ペルソナはもともと、劇で使われる仮面を意味する言葉であったが、後に、俳優が演ずる役割を指すようになり、やがて、役割を演ずる人の意味に使われるようになった。その結果、パーソナリティーは、ある特性を持った人を指すようになった。
このような意味から、パーソナリティーとは、それぞれの場面で、社会的な役割を果たすために使われる行動や、振る舞いの総称と考えることができる。遺伝に基づく素質に左右されるというより、むしろ、その人間の経験や社会的な立場によって作り上げられるものといえそうである。
また、性格という概念がどちらかといえば、静態的で、個人差という点を強調しているのに対して、パーソナリティーはもっと広く、しかもダイナミックであるという特徴がある。
そのパーソナリティーは、日本語では人格、個性と訳されている。しかしながら、「彼は高潔な人格の持ち主だ」などというように、人格という言葉には道徳的な意味が入ってくるので、近年の心理学では「パーソナリティー」と英語をそのまま使うことが多い。
世界的に見れば、ドイツ、フランスの学者が性格という言葉をよく用いるのに対して、パーソナリティーはアメリカにおいてよく用いられる傾向にある。
性格やパーソナリティーと親近性を持つ言葉には、気質というのがある。
一般に、個人個人の情緒的反応の特徴を気質という。刺激に対する感受性、反応の習慣的な強さや速さ、その人に固有の根本気分の特色などが、気質の中に含まれる。
この気質と性格との関係については、いろいろな見解があり、性格は意志的側面の特徴で、気質は感情的側面の特徴というように、並列的に見る立場もある。
普通には、気質は性格の下部構造をなすもので、神経系や内臓器官の機能に条件づけられ、体質と密接に関連しているものと考えられている。また、人の持つさまざまな心理的特質の中で、外界の事情によって変わりにくい特徴であると考えられている。
気質については、古代ギリシャのヒポクラテスの胆汁質、多血質、憂鬱(ゆううつ)質、粘液質の四気質説の分類が有名である。
●人間を理解する手掛かりとなる性格類型
心理学の専門家の間では、性格、パーソナリティー、気質の定義に諸説があるわけだが、一般的には三者を並列的に見て、「性格」として扱っても差し支えないだろう。
ともかく、この人間の性格の個体差は、見方によっては非常にいちじるしい。
初対面からすぐ胸を開いて話す人間もいれば、何十年と付き合ってみてもよくわからない人間もいる。活発な実行力をもって一度に多くのことを処理できる人間もいれば、慎重で決心がつきにくく、一つのことをするのに時間の掛かる人間もいる。
そこで、日本語で「気」の字を用いた言葉には、人間の行動スタイルに関係してくる心の働き、心持ち、一種の気性を表現するものが多いので、「気」の付く言葉で性格を表すものを挙げて、人間の種々相を説明してみよう。
陽気な人間がいる一方で、陰気な人間もいる。気が強い人間がいる一方で、気が弱い人間もいる。気が大きい人間がいる一方で、気の小さい人間もいる。気が長い人間、気長な人間がいる一方で、気が短い人間も、気が早い人間も、短気な人間もいる。
呑気な人がいると思えば、気ぜわしい人もいる。気安い人がいると思えば、気難しい人も、気が詰まるような人もいる。気丈で、豪気な人がいると思えば、気弱で、内気な人もいる。
気まぐれな男がいると思うと、粘り気がある男がいる。強気な男がいると思うと、勝気な女も、弱気な女もいる。気が荒い男がいれば、気の優しい女、気の細やかな女がいる。浮気な男、山気が多すぎる男、気前がよい男がいれば、気位の高い女、気取り屋の女もいる。
さらに、やる気のない人もいれば、全力を打ち込んでやる気のある人もいる。気障りで、気に食わない相手もいれば、お気に入りの相手もいる。
このような人間の性格、気質、気性といったものの個体差は、幼児の時にすでに認められているものだ。一般的には、少年より青年、青年より成人と年齢を重ねるにつれて、より目立つようになり、一人ひとりが他とは違った独自性のある存在となっていく。
それでも、日常多くの人間に接してみると、ある一群の人々はお互いにどことなく似ていて、同じような印象を受ける。人間の性格にいくつかのタイプがあるということは、素朴な形でも広く認められていることなのであり、性格をいくつかの類型に分けて説明しようという所説は、類型論と呼ばれている。
次の『強気と勝気と弱気』で、日常、我々の身近なところで見られる各種の性格類型について、述べることにする。類型のどれにも入れられない性格もあれば、一人の人間の中に二つ以上の型の要素が共存している場合もある。しかし、基本的には、これから述べる類型の知識があれば、他人や自分の性格を理解する際、便利であり、必要でもあると考えられるのである。