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∥目鼻立ちと顔全体から判断する∥


●目鼻立ちが人間の運勢を示す
 まず、人間の顔を見る場合、目鼻立ち全体を見ておくことを勧めたい。目鼻立ちというのは、目、鼻、口の三つが中心となるもので、これらを補足しつつ、独自の意味づけを行うものが眉(まゆ)、耳、顎の三つである。

 一般に、「三つ子の魂百まで」、「人間の性格は生まれ落ちると同時に八十パーセント決まっている」などといわれており、確かに、それは人間の生まれついての顔型が変わらないのと同じく事実であろう。また、人間の能力も、天性、固有の部分が過半を占めるに違いない。

 しかし同時に、怠惰にすぎて能力がしぼんだり、努力によって能力が伸びたりすることも事実で、その人間の能力の質と強弱をはじめ、エネルギー、感情などは、何より目を中心として、鼻や口など、いわゆる目鼻立ちを通じて表れることが観察されるのである。

 なぜ、能力は目鼻立ちに表れるか。顔型と異なり、目鼻立ちはそれぞれ外界に対する役割分担を受け持っているのはご承知の通りで、目は見る、鼻は嗅(か)ぐ、口は話すし食べるし呼吸する、眉は目を保護し、耳は聞く、顎は噛(か)む原動力。

 人間がホモ・サピエンスとして直立してから数百万年、社会的生活を始めてから数万年、それぞれの器官はその長い年月の間をそれぞれの個体に所属して作用を続け、それは能力差をともなった遺伝因子として、今日の人間の五官におよんでいる。

 例えば、目は対象を識別し、観察し、比較し、判断するというきわめて知的な作用を行う。実際は、目はレンズ体として外界の情報を脳細胞に伝達するだけで、真の知的作業は脳によって行われることは当然にしろ、脳の作業先端として連動する目には、その能力やエネルギーの程度などが反映するのは必然。

 従って、「目は口ほどに物をいう」といわれる通り、目を見れば、能力の質や強弱のシグナルが表れているのである。実際にも、人間は日常生活において、程度の差こそあれ、絶えず他の人間の目を読んでいるのだ。

 私たちが人の目を見ただけで、「あ、賢い人だな」とか、「あまり善人じゃないな」と瞬時に悟るのも、あるいは、口元のちょっとしたびくつきといった、目鼻立ちの作るさまざまな表情で人の気持ちの動揺などを知るのも、このゆえである。

 そして、この目鼻立ちが顔に占める強弱感やバランス感、勢いといったものは、大まかな意味でその人間の運勢の良否を示すものである。

 大人が子供の顔を見て、その親に「ほほう、お子さんは目鼻立ちがはっきりしていて、なかなか将来が楽しみのようですね」というのは、よく耳にする会話であろう。これは実は面白い表現で、根拠のないことではない。

 人間の運勢、将来の能力発揮の良否などを最初に、大まかに見て取る方法の一つは、目、鼻などの部位を一つひとつ観察する前に、目鼻立ち全体の感じをつかむことにあるからだ。

 部分的に見たらいくらか弱点が認められる場合でも、大局的に見て、バランスのとれた伸びやかな目鼻立ちを備えていれば、運勢が上昇する人間であると断じてもよいだろう。

 「目鼻立ちがはっきりしている」という表現の意味は、目鼻立ちが伸び伸びと力感にあふれているということを、素直に捕らえた言い方である。実際に、そうした子供が成功する確率が高いことを、人々は経験的に知っている。だから、「将来が楽しみのようですね」という言葉も出てくるのである。

 とにかく、人間の顔は千差万別であるが、目鼻立ちが整った端正な感じの顔でも、特徴的なユニークな目鼻立ちの顔でも、それぞれそれなりに、どこか安定した感じを与えるバランスのよさというものがあれば、よい目鼻立ちといえるのである。

 これに反して、目鼻立ちが力弱く、縮こまった感じの人は、運勢が停滞していたり、もしくは下降するといってよいだろう。そういう人は、言葉も語勢が弱く、はっきりしないことが多いもの。

 目鼻立ちに関して忘れてならないことは、人間の目鼻立ち、あるいは顔というものは変化するということである。例えば、「以前より目鼻立ちが伸び伸びとなってきた」、「若々しく明るい感じになった」、「顔が何だか大きくしっかりとなってきた」などという好ましい変化が見られる時は、その人の運勢の上昇機運を示していると見てよい。

 反対に、「目鼻立ちがしょぼくれてきた」、「顔立ちが弱々しく老け込んだ感じになってきた」、「全体に焦点の定まらない目鼻立ちになってきた」というような変化が観察される場合には、運勢の下降機運に注意しなくてはならぬ。

●顔の部位が青年、中年、老年期を表す
 昔から伝わる観相術では、目鼻立ちの加減で運勢を見る方法のほかにも、人の顔や見掛けから、その人の資質、性格、吉凶を読み取る方法がいろいろ確立されている。

 代表的なものに、顔の部分を七十以上に区分して年齢を当てはめ、何歳の時にどんな吉凶に合うかを見る流年相法というのがある。また、額の中央を官禄宮、眉の上を福徳宮などと、顔の部分を十二に区分する、いわゆる十二宮による観相もあり、これは人相学の最も一般的な古典的手法である。この十二宮観相は、主として血色と肉付きの良否をもって見る。

 これらの観相は専門的にすぎるので、人間の顔を大きく三つに分け、それを人生の各期間に当てて見ていく、一般向きの観相術を紹介しよう。

 すなわち、人の顔は上停、中停、下停の三つに分けて、その人の一生涯を見る。上停は青年期、中停は三十~四十代の壮年期、下停は熟年、老年期を表す。

 上停とは、毛髪の生え際から両眉毛の上まで。三十歳までの青年期を示す部分で、知力、感性を表す。額、眉の間(命宮)が広いほど頭脳明晰(めいせき)で、若い頃から鋭いアイデアを生み出すとされる。つまり、おでこが広い人は頭脳明晰で、若いうちから認められる相なのである。

 中停とは、両眉毛の上から鼻先まで。三十代、四十代の壮年期を示すもので、中年時代の活動力、実行力を表す。目は愛情と大胆さ、鼻は勇気と精力の象徴。大胆な性格を表す大きな目、勇気と実行力を表すどっしりした鼻の持ち主は、成功の可能性が高いといえるだろう。小鼻の両わきの線である法令が深い線を刻んでいれば、出世が早い。

 下停は、鼻の下の溝から顎の先まで。五十代以降の熟年、晩年期を示し、その人間の意志、ゆとりをも表す。この下停で大切なのは、口と顎。口は、家族や部下に対する厳しさや愛情が出るところなので、大きいほうがいい。また、顎は豊かなほうが、恵まれた晩年を送ると見られる。

 中停の頬骨が高く、下停が貧弱な場合は、部下運がなく、人生は孤独な下降線をたどることが暗示されている相とされる。この意味で、社会的には大成功を収めたと思われる人物でも、晩年が寂しかった例として、豊臣秀吉が挙げられる。太閤(たいこう)の肖像画を見ると、顎がとがったように細くなっている。仕事では上り詰めたのだが、家族運には恵まれず、孤独な最期だったように思われるのだ。

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●大きい顔は外向的、小さい顔は内向的
  次は、顔型から、その人の資質、性格のパターンを大まかに読み取る方法である。

 まず、身長の高低とは関係なく、人間を正面から全体として眺めた場合、大きい顔の人がいるし、小さい顔の人がいる。

 前者の大きい顔には、一般的な傾向として、支配することを好み、自分を押しつけたがるといった外へ向かって、膨れ上がっていく自己主張の意味がある。

 世に、「大きい顔をするな」、「フテエ面だ」などという悪口が通用しているが、これらの言葉は、大きい顔の何たるかを経験的に言い当てている。大きい面構えの人というのは、いばったり、相手を押しのけたり、出しゃばったりする確率が高いことを、昔から人々は当然のこととして知っていたわけである。

 大きな顔が外へ向けて、強く自己主張をしようとするのと反対に、小さい顔は内側のほうへエネルギーが流れやすい。自分の性格や能力を内面的に充足させようとするということだ。

 具体的にいえば、物事を綿密に確かめる、技術を磨くことに執心する、取り決めや規律に忠実に従うといったように、自分自身を求心的に引き締め、内面の充実に向かおうとする性質である。だから、服従を好み、依存性が強いという傾向を内包することになる。

 俗に、「小さくなる」、「縮こまってしまう」というように、自己主張を否定し、服従の姿勢を相手に示す時は、自然に小さい顔を作るという行動パターンを人間は持っている。小さい顔の人は、ボスには向かないのである。

 企業の経営者の場合でも、先見性や決断力といった共通的に必要な能力は別にして、人間的迫力で指導性を発揮する人は、大きな顔の持ち主である。一方、機械いじりが好きで、油にまみれているのが好きというように、技術競争を自ら先頭に立って勝ち抜く職人根性によって、社業の隆盛をはかってゆく人は、小さい顔の人が多い。

 人間には大きい顔、小さい顔のほかに、丸っぽい顔がある。丸顔の示す一般的な特徴は、直観力の発達と感情性の高さである。

 直観力が発達しているということは、裏を返せば、論理を積み重ねて長く考えるのは苦手で、一足飛びに結論に到達しようとする傾向でもある。丸顔は直覚的に真実を見抜く力を生まれつき備えているもので、考え方に予想外の飛躍があったり、きわめて機敏で、即断即決を下したりする。

 うまくゆく時は、とんとん拍子のスピードで、成功をとげることもある。一方で、いわゆるアイデアマンの要素があるためもあって、時に気分的なひらめきだけで重大な決定を下して、後でほぞを噛むことが多いのも、丸顔の持つ一面だ。

 次に、丸顔人間のもう一つの特徴である感情性だが、感情性が高いということは、他人への親近感が強いという面と、好悪感、つまり好き嫌いが激しいという面とが常に同居している状態である。

●丸顔と反対の性格傾向を見せる角顔
 丸っぽい顔、丸顔に対して、角っぽい顔、角顔に示されている基本の性格は、分析力と意志性である。

 分析力とは、物事の原因、結果を論理的に見極める、けじめをきちんとつける、理屈に合わないことに反発を感じる、という性格傾向を示している。直観的に結論を出したがる丸顔人間とは、反対の方向である。

 それだけに、他人の主張に即座に同調することは苦手で、時々、「物わかりが遅くて、始末に困る人だ」などと誤解されたりもする。しかし、直観や感情的な好悪感だけで性急に行動しないので、失敗も少なく、慎重で落ち着きのある人間としての評価も受ける。

 この角顔人間の分析力は、意志的性格によって裏打ちされている。意志性は、持続性に優れている、努力家である、物事に執着する傾向が強い、などといった内容を含んでいる。

 一度何かを始めると、コツコツとやりとげるまで続け、はじめは愚鈍のように見えながら、長い年月の間に大きな仕事をなしとげたという例も多い。角顔人間は丸顔人間と違って、気分次第で朝と夕ではコロリと変わってしまうということがない。

 一方で、この性向は、何かに固執し始めると止めどがなくなる側面もある。飛躍とか、応用とか、臨機応変というふうな対応が下手なのだ。

 また、親近性に富む丸顔人間とは対照的に、角顔人間は他人との間に親密さを短時間に作り出すのが不得意。どこか寄りつきにくい、無愛想、堅物といった印象を漂わせている。

 次に、長い顔の人が示す傾向は、悠長、じっくり型である。長い顔とくれば、その反対は短い顔となりそうなものだが、実際には長い顔はあっても、短い顔というのはめったにない。まれには、ひしゃげたように短い顔の人がいるが、それは例外と思ってよく、長くない顔は普通の長さの顔である。また、横幅の張った顔の人が短い顔と受け取られがちだが、それはあくまでも横幅の張った顔であって、短い顔ではない。

 顔の幅が広いのは、粘りや忍耐力を表する。例外的に短い顔の人がいたならば、即決、短気の人で、けんかっ早く、犯罪率も高い。

 さて、長い顔の人との初対面でパッと見て判断するのは、悠長、じっくり型であるとともに、論理追求型の特徴を持っているのではないかということである。

 なぜならば、学者、発明家、革命家などに長い顔の持ち主が多いからだ。俗にいえば、理屈っぽい人間、あるいは理想主義者である。このタイプの人は、理論や思想への執着性が強く、非論理的思考を押しつけられると我慢できないといった傾向を持っている。

 会合などで観察してみればよくわかることで、自己の主張をわめき散らす人は大きい顔の人が多いが、理路整然と筋道を立てようと頑張る人は大抵長い顔の持ち主だ。いわゆる一言居士も多い。

 ところで、長い顔でも、ちゃんと筋道の立った理屈をいうのが大の苦手という人もいる。長い顔の持ち主として、その基本性向に論理追求性を有していても、知識に乏しかったり、不勉強であったり、頭がよくなかったりして、理論や言葉の組み立てがうまくできない人もいる。極度に気の弱い性格、エネルギー欠如、情緒希薄などで、理屈を言い立てるのが面倒な人もいよう。

 だから、人間を観察する時には、それぞれの顔型に共通する基本性向、基本性格に基づきながら、総合的に眺める必要があるわけだ。


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